Rochioli(ロキオリ)は、Russian River Valleyの栽培家/ワイナリの中でも有名であり、多くの人のリスペクトを受けています。特に栽培家としての名声はMartinelliと並んでトップクラスと言っていいでしょう。この地区のピノ・ノワールのパイオニアであり、自身のワイナリのみならず、Williams SelyemやGary FarrellなどによるRochioli Vineyardのピノ・ノワールが高い評価を得ています。
名声を築いたのは、Joe Rochioli Jr.。1934年生まれのイタリア系アメリカ人の2世です。父のJoe Rochioli Sr.は1912年に米国に渡り、1938年にRussian River Valleyの近くに移住。土地を借りて果樹園を始めました。とても貧乏な家庭であり、Joe Jr.は12歳のころには大人と同じように働いていたとのこと。Joe Jr.はその後、高校でスポーツに開眼し、大学を卒業。陸軍に入った後、1959年に実家に戻りました。
Joe Sr.はブドウ栽培にはあまり熱心でなかったものの、カベルネ・ソヴィニョンやフレンチ・コロンバードの畑は一部にありました。Joe Jr.は今後ワインが重要になると考え、1959年にソヴィニョン・ブランをUC Davisから入手して植えました。これが現在のRochioliのソヴィニョン・ブランでも使われています。
1966年にJoe Sr.が亡くなった後、Joe Jr.はカベルネ・ソヴィニョンとフレンチ・コロンバードを抜いてピノ・ノワールの栽培を始めました。1968年にEast Block、1969年にWest Block、1974年にThree Cornerと少しずつ畑を拡大。1970年代にはシャルドネの畑なども作り始めています。
ピノ・ノワールは当初、Galloに売られ「Hearty Burgundy」(安ワインのブランド)にブレンドされていました。1973年からはDavis Bynumにブドウを売るようになり、初めてRussian River Valleyの単一畑名義のワインが作られました。
1979年からWilliams Selyemにピノ・ノワールを売り始めました。1987年にWilliams SelyemのRochioli Vineyardピノ・ノワール1985がCalifornia State Fairで一番を取りました。これがWiliams Selyemだけでなく、RochioliにとってもRussian River Valleyのピノ・ノワールにとってもエポック・メイキングなことになりました。
また、1982年にDavis BynumのワインメーカーだったGary Farrellが、自身のブランド用にRochioliのピノ・ノワールを作り始め、同時にRochioliブランド用にもピノ・ノワールを作りました。これがワイナリとしてのRochioliのスタートです。
Rochioliのワインメーカーは、Joe Jr.の息子であるTomが引き継ぎ、現在までワインメーカーを続けています。
Rochioliの畑は、近隣のAllenを加えて128エーカー。うち約半分がピノ・ノワールです。最初の畑であるEast Blockは病気にやられ、2008年ヴィンテージを最後に植え替えられました。West Blockも病気で当初の1/3に縮小していますが、まだ全面植え替えにはいたっていません。Rochioliのブドウの6割は外部のワイナリに売却。残りがRochioliワイナリ用に使われています。
ワインはエステートのピノ・ノワール、シャルドネ、ソヴィニョン・ブランのほか、単一畑もののシャルドネやピノ・ノワールが多数あります。どれも高く評価されているものばかりです。なお、エステートは「Rochioli」、単一畑ものには「J. Rochioli」のラベルが付いています。
ワイナリのテイスティング・ルームはRussian River Valleyでも人気が高いところの1つ。単一畑ものは提供されませんが、エステートのワインで在庫があるものが試飲や購入できます。Russian River Valleyを訪れたら、立ち寄るべきワイナリです。