ナパ・カベ夢のプロジェクト、フェアレスト・クリーチャーを体験
2021年に公表された「フェアレスト・クリーチャー(Fairest Creature)」。トーマス・リヴァース・ブラウン、フィリップ・メルカ、ブノワ・トゥケという3人の著名ワインメーカーが、同じ畑のブドウからそれぞれワインを造るという「夢のプロジェクト」です。さらには、3人のワインからミシェル・ロランが最良の樽を選んでベスト・オブ・ザ・ベストのワインを造るという、とんでもないワインまでやってしまいます。当時もこんな記事を書いています。
ナパのトップ・ワインメーカー3人の競演!? 「夢の新プロジェクト」発進
実際のワインも高く評価されており、最初のリリースとなった2018年のヴィンテージで、ジェブ・ダナックが100点を2つ付けています。おそらく最初のヴィンテージで評論家から100点を得たのはこれが初めてだろうとのことです。2024年のプルミエ・ナパヴァレー・オークションでは最高価格で落札され、ロブ・レポートの21世紀のナパのベスト・カベルネという記事では5位にランクされています。
価格から言ってもレア度から言ってもさすがにとんでもなさすぎて、飲むことなどないだろうと思っていましたが、プロジェクトを始めたジェイソン・フー氏が来日してセミナーに参加する機会をいただきました。
まず、フェアレスト・クリーチャーというプロジェクト名ですが、シェイクスピアの最初のソネットから取ったものです。
From fairest creatures we desire increase,
That thereby beauty's rose might never die,
But as the riper should by time decease,
His tender heir might bear his memory:
誰しも美しい者の子孫が増えて欲しいと思うもの
そうすればバラの美しさは死に絶えないから
親が時とともに艶を失っても
子がその美しい面影を伝え続けるだろう
<翻訳はシェイクスピアのソネット1 From fairest creaturesより>
ということで、美しい者のことを表しているのですが、このプロジェクトでは想像上の生き物としてのクリーチャー、特にジェイソン・フー氏の出身である中国の想像上の生き物がラベルに描かれており、ワインの名前もそこから取られています。それぞれのクリーチャーは各ワインメーカーのイメージになぞらえたものになっています。
ジェイソン・フー氏はシリコンバレーでエンジニアとして働き、マニアとしてナパはもちろんのことローヌやブルゴーニュなどのワインにのめり込んでいました。2013年には中国向けのワインのインポーターを始め、ナパのワインメーカーと知己を得るようになりました。「いいワインを造るには技術がいるが、素晴らしいワインを造るのは芸術だ」と言ったのはロバート・モンダヴィですが、ジェイソン・フー氏もエンジニアとして技術を学び、そしてフェアレスト・クリーチャーでは素晴らしいワインを造る芸術も大事にしていると語ります。
2017年にワイン造りをしたいと考えたのですが、畑やワイナリーを買うのでは面白くない。最高級のワインを造るためにはそれらを選べるポジションに身を置いておきたいということで、さまざまな畑のブドウをブレンドするスタイルを考えたとのことです。
3人のワインメーカーが口をそろえて言うのは、ジェイソン・フー氏のテイスティング能力が優れていること。彼自身もそこにはかなり自信を持っているようです。世界の素晴らしいワインを経験してきたことに裏打ちされているとフー氏はいいます。実はこのセミナーでは「61年のペトリュス」など、世界の最高レベルのワインの名前がボルドーに限らず、ローヌやブルゴーニュ、シャンパーニュなど次から次へと飛び出していました。少なくとも尋常ではないレベルのワインマニアであることは確かです。
彼が考える素晴らしいワインの条件の一つが「ウルトラバランス」。口に広がるフィーリングが3次元でどう広がるかが大事なのだそうです。2次元にしか広がらないものはバランスがとれていないとフー氏はいいます。このほか複雑さは凝縮感の一つであり、アロマがどれだけふくらむかも複雑さだと考えています。長熟性も重要な要素で、余韻がどれだけ伸びるかで想像。頑健性はフー氏が重視する要素の一つで、風味が変わっていかないこと。2時間とか3時間で変わる風味はあまり良くないといいます。頑健なワインはもっと長い時間をかけて変わっていくそうです。似た要素ではワインが長期間かけてどう変わっていくかというエボリューションも大事に考えています。
これだけいろいろな要素を評価する中で、アロマについては重視していません。アロマは変化していくというのが一つ、テクニックで操作できるというのがもう一つ。ミシェル・ロランも、フェアレスト・クリーチャーに来た最初の日に「アロマのことは忘れよう、変わっていくものだから」と言っていたそうです。
フェアレスト・クリーチャーのワインの話に入っていきます。今回は2021年のフェアレスト・クリーチャー4つに加えて、セカンドに相当する「デボーチー(Debauchee)」、熱波の影響でワインの品質が期待レベルまで上がらず、ワインメーカーごとのワインではなく全体で一つのワインにしてしまった2022年の「フロー・ステート(Flow State)」の計6本を試飲しました。
フェアレスト・クリーチャーでは現在ナパの9つの畑を使っています。ヴィンテージによっても使う畑は変わり、細かい情報は公開されていませんが、プリチャード・ヒルのマルティネズ、オークヴィルのテンチ、オークヴィル・ランチ、セント・ヘレナのセメタリー、エコトーン、クームズヴィルのコールドウェルなどナパ中心地の畑を中心にブドウを調達しています。このように銘醸地の畑のブドウをブレンドして作るのがフェアレスト・クリーチャーです。ブレンドこそがフェアレスト・クリーチャーのアセットなのだとフー氏はいいます。ボルドーの1級はブレンドのワインであり、トーマス・リヴァース・ブラウンがシュレーダーで造るフラッグシップの「オールド・スパーキー」もブレンドで最良のものを造っています。ローヌのシャプティエのフラッグシップも同様です。こうやってブレンドすることで、テロワールを超える「ファクターX」を持つようなワイン、それがフェアレスト・クリーチャーの目指すワインです。フィリップ・メルカもナパの様々なところの畑のブドウを使うことで、味にレイヤーができ、複雑味が増すんだと語っています。
使う畑には、それぞれ3つのブロックがあり、各ワインメーカーはどのブロックを使うのか選びます。斜面の上など暖かいところはトーマス・リヴァース・ブラウンが選ぶことが多く、フィリップ・メルカは冷涼なブロック、ブノワ・トゥケは中間のブロックを取ることが多いそうです。収穫もブロックごとに独立して行い、これもトーマスが一番最後になることが多いそうです。
できたワインの中からミシェル・ロランが最初に自身のブレンドに使う樽を選びます。ミシェル・ロランは年3回ナパに来るのですが、4月にヴィンテージの仕上がりを見て、5月に最終のブレンドを決めます、そして翌2月にワインがどう進化したかを確認するとのことで、これが重要なのだそうです。
残りの中から3人のワインメーカーがそれぞれ自分のワインをブレンドします。
最初のうちは「ミシェル・ロランが俺のを40%使ったよ。お前のは20%だけだったな」みたいなやり取りもあったようですが、基本的にはみなミシェル・ロランを信頼しているので、それでトラブルになるようなことはないそうです。また、そもそもブノワ・トゥケはミシェル・ロランの弟子なので、彼の言うことは絶対として聞くのですが、他の二人はそうではありません。トーマスはときどきミシェル・ロランのアドバイスを聞いてブレンドすることもありますが、フィリップ・メルカはアドバイスを聞くこともないし、ミシェル・ロランがメルカにアドバイスすることもないとか。
ちょっと脱線しましたが、3人のワインメーカーがワインをブレンドした後にもかなりのワインが残ります。そこからミシェル・ロランがブレンドして作るのが、セカンドワインの「Debauchee(デボシェ、ディボーチ)」で放蕩息子という意味があります。生産量は4000本程度。ラベルは3種類あり、3本セットで販売していますが、中身は全部一緒です。ラベルは毎年変わり、2021年はウォルフォードという女性向けのストッキングなどを販売している会社とコラボしていて、パッケージにはストッキングが1足同梱されています。Kei Meguroという日本人のアーティストが描いた鉛筆画のラベルになっています。国内未発売。

2021年のディボーチはかなりタンニン強く固さを感じます。酸も強め。時間が経つにつれて、花やおしろいなど、華やかさが出てきます。やや時間がかかるワインという印象でした。今飲むなら90点
次のワインは2022年のFlow Stateというワイン。前述のように2022年はこのワインしか造っていません。9月10日前後に猛烈な熱波が来て、ブドウの成長がストップしてしまいました。フェアレスト・クリーチャーとしてこれまでの形で各ワインメーカーが期待するレベルのワインを造るのが難しく、選果の段階で半分のブドウを落とし、またブレンドをすることでなんとかクオリティを保ったといいます。生産量も6000本にとどまりました(通常は各ワインメーカー3000本+マグナム500本)。ラベルは耳が1本しかない3匹のウサギがその耳をシェアする形で円をなしています。オリジナルはインドのものらしいです。
チョコレートや青果実に少しレッド・チェリーの風味が加わります。タンニン強く、タイトなワイン。濡れた石など少し鉱物的な印象。92点
いよいよ、2021年の三つのワインのテイスティングです。
最初はブノワ・トゥケのシン・フィン(ファイン)(Sine Fine)。ラベルは鳥のデザインですが体と羽根と尻尾は一つで頭が2つあります。2羽の鳥があまりにも愛し合って体が一つになってしまったという、愛の象徴だそうです。ブノワ・トゥケが非常に情熱を持ってワインを造る人であり、そのキャラクターが合うと考えたとのこと。また、最初のヴィンテージのときにブノワ・トゥケが結婚したのも理由の一つだそうです。
カカオやモカのフレーバー、花の香り、シルキーなタンニンで酸は高い。総じてバランスよくしなやかなテクスチャーが心地いいレベルの高いワイン。96点
次はトーマス・リヴァース・ブラウンのペリフェリオス(Perihelios)。角が生えたクジラが海から飛び出ている様子がラベルに描かれています。中国の荘子の著書の中に、鯤(クン)という巨大な魚が鵬(ホウ)という鳥に変身するという話があるところから造ったものだとのこと。信じられないほどの強さと大きさをトーマスのワインになぞらえています。
ブルーベリーやブラックベリー、チョコレート。極めてしなやかで緻密なテクスチャー。タンニンは強く大柄なワイン。パワーと繊細さが共存しており、長熟性も感じられる。97点
3本目はフィリップ・メルカのポリスプライン(Polyspline)。9尾のキツネのラベルです。日本では9尾のキツネというと魔力を持っているような、どちらかというと危険な存在にとらえられがちですが、中国では幸運や知恵の象徴となっています。
素晴らしくバランスよく、酸とタンニンがきれいで、余韻も極めて長い。ハーブやブラックベリーのアロマ。完成度の高いカベルネ・ソーヴィニヨン。99点
フー氏は立場上、どのワインが好きかは基本的に言わないのですが、2021年に関してはフィリップ・メルカ版が一番好きだとのこと。ストラクチャーがあって大きなワインだと感じているそうです。
また、フー氏によると3つのワインに共通するのはタンニンマネジメントが素晴らしいこと。タンニンマネジメントは細かい調整が必要ですが、何よりも畑で健康なブドウを育て、それをいつ収穫するかが一番重要だといいます。収穫したあとで、もっとこうしたいと思ってもほとんどできないのです。秘密兵器のようなものがあるわけではなくブドウ栽培からワインを造り上げるところまで一つひとつの選択をきちんとやっていくことがグレートなワインを作る上で必要です。
最後のワインはトリニセロス(Triniceros)。前述のように3人のワインメーカーが醸造した樽からベストのものをミシェル・ロランが選んでブレンドしたワインです。ミシェル・ロランは最初にこのプロジェクトを依頼されたとき、ワインメーカーが自分を殺したくなるのではないかと心配だったと、冗談を言っていました。
このワインはマグナムのみで500本しか作られません。トリニセロスというのは3本の角という意味で、3人のワインメーカーの象徴となっています。ラベルが貼ってあるのではなくボトルにエッチングが施されており、神話の「麒麟」に由来したクリーチャーのイメージが入っています。眼のところにはフー氏の誕生石であるアクアが入っているという凝りよう。
これだけはカベルネ・ソーヴィニヨン100%で造られています。ちなみに、フィリップ・メルカは毎年プティ・ヴェルドを少し入れます。彼はプティ・ヴェルドの扱いに長けており、「マスターオブ・プティ・ヴェルド」と言われているそうです。トーマスはカベルネ100%のことが多いのですが、2023年はカベルネ・フランを少し入れたとのこと。
2021年のトリニセロス、フー氏は「3人のワインメーカーが造ったワインとは別次元のワインで完璧な仕上がりを見せていると思う」とのこと。実際に飲んでみると本当に素晴らしい。先ほどのメルカのワインも完璧なバランスを見せており、100点クラスのクオリティがあると感じましたが、トリニセロスはその上を行くスケールの大きさがあります。テイスティングコメントを書くのは野暮な感じもしますが、果実味は強く、ブルーベリーなど青果実を感じます。タンニンのきめ細かさが素晴らしい。余韻長くバランスもよく非の打ち所がないワインでした。

さて、セミナーの後、ボトルの写真を撮っているときに、ボトルのネックに文字が書かれているのに気が付きました。文字といっても象形文字のような、古い字体です。フー氏に聞いてみたところ、中国の詩の一節が書かれているそうです。実はラベルにも絡んでいて面白い内容だったので、追加で紹介します(おそらくこれまでどこにも書かれていないと思います)。
ブノワ・トゥケの「シン・ファイン」のネックには白居易の「天长地久有时尽」という一節。これは「世界にはいつか終わりが来る」という意味です。ボトルには書かれていませんが、その次には「しかし愛は永遠だ」と続きます。これがラベルの愛するあまり体がつながってしまった鳥につながりますし、ワインの名前の「Sin Fine」(ラテン語で終わりがないという意味)にもつながります。
トーマス・リヴァース・ブラウンの「ペリヘリオス」に書かれているのは李白の「扶摇直上九万里」という一節。意味は「直ちに9万里の上空に駆け上がる」ということ。ワインの名前のPeriheliosはPerihelion(近日点)から派生した語で、近日点とは地球などの惑星が太陽を回る軌道の中で一番太陽に近いところを指します。これも上空に駆け上がるということから連想したものになっています。
フィリップ・メルカの「ポリスプライン」には「江月何年初照人」と書かれています。「長江の月が初めて人を照らしたのはいつのことだっただろう」といった意味です。これだけはワインの名前とは直接結びついていないようです。 スプライン(spline)という単語は、線/曲線を足して連続した不規則な曲線形状を作ることに関係しており、ポリ(poly)は多数の意味です。この名前はメルカのワインのエレガンスと関連していて、緩やかで長いカーブの感触と言った意味合いになります。
マグナムのトリニセロスは字体も他の三つと異なっています。漢書に書かれている「天之骄子不以小礼而自烦」という一節で「選ばれし者は小さな礼儀に煩わされることはない」という意味です。これは中国の胡民族について語ったもので、「胡」はフー氏の漢字表記です。こんな型破りなプロジェクトを始めたことを示唆しているようです。
最後に、フェアレスト・クリーチャーのワイン、極めてレアで買うのも100万円以上が必要と、ものすごく敷居が高いですが、いくつかのレストランで飲むことができます。日本では青山と六本木のウルフギャングステーキハウスでリストに載っているとのことです。