Russian River沿いで育ったBurt WilliamsとEd Selyemがガレージでワインを作り始めたのは1979年。1981年からWilliams Selyem(ウィリアムズ・セリエム)としてワインを作るようになりました。
最初にブドウの供給を受けたのがMartinelliのJackass Hill Zinfandelだったというように、近隣の素晴らしい畑と関係を築きました。特にピノ・ノワールとシャルドネではRichioli、Allen、Olivet Laneといった単一畑のワインを次々と創りだして行きました。例えば1985年のRochioliピノ・ノワールが1987年にCalifornia State Fairで一番になり、一躍注目を浴びるようになりました。
1990年代に入るとピノ・ノワールがWine Spectator誌などで高く評価されるようになり、人気もうなぎ登りになりました。例えば1991年のSumma Vineyardは96点、RochioliとAllenはそれぞれ95点。当時のカリフォルニアのピノ・ノワールの中では「ダントツ」と言っても過言ではないほどの高得点でした。1990年代後半にはワイナリのメーリング・リストは数年待ちになり、ワインはオークションくらいでしか市場に出回らないといった状況になりました。Russian River Valleyがカリフォルニアのピノ・ノワールのトップ産地とみなされるようになったのもWilliams Selyemの貢献が大きいでしょう。
ところが、その状況で疲れたのか(公式にはEdの健康上の理由がうたわれています)、人気絶頂の1998年に2人はワイナリを売却してしまいます。サンフランシスコ49ersの名クオーターバックだったジョー・モンタナが買うのではないかといった噂も流れましたが、実際に買ったのは元ニューヨークの副市長だったJohn Dysonという人でした。購入価格は950万ドル。
Williams Selyemは当時、自前の醸造設備も持っておらず、自社畑もない、いわばブランドだけしかありませんでした。そのため、購入時にはブドウの供給元との関係を切らないことが重要だったようです。
売却以降、Burt Williamsは数年コンサルタントとして残りましたが現在は完全に離れています。Anderson ValleyにMorning Dew Ranchという畑を作り、Williams SelyemやBurtの娘がやっているBrogan Cellarsなどにブドウを売ると同時に2008年からは自身のワインも作り始めています。
1998年からBurtの推薦によって就任したBob CabralがWilliams Selyemのワインメーカーになりました。2011年にはワイン作り担当のディレクタになり、ワインメーカーはJeff Mangahasが就任しました。
ワインは10種あまりのピノ・ノワールのほか、4種のシャルドネ、数種のジンファンデル、デザートワインを作っています。自社畑としてDrake Estate、Williams Selyem Estateの2つの畑を持つようにもなりました。ワイナリ設備も自身で持つようになり、ホスピタリティ・センターも作りました。
Wine SpectatorやWine Advocateなどの評価はオーナー変更以降も下がっておらず、むしろ高得点も出ています。荒波を乗り越え一流ワイナリとして続いているのは敬服に値します。
なお、ワイナリは一般には非公開。メーリング・リストのメンバーだけが訪問可能です。現在は1年待ちくらいでメーリング・リストに入れるとのことです。