Bryant Family(ブライアント・ファミリー)ほど“カルト”ワインの光と陰にまみれたワイナリはないでしょう。Bryant Familyは1990年代に素晴らしい品質のワインで“カルト”代表格の1つとしてのし上がりましたが、2002年以降はワインそれ自体よりもスキャンダルやワインメーカーの交代で報じられることの方が多くなってしまいました。
米国の中部セントルイスで弁護士を営むDon BryantがPritchard Hillに畑を買ったのは1987年のこと。当初は別荘を考えていたようですが、実際には家屋が作られることはなく、ブドウ畑としてカベルネ・ソヴィニョンが植えられました。1992年にHelen Turleyをワインメーカーとして迎え、畑の管理者にDavid Abreuを据えてから、瞬く間に高品質で注目を浴びるようになりました。
1993年には早くもカベルネ・ソヴィニョンがWine Advocate誌で97点を付け、その後98、99、99、100点と下がることを知らずに1997年に頂点に達しました。Helen Turleyがワインの女神として注目されたのも、Bryantでの功績が一番大きいでしょう。
しかし、オーナーのDon Bryant、ワインメーカーのHelen Turleyどちらも極めて自我が強い人間であり、次第にぶつかることも多くなりました。2001年の収穫時期には争いが表面化してHelen Turleyはワイン造りをボイコット。他社に移して醸造はしたものの、腐敗酵母にやられたものもあり、このワイナリとしては初めてフィルターによるボトル詰めが行われました。
2002年にはHelen Turleyはワイナリを離れ、両者の間で裁判が行われるという醜い事態に。Helenの後を継いだPhilippe MelkaはWine Advocate誌で95~96点と、このワイナリにしては並の評価しか残せず、2007年には当時ColginにいたMark Aubertに引き継ぎ。さらに2011年にはScreaming Eagleから引き抜いたHelen Keplingerがワインメーカーになりました。
なお、2002年からはMichel Rolandがコンサルタントに入っており、一時は離れていたDavid Abreuもまた畑の管理に戻っています。
今でもここのワインの評価が低いわけではありませんが、1993年~97年と見比べてしまうと、どうしたのか、と思わざるをえないというのが正直なところ。ダーティなイメージを払拭するには未だ至っていないように思います。
なお、長らくエステートのカベルネ・ソヴィニョンだけを作って来ましたが、現在ではDavid AbreuのMadronaなどの畑から購入したブドウで作るBettina、セカンドのDB Fourなどを作っています。