ものを書くことについて考えたいくつかのこと
最近、ブログやTwitterなどを通じて、ものを書くということについて、いくつか考えることがありました。備忘録的ではありますが、自分の思うところを記しておきたいと思います。
○ブログと文才について
そもそも「文才」って何? っていうところもあるのですが、まあもっとわかりやすく「文章力」としたとして、ブログ書くのに文章力が必要かどうかといえば、気にすることはない、というのが衆目の一致するところでしょう。
僕は、文章を書く才能はないので「文才」という点では並の人間ですが、文章を書く訓練は、普通の人の何十倍あるいは何百倍もしてきましたから、まともな文章を書こうと思えば書くことはできます。ただ、ブログ書くときにはそんなことはほとんど気にしていません。例えば、前のパラグラフなんて文が1つしかない、言うならば悪文です。仕事の文だったら絶対に書き直します。
でも、ブログは結局は勢いなんですよね。書くことに負担も時間もかけないように、細かいことは気にしないで書くのが、長く続けるためには大事だと思っています。
○ジャーナリストと取材について
次は一転、プロのジャーナリストとしてものを書くことについてです。近年は、従来のような取材でものを書くのではなく、ネット上の情報分析だけでものを書くようなことも増えているように感じます。それで済んでしまうものも少なからずあるのは確かでしょう。ただ、それをジャーナリストのスタイルとして行うというのは、どうかと思っています。
これで思い出したことがあります。20年近く前、シリコンバレーの駐在に行きたいと、上司の上司に直訴したことがありました。そのとき、別の部署の親玉に言われたのが「取材なんてメールでできるじゃない。出張や駐在なんて必要ないよ」という言葉でした。その後、いろいろあって何年か後に駐在は実現できたのですが、実際に駐在してみて分かるのは「見ず知らずのジャーナリストのメールによる質問に答えてくれるほど暇な人はあまりいない」ということでした。やっぱり生の声を聞くことというのは必要だなと思いました。当時の部署は取材よりもモノいじりに時間を割くようなところでしたが、それでも人に会うことを惜しんではいけないと感じました。それは、今でも一緒だろうと思います。
○芥川賞について
最後は芥川賞について思うところを少し。今年は例の「もらっといてやる」発言で田中慎弥さんの「共喰い」が評判になりましたが、「古臭い」ということでこの作品、さらには芥川賞自体に否定的だった人もいたようです。
いわゆる「エディプスコンプレックス」をメインテーマにしたこの作品。確かに同じようなテーマの作品はこれまで数限りなく作られているでしょう。ただ、普遍的なテーマである以上、それはある程度仕方がないこと。この作品に存在価値がないとは言えないと思います。また、この作品が嫌いだという人がいるのは小説は嗜好品である以上、しょうがないと思うのですが、この作品の好き好きだけで芥川賞全体を論じるのはナンセンスです。
ただ、個人的には芥川賞(とそれを取り巻く状況)には2つ問題があると思っています。
今回、もう1つの芥川賞受賞作品となった「道化師の蝶」のレビューが先日、日経新聞に載っていましたが、そこに「日本最高の賞」といった表記がありました。
確かに日本の文学賞の中で直木賞と芥川賞は圧倒的に知名度があります。しかし、これはどちらも新人賞的な位置付けの賞。もっと「最高の作品」に与えられる賞がメジャーになってもいいように思います。例えばイギリスのブッカー賞やフランスのゴンクール賞のように。
もう1つは芥川賞の対象って中短編に限られていること。日本の文学に面白みが欠けているのは、そのあたりのせいかも。
3つ、どれも連関なさそうなテーマでしたが、思うところを書いてみました
○ブログと文才について
そもそも「文才」って何? っていうところもあるのですが、まあもっとわかりやすく「文章力」としたとして、ブログ書くのに文章力が必要かどうかといえば、気にすることはない、というのが衆目の一致するところでしょう。
僕は、文章を書く才能はないので「文才」という点では並の人間ですが、文章を書く訓練は、普通の人の何十倍あるいは何百倍もしてきましたから、まともな文章を書こうと思えば書くことはできます。ただ、ブログ書くときにはそんなことはほとんど気にしていません。例えば、前のパラグラフなんて文が1つしかない、言うならば悪文です。仕事の文だったら絶対に書き直します。
でも、ブログは結局は勢いなんですよね。書くことに負担も時間もかけないように、細かいことは気にしないで書くのが、長く続けるためには大事だと思っています。
○ジャーナリストと取材について
次は一転、プロのジャーナリストとしてものを書くことについてです。近年は、従来のような取材でものを書くのではなく、ネット上の情報分析だけでものを書くようなことも増えているように感じます。それで済んでしまうものも少なからずあるのは確かでしょう。ただ、それをジャーナリストのスタイルとして行うというのは、どうかと思っています。
これで思い出したことがあります。20年近く前、シリコンバレーの駐在に行きたいと、上司の上司に直訴したことがありました。そのとき、別の部署の親玉に言われたのが「取材なんてメールでできるじゃない。出張や駐在なんて必要ないよ」という言葉でした。その後、いろいろあって何年か後に駐在は実現できたのですが、実際に駐在してみて分かるのは「見ず知らずのジャーナリストのメールによる質問に答えてくれるほど暇な人はあまりいない」ということでした。やっぱり生の声を聞くことというのは必要だなと思いました。当時の部署は取材よりもモノいじりに時間を割くようなところでしたが、それでも人に会うことを惜しんではいけないと感じました。それは、今でも一緒だろうと思います。
○芥川賞について
最後は芥川賞について思うところを少し。今年は例の「もらっといてやる」発言で田中慎弥さんの「共喰い」が評判になりましたが、「古臭い」ということでこの作品、さらには芥川賞自体に否定的だった人もいたようです。
いわゆる「エディプスコンプレックス」をメインテーマにしたこの作品。確かに同じようなテーマの作品はこれまで数限りなく作られているでしょう。ただ、普遍的なテーマである以上、それはある程度仕方がないこと。この作品に存在価値がないとは言えないと思います。また、この作品が嫌いだという人がいるのは小説は嗜好品である以上、しょうがないと思うのですが、この作品の好き好きだけで芥川賞全体を論じるのはナンセンスです。
ただ、個人的には芥川賞(とそれを取り巻く状況)には2つ問題があると思っています。
今回、もう1つの芥川賞受賞作品となった「道化師の蝶」のレビューが先日、日経新聞に載っていましたが、そこに「日本最高の賞」といった表記がありました。
確かに日本の文学賞の中で直木賞と芥川賞は圧倒的に知名度があります。しかし、これはどちらも新人賞的な位置付けの賞。もっと「最高の作品」に与えられる賞がメジャーになってもいいように思います。例えばイギリスのブッカー賞やフランスのゴンクール賞のように。
もう1つは芥川賞の対象って中短編に限られていること。日本の文学に面白みが欠けているのは、そのあたりのせいかも。
3つ、どれも連関なさそうなテーマでしたが、思うところを書いてみました