顔の見えるオンラインショップでありたい――Wassy's鷲谷社長、波田店長
インポーター・インタビューの番外編として、ワインショップ「Wassy's」のインタビューをお届けします。
Wassy'sは大阪にあるカリフォルニアワイン・ファンにとっては有名なワインショップです。品揃えの豊富さ、良心的な値段に加え、個性的・魅力的なスタッフが人気のショップです。オンラインWassy's本店のオンラインショップに加え、楽天市場ではオンラインWassy's、オセアニアのワインを中心に販売するパシフィック・ワイン・セラーズ、世界のピノ・ノワールを販売するピノノワール・オンラインといったショップも運営しています。Amazonでも販売しています。
社長の鷲谷良亮さん(通称ワッシーさん)、オンラインショップの店長である波田紀子さん(通称ハダノリさん)に話を聞きました。
――Wassy'sは今年15周年だそうですね。どうしてワインショップを始めたのでしょうか。
ワッシー:僕は鷲谷商店という酒屋の3代目なんです。1990年代というのは酒類の販売の構造変革が起こり、酒屋や酒の問屋がバタバタとつぶれてしまった時代でした。1993年にダイエーがビールの安売り(ベルギー産のバーゲンブローというビールを120円で売りだした)を始め、それまでの定価販売が中心の世界が変わってしまったんです。
酒屋の場合、立地がいい店はコンビニに転換して生き残りましたが、立地が悪かったり、狭い店は立ちいかなくなりました。鷲谷商店もコンビニでなんとかやっていました。
Wassy'sの実店舗がある大阪の四天王寺付近というのは、意外と海外経験者が多いのです。繊維問屋が並ぶ船場が近く、売買で海外に行っていた日本人が多く住んでいるのです。そういった人たちはワインに馴染みがありました。
一方で、ワインショップは阪神間には結構あるのですが、大阪のミナミの方にはあまりなかったのです。それでワインショップを開こうと考えました。
――カリフォルニアワインを中心にしたのはなぜですか。
ワッシー:実は、Wassy'sを始める前の数年間、サントリーで働いていました。当時サントリーはロバート・モンダヴィを輸入していたので、社内販売価格でモンダヴィのリザーブなどもすごく安く飲めたんです。それでカリフォルニアワインが好きになりました。米国に友人が多くいたのも理由です。
また、同じ時期に「フレンチ・パラドックス」による赤ワイン・ブームが起こりました。フランスワインを仕入れようとしても、売ってくれるワインがないほどだったのです。カリフォルニアなどニューワールドのワインは、そういった異常な状態ではなかったので、ニューワールドのワインを中心にした、というのもあります。
カリフォルニアワイン専門のインポーターだったカリフォルニアワイントレーディングが出来て間もない時期だったのも、縁かもしれません。
全部は入荷できないだろうと思って、大量の発注を出したところ、全部通って慌てたというようなことも最初はありました。カリフォルニアワイントレーディングでも、全く知らない会社から急に大量に発注がきてびっくりしたようですが。
――ハダノリさんはいつから参加したのですか。
ハダノリ:学生のころから酒屋さんでアルバイトをしていました。その後ニュージーランドに語学留学をしてワインに出会いました。帰国後ワインの輸入を始めたばかりの酒問屋に就職したのですが、そこも構造変革に付いて行けずつぶれてしまいました。そのときに、近所でワインショップを開こうとしているところがあると聞いて、働き始めました。そのときはワッシーと、ワッシーの奥さん(鷲谷紀子さん、通称ワシノリさん。ハダノリとワシノリでWノリコとも言われています)と私の3人でした。
――オンラインショップはいつ始めたのですか。
ハダノリ:結構早かったです。ワインショップを初めて3カ月後にはオンラインショップを開くことを決めていました。当時はワシノリさんは全くパソコンを使っていなかったこともあり、消去法で私が店長になったんです。
オープンしたのは2000年6月。楽天市場への出店でした。まだ楽天ができたばかりで数十店舗しかなかった時代です。
――ずいぶん早いですね。ワインを売るのは大変ではなかったですか。
ワッシー:当時、オンラインで頑張っていたのがワイナリー和泉屋さんです。和泉屋の新井さんにアドバイスをもらいに行ったところ「僕と同じかそれ以上がんばったら成功するよ」と言われました。やっぱりそれしかないか、と腹をくくってやることにしました。
ただ、販売は最初から意外と好調でした。当初、爆発的に売れたのがウインドワードというパソロブレスのピノ・ノワールです。
先ほど、フレンチ・パラドックスの話をしましたが、フランス以外のワインでは、大量に入荷したのに売れずにインポーターの不良在庫化しているようなものも結構あったのです。ウインドワードもそういった理由で入荷したワインの1つで、メルマガで70%引きと宣伝して売ったので、注文が殺到しました。
そうこうしている間にメルマガの人気が上がりました。メルマガは週2回くらい出していました。当時はまだメルマガを出しているところは少なかったのです。
メルマガは1本で1つのワインを紹介する形でした。ハダノリが書いていたのですが、苦労して夜中までかかってやっていましたね。
でもメルマガは翌年1回やめてしまったのです。ハダノリがニュージーランドに行ってしまいましたので。
――ハダノリさんはWassy'sを始めて以降、確か2回ニュージーランドに行っているんですよね。
ハダノリ:はい、1回めは2001年から2007年まで行っていました。当初は日本の会社が自社でワインを作り、それを日本に輸出したいというので輸出担当者として行ってほしいという話でした。行ってみると畑を切り開いてブドウの樹を植えるといった作業ばかり。一時期は、コンサルタントの元で働いたこともあったのですが、そこでも畑仕事が中心だったので、結局元のところに戻って畑を作っていました。
ニュージーランド時代もブログを書いていたんです。今もWassy'sのサイトの上で読めるようになっています。
――それは大変でしたね。そのまま向こうでワインを作ろうとは思いませんでしたか。
ハダノリ:いえ。最初はワインもほとんど飲めない生活でしたし。自分のところのワインはまだまだできる段階にならないし、買えるのはスーパーで箱入りで売っている安いワインくらい。農婦生活は楽しかったのですが、収穫をし、最初のワインをリリースし、次の年になって、そろそろ良いワインを飲める生活をしたくなりました。帰れるときは嬉しかったです。
ワッシー:それで関空に戻ってきたところを捕まえて、ワイン飲ませてまた働いてもらったんですよ(笑)。
――ハダノリさんがいない間のワインショップはいかがでしたか。
ワッシー:特に急成長したというわけではありませんが、右肩上がりでだんだん売上が増えていました。
事件はいろいろありました。オーパス・ワンを大量に仕入れて他のショップに恨まれたり。
そのときはオーパス・ワンが毎月売れる数が大体安定していたので、1年間に売れそうな量を最初に仕入れてしまったのです。毎月小出しにしていたのですが、年の後半になるとインポーターの在庫が枯渇して、うちだけがオーパス・ワンを持っているといった状況になりました。「儲けやがって」とずい分言われましたよ。
その後、オーパス・ワンの輸入が急増して、値崩れも起こり、それをオーパス・ワンが問題視して、今のように管理を強めた形になりました。値崩れのきっかけはうちだったかもしれません。
ほかにもうちが始めたものはいろいろあります。コンクールの金賞ワインを売ったり、ワイン・スペクテーターの年間トップ100特集をやったり。ギガルのワインがワイン・スペクテーターの年間1位になったときは80ケースくらい買い占めました。このときは、毎年入荷していたショップにも品がなくなってしまい、嫌がられたものです。
1000円均一コーナーもいち早く始めました。これは、今でもなぜやめちゃったのですかと聞かれます。
ハダノリ:戻ってきたときは、行く前とは全然違っていましたね。
――オンラインショップで大変なことは何ですか。
ハダノリ:やっぱり相手の顔が見えないことですね。最初のうちは、注文から2日でワインが届かないだけで詐欺呼ばわりされたこともありました。ネットで買うのは怖いと思われていました。それで私達の顔写真を載せるなどしました。クレジットカードを使うことへの不安も、最初は大きかったです。
ワッシー:クレジットカードについては大きく変わりましたね。2005年には振り込みはやめてしまいました。ハダノリが帰ってきたころはもう、クレジットカードが当たり前になっていました。
――逆にやっていて面白いことは何ですか。
ハダノリ:海外のお客さんから、結構注文が来ます。これはインターネットならではですね。例えばニュージーランド在住の日本人から、日本の知り合いへのプレゼントとして送るワインの注文を受けたり、日本に来るときのために「~日に~~ホテルに配達して」といった注文を受けたり。
――以前は力を入れていたメルマガ、今はそうでもないですね
ワッシー:大勢の人に受け入れてもらえるようなものばかりを書いていると面白くなくなってしまいます。一方で、マニアックなものばかり載せていると、興味を持つ人が減ってしまいます。
今はFacebookでイベントをやったり、スタッフがワイナリに行ったときの様子をリアルタイムでブログに載せたり、周年イベントでスタッフそれぞれがプレゼントを企画したり、といった、コミュニケーションを重視する方向に力を淹れるようになっています。今回、東京で初めてのワイン会を開くというのも、コミュニケーションのためなんです。
――パシフィック・ワイン・セラーズやピノノワール・オンラインといった派生的な店を始めたのはなぜですか。
ワッシー:ニッチなワインを多く紹介しようとすると、在庫の問題が出てきます。この2つの店では不良在庫を持たないように、問屋と協力して、問屋の倉庫の近くに店を持ち、注文があると問屋に取りに行くような仕組みになっています。
なので、実はこれらのショップはWassy'sの在庫とは別扱いになっています。同じワインを扱っていても在庫は別々です。
関連サイト:
オンラインWassy's本店
オンラインWassy's楽天市場店
オンラインWassy's Amazon店
パシフィック・ワイン・セラーズ
ピノノワール・オンライン
ワインショップ オンラインWassy's ワシ等の日々。(ブログ)
Wassy's Facebookページ
オンラインWassy's (winestoreWassys) Twitter
インタビューを終えて:
ワッシーさん、ハダノリさんともども、ネットの上では以前から交流いただいています。しかし、こうやってじっくり話を聞く機会というのは意外とないものなので、いろいろと話を伺えて面白かったです。
Wassy'sのサイトのワインの紹介は比較的あっさりしています。特に、カリフォルニアワインを得意とする他のショップ、例えば柳屋やカリフォルニアワインあとりえと比べると、こんなシンプルでいいのか、と思ってしまうほどです。あまりマニアックになるよりも、多くの人に支持されるショップでありたいという気持ちからそうしているのだろうと、改めて思いました。
ハダノリさん初め、スタッフが登場するブログはかなり面白いです。TwitterやFacebookページでフォローするのもお薦めです。これからも関西の雄としての活躍を期待します。
ああ、そういえばレストラン関係の話を聞くのをすっかり忘れていました。それはまたいずれ。
Wassy'sは大阪にあるカリフォルニアワイン・ファンにとっては有名なワインショップです。品揃えの豊富さ、良心的な値段に加え、個性的・魅力的なスタッフが人気のショップです。オンラインWassy's本店のオンラインショップに加え、楽天市場ではオンラインWassy's、オセアニアのワインを中心に販売するパシフィック・ワイン・セラーズ、世界のピノ・ノワールを販売するピノノワール・オンラインといったショップも運営しています。Amazonでも販売しています。
社長の鷲谷良亮さん(通称ワッシーさん)、オンラインショップの店長である波田紀子さん(通称ハダノリさん)に話を聞きました。
――Wassy'sは今年15周年だそうですね。どうしてワインショップを始めたのでしょうか。
ワッシー:僕は鷲谷商店という酒屋の3代目なんです。1990年代というのは酒類の販売の構造変革が起こり、酒屋や酒の問屋がバタバタとつぶれてしまった時代でした。1993年にダイエーがビールの安売り(ベルギー産のバーゲンブローというビールを120円で売りだした)を始め、それまでの定価販売が中心の世界が変わってしまったんです。
酒屋の場合、立地がいい店はコンビニに転換して生き残りましたが、立地が悪かったり、狭い店は立ちいかなくなりました。鷲谷商店もコンビニでなんとかやっていました。
Wassy'sの実店舗がある大阪の四天王寺付近というのは、意外と海外経験者が多いのです。繊維問屋が並ぶ船場が近く、売買で海外に行っていた日本人が多く住んでいるのです。そういった人たちはワインに馴染みがありました。
一方で、ワインショップは阪神間には結構あるのですが、大阪のミナミの方にはあまりなかったのです。それでワインショップを開こうと考えました。
――カリフォルニアワインを中心にしたのはなぜですか。
ワッシー:実は、Wassy'sを始める前の数年間、サントリーで働いていました。当時サントリーはロバート・モンダヴィを輸入していたので、社内販売価格でモンダヴィのリザーブなどもすごく安く飲めたんです。それでカリフォルニアワインが好きになりました。米国に友人が多くいたのも理由です。
また、同じ時期に「フレンチ・パラドックス」による赤ワイン・ブームが起こりました。フランスワインを仕入れようとしても、売ってくれるワインがないほどだったのです。カリフォルニアなどニューワールドのワインは、そういった異常な状態ではなかったので、ニューワールドのワインを中心にした、というのもあります。
カリフォルニアワイン専門のインポーターだったカリフォルニアワイントレーディングが出来て間もない時期だったのも、縁かもしれません。
全部は入荷できないだろうと思って、大量の発注を出したところ、全部通って慌てたというようなことも最初はありました。カリフォルニアワイントレーディングでも、全く知らない会社から急に大量に発注がきてびっくりしたようですが。
――ハダノリさんはいつから参加したのですか。
ハダノリ:学生のころから酒屋さんでアルバイトをしていました。その後ニュージーランドに語学留学をしてワインに出会いました。帰国後ワインの輸入を始めたばかりの酒問屋に就職したのですが、そこも構造変革に付いて行けずつぶれてしまいました。そのときに、近所でワインショップを開こうとしているところがあると聞いて、働き始めました。そのときはワッシーと、ワッシーの奥さん(鷲谷紀子さん、通称ワシノリさん。ハダノリとワシノリでWノリコとも言われています)と私の3人でした。
――オンラインショップはいつ始めたのですか。
ハダノリ:結構早かったです。ワインショップを初めて3カ月後にはオンラインショップを開くことを決めていました。当時はワシノリさんは全くパソコンを使っていなかったこともあり、消去法で私が店長になったんです。
オープンしたのは2000年6月。楽天市場への出店でした。まだ楽天ができたばかりで数十店舗しかなかった時代です。
――ずいぶん早いですね。ワインを売るのは大変ではなかったですか。
ワッシー:当時、オンラインで頑張っていたのがワイナリー和泉屋さんです。和泉屋の新井さんにアドバイスをもらいに行ったところ「僕と同じかそれ以上がんばったら成功するよ」と言われました。やっぱりそれしかないか、と腹をくくってやることにしました。
ただ、販売は最初から意外と好調でした。当初、爆発的に売れたのがウインドワードというパソロブレスのピノ・ノワールです。
先ほど、フレンチ・パラドックスの話をしましたが、フランス以外のワインでは、大量に入荷したのに売れずにインポーターの不良在庫化しているようなものも結構あったのです。ウインドワードもそういった理由で入荷したワインの1つで、メルマガで70%引きと宣伝して売ったので、注文が殺到しました。
そうこうしている間にメルマガの人気が上がりました。メルマガは週2回くらい出していました。当時はまだメルマガを出しているところは少なかったのです。
メルマガは1本で1つのワインを紹介する形でした。ハダノリが書いていたのですが、苦労して夜中までかかってやっていましたね。
でもメルマガは翌年1回やめてしまったのです。ハダノリがニュージーランドに行ってしまいましたので。
――ハダノリさんはWassy'sを始めて以降、確か2回ニュージーランドに行っているんですよね。
ハダノリ:はい、1回めは2001年から2007年まで行っていました。当初は日本の会社が自社でワインを作り、それを日本に輸出したいというので輸出担当者として行ってほしいという話でした。行ってみると畑を切り開いてブドウの樹を植えるといった作業ばかり。一時期は、コンサルタントの元で働いたこともあったのですが、そこでも畑仕事が中心だったので、結局元のところに戻って畑を作っていました。
ニュージーランド時代もブログを書いていたんです。今もWassy'sのサイトの上で読めるようになっています。
――それは大変でしたね。そのまま向こうでワインを作ろうとは思いませんでしたか。
ハダノリ:いえ。最初はワインもほとんど飲めない生活でしたし。自分のところのワインはまだまだできる段階にならないし、買えるのはスーパーで箱入りで売っている安いワインくらい。農婦生活は楽しかったのですが、収穫をし、最初のワインをリリースし、次の年になって、そろそろ良いワインを飲める生活をしたくなりました。帰れるときは嬉しかったです。
ワッシー:それで関空に戻ってきたところを捕まえて、ワイン飲ませてまた働いてもらったんですよ(笑)。
――ハダノリさんがいない間のワインショップはいかがでしたか。
ワッシー:特に急成長したというわけではありませんが、右肩上がりでだんだん売上が増えていました。
事件はいろいろありました。オーパス・ワンを大量に仕入れて他のショップに恨まれたり。
そのときはオーパス・ワンが毎月売れる数が大体安定していたので、1年間に売れそうな量を最初に仕入れてしまったのです。毎月小出しにしていたのですが、年の後半になるとインポーターの在庫が枯渇して、うちだけがオーパス・ワンを持っているといった状況になりました。「儲けやがって」とずい分言われましたよ。
その後、オーパス・ワンの輸入が急増して、値崩れも起こり、それをオーパス・ワンが問題視して、今のように管理を強めた形になりました。値崩れのきっかけはうちだったかもしれません。
ほかにもうちが始めたものはいろいろあります。コンクールの金賞ワインを売ったり、ワイン・スペクテーターの年間トップ100特集をやったり。ギガルのワインがワイン・スペクテーターの年間1位になったときは80ケースくらい買い占めました。このときは、毎年入荷していたショップにも品がなくなってしまい、嫌がられたものです。
1000円均一コーナーもいち早く始めました。これは、今でもなぜやめちゃったのですかと聞かれます。
ハダノリ:戻ってきたときは、行く前とは全然違っていましたね。
――オンラインショップで大変なことは何ですか。
ハダノリ:やっぱり相手の顔が見えないことですね。最初のうちは、注文から2日でワインが届かないだけで詐欺呼ばわりされたこともありました。ネットで買うのは怖いと思われていました。それで私達の顔写真を載せるなどしました。クレジットカードを使うことへの不安も、最初は大きかったです。
ワッシー:クレジットカードについては大きく変わりましたね。2005年には振り込みはやめてしまいました。ハダノリが帰ってきたころはもう、クレジットカードが当たり前になっていました。
――逆にやっていて面白いことは何ですか。
ハダノリ:海外のお客さんから、結構注文が来ます。これはインターネットならではですね。例えばニュージーランド在住の日本人から、日本の知り合いへのプレゼントとして送るワインの注文を受けたり、日本に来るときのために「~日に~~ホテルに配達して」といった注文を受けたり。
――以前は力を入れていたメルマガ、今はそうでもないですね
ワッシー:大勢の人に受け入れてもらえるようなものばかりを書いていると面白くなくなってしまいます。一方で、マニアックなものばかり載せていると、興味を持つ人が減ってしまいます。
今はFacebookでイベントをやったり、スタッフがワイナリに行ったときの様子をリアルタイムでブログに載せたり、周年イベントでスタッフそれぞれがプレゼントを企画したり、といった、コミュニケーションを重視する方向に力を淹れるようになっています。今回、東京で初めてのワイン会を開くというのも、コミュニケーションのためなんです。
――パシフィック・ワイン・セラーズやピノノワール・オンラインといった派生的な店を始めたのはなぜですか。
ワッシー:ニッチなワインを多く紹介しようとすると、在庫の問題が出てきます。この2つの店では不良在庫を持たないように、問屋と協力して、問屋の倉庫の近くに店を持ち、注文があると問屋に取りに行くような仕組みになっています。
なので、実はこれらのショップはWassy'sの在庫とは別扱いになっています。同じワインを扱っていても在庫は別々です。
関連サイト:
オンラインWassy's本店
オンラインWassy's楽天市場店
オンラインWassy's Amazon店
パシフィック・ワイン・セラーズ
ピノノワール・オンライン
ワインショップ オンラインWassy's ワシ等の日々。(ブログ)
Wassy's Facebookページ
オンラインWassy's (winestoreWassys) Twitter
インタビューを終えて:
ワッシーさん、ハダノリさんともども、ネットの上では以前から交流いただいています。しかし、こうやってじっくり話を聞く機会というのは意外とないものなので、いろいろと話を伺えて面白かったです。
Wassy'sのサイトのワインの紹介は比較的あっさりしています。特に、カリフォルニアワインを得意とする他のショップ、例えば柳屋やカリフォルニアワインあとりえと比べると、こんなシンプルでいいのか、と思ってしまうほどです。あまりマニアックになるよりも、多くの人に支持されるショップでありたいという気持ちからそうしているのだろうと、改めて思いました。
ハダノリさん初め、スタッフが登場するブログはかなり面白いです。TwitterやFacebookページでフォローするのもお薦めです。これからも関西の雄としての活躍を期待します。
ああ、そういえばレストラン関係の話を聞くのをすっかり忘れていました。それはまたいずれ。