日経Bizアカデミーで復刻連載されているニッカウヰスキー創業者「竹鶴政孝」さんの『私の履歴書』。言わずと知れた、朝ドラ『マッサン』のモデルになった人です。

ドラマでは、スコットランドへの留学から帰ってきたところから描かれていますが、実は「マッサン」はスコットランドに行く前に米国でワイン作りを学んでいたことが、今日公開の記事に載っていました(第7回 米国に立ち寄る ぶどう酒工場を見学 仏・伊と違う大規模な設備)。1818年のことですから、米国で禁酒法が始まる1920年の直前の段階だったと思われます。

場所はサクラメント。カリフォルニアの州都がある都市ですが、おそらくセントラル・ヴァレーで作られる、あまり品質の高くないブドウから大量生産でワインを作っていたのでしょう。マッサンはカリフォルニアでのワイン作りについて、次のような否定的見解を述べています。

それはあとで勉強して歩いた本場のフランス、イタリアの手づくりに近いぶどう酒づくりとは、全く対照的な製法であった。ウイスキーでもそうだがよい酒をつくるためには、規模や設備では解決できないものがある。熟成をじっくりしんぼうして待つ精神や気質がないと決してよいものはできないというのが私の信念の一つであるが、それをあとになって知ることができたという意味でカリフォルニア・ワインの勉強は役立ったといえる。どうもアメリカ人はよい酒をつくる国民性に欠けているように私には思えてならない。


どうせだったらソノマのファウンテン・グローヴで長沢鼎に会っていれば、もうちょっと違った感想になったのでは、とちょっと思ってしまいました。

また、できたらマッサンに今のカリフォルニアワインを飲んでほしいものです。日本人が素晴らしいウイスキーを作れたように、アメリカ人でもよい酒を作れるようになったのですから。