ふと思い立って大作「神聖喜劇」を読みました。本当のところをいうと「ふと思い立って」というのは嘘で,三浦しをんの「三四郎はそれから門を出た」の書評を読んでどうしても読みたくなったのでした。この作品については軍隊を舞台にしており,超人的な記憶力を持つ主人公が…といった基礎知識しか持っていなかったのですが,読み終わった今の感想としては「信じられないほどの大傑作」でした。世界のあまたある小説の中でも最上位のものの一つだと思います。とはいえ,以下でも書くとおり,日本語以外に翻訳するのが極めて困難な小説でもあり,これが日本語でかかれ,日本語で読めることは幸せなことでもあると思います。


この記事を読む大部分の人はこの作品を読んだことがないと思いますが,なかなか簡単に説明するのは難しいところがあります。例えば

・主人公が超人的な記憶力を駆使して,上官たちに立ち向かう
・常軌を逸したと言っても過言ではないほどの膨大な文学作品の引用

といったことは,それぞれこの作品の特徴の一つではありますが,一面に光を当てているに過ぎないとも言えます。

それでも簡単に紹介すると,太平洋戦争の日米開戦から間もない昭和17年1月に教育兵として対馬の重砲兵聯隊に配属された主人公が3ヶ月の教育期間の間に経験した様々なことを記しています。軍隊というと理不尽という印象があるのですが,主人公にとっては理不尽さよりも,独自の決まりにのっとった組織であり,その決まりを追及することで,理不尽さを排除していこうとしていきます。中でも多くの紙面を割いているのが,とある新兵の剣鞘が壊れたものと摺りかえられていた事件。これが後半の大きなテーマになります。

その中で,主人公は他の人の発言から様々なことを考え,想起するのですが,中でも過去の体験や主人公が読んだ様々な文献からの引用がすさまじい量で入ってきます。例えば数十ページや100ページ以上にわたって,元のストーリーにそういったものが割り込んでくるのです。それがこの作品に独特のリズムと異様さを与えています。


これが何かに似ているなあと,思ったのですが,最終的に思い起こしたのは漫画「東京大学物語」の村上。この漫画では随所に村上の「妄想」がものすごい勢いで起こり,実際にはそれが「0.1秒」とかのことになっていましたが,その割り込み方とよく似ているところがあります。

正直に言って,文献の多大な引用部分は,この作品の読者にとってはやや苦痛になるところがあります。この作品が敬遠されているとしたら,独特の文体と,これら引用の多用によるものなのでしょう。しかし,それ以外の部分は意外といってもいいほど読みやすく,本書を読み終わってまず思ったことは「もう終わっちゃった。もっと読みたかった」ということでした。

また,この作品の魅力の一つは人物造形の見事さ。例えば主人公が配属された班の班長である大前田軍曹は中国戦線で人を焼き殺した経験があるほどの歴戦の軍人。しかし本書の大半では「意外にも」「公明正大」なところがあるとして書かれています。最後に,またそれが反転するところもあるのですが,それが不自然でないのです。ほとんどどの登場人物を取ってみても人間の奥深さを感じさせられます(唯一の例外は力士上がりの若杉か)。

まあ,何を書いても上手に説明できませんが,ぜひ敬遠せずに一度読んでみてください。漫画やシナリオ版というのもあります。引用の長大さを避けるにはそういったものでも,悪くないと思います。映画で見てみたいというのも,実は感想の一つですし。