ナパで米国初となる農地保全条例が施行されたのが1968年。今年はそれから50年になります(Born in controversy, Napa County's ag preserve celebrated on its 50th anniversary)。

大都市サンフランシスコから車で約一時間。開発の波が押し寄せてきそうなのがそのころでした。1960年代といえば、シリコンバレーにもIC関係の企業が次々と設立され、その呼び名が始まったころ。インテルが設立されたのも1968年でした。

一方、ナパはまだブドウ畑も現在の3分の1。ブドウが主産物ではありましたが、牛肉もほとんど同じくらいの生産規模だったそうです。

条例の制定はナパを真っ二つにわける議論を巻き起こしました。当時まだできたばかりのロバート・モンダヴィでワインメーカーをしていたワレン・ウィニアスキーは賛成派。しかしワイン業界の重鎮だったジョン・ダニエル・ジュニア(元イングルヌックのオーナー)は反対だったそうです。

結果としてはナパがワイン産地として隆盛を築く原動力の一つになったこの条例ですが、ナパは今も、開発の是非で揺れています。

今問題になっているのは、斜面でオークの木の伐採を認めるかどうか。水の保全などのために条件を限りなく厳しくする案が浮上しています。ナパ・ヴァレー・ヴィントナーズなどは根拠が曖昧だとして、今回は反対に回っており、またヴァレーを大きく二つに分けています。これが決まると斜面におけるブドウ畑の開発はこれまで以上に困難になり、ほとんど不可能ということにもなりかねない、実はナパの将来にとっても重要な問題です。話が複雑すぎて、結果が出てから紹介しようと思っていましたが、この機会に触れておきました。