MondaviとGallo――カリフォルニアワインの歴史【4】
Robert Mondaviの父Cesare Mondavi(チェザーレ・モンダヴィ)は1906年にイタリアから米国に移住してきました。当初はミネソタの鉱山で働き、1920年代にカリフォルニアのLodi(ロウダイ)に移ってきました。禁酒法の間、ブドウを東部に運んで売るビジネスを手がけ、禁酒法が開けてからは、ナパのSt. HelenaにあるSunny St. Helena(サニー・セント・ヘレナ)というバルクワインのワイナリに出資しました。
長男のRobertはスタンフォード大学を卒業後、Sunny St. Helenaで働き、1943年にナパの老舗ワイナリCharles Krug(チャールズ・クリュッグ)が売りに出ていることを知りました。両親が出した条件は兄弟が仲良く携わること。弟のPeterがワイン作り、Robertがセールスを担当する形で一家のワイナリが本格的にスタートしました。
1959年にCesareが亡くなり、兄弟の亀裂が次第に明らかになっていきました。Robertは常に拡大志向、上昇志向であり、質の向上のためには金に糸目を付けないところがありました。一方Peterは堅実で、投資には慎重でした。1965年11月、二人は大げんかをし、母親のRosaはPeterに付いたため、Robertは勘当されました。
翌1966年、RobertはRobert Mondavi Wineryを作り、世界トップのワインを作るという夢の実現に向かって進み始めました。
Robert Mondaviは、アメリカ人にワインの文化を根付かせることを考えていました。そのためには、ワインだけでなくそれに合う料理も必要です。その楽しさを伝えることも大事です。そこで、ワイナリを観光の目的地にすることを考え、ワインに合った食事を広げることを考えました。ワイナリの見学ツアーを始めたり、料理番組で有名なJulia Child(ジュリア・チャイルド)や、カリフォルニア料理の生みの親でサンフランシスコ近郊のバークレーにレストランChez Panisse(シェ・パニース)を開いたAlice Waters(アリス・ウォーターズ)と協力して、料理を伝えたりしました。
ワインでは、それまで甘口のワインにしか使われていなかったSauvignon Blancを樽仕立てで発酵させたFume Blanc(フュメ・ブラン)を作ってヒットさせました。
地道ながら着実に高級ワイン作りへと進んでいったMondaviと対照的に、Galloは「ワイン業界のキャンベル・スープ」を目指して、あくまでも一般大衆を相手にビジネスを広げて行きました。当初は作ったワインをボトル詰め業者に売るだけだったのが、自社ブランドでワインを作るようになり、どんどんビジネスを拡大しました。
1957年には酒精強化ワインのThunderbird(サンダーバード)を発売。これが大ヒットしたことで大メーカーの仲間入りを果たしました。Thundebirdはアルコール度数21%の酒精強化ワインにレモンジュースで香りを付けたもの。町の酒屋を観察して酒精強化ワインとレモンジュースを一緒に買う人が多いのに気づいて作ったものでした。高級なワインではなく「アルコール」を求める人が多かった当時の風潮にぴったりと合う製品でした。そのあとも、ユーザーニーズに合った低価格な製品を次々と生み出してGalloは拡大していきました。
Galloの本社は今でもModesto(モデスト)という、カリフォルニアのセントラル・ヴァレーの町にあります。広大なセントラル・ヴァレーは暑すぎるため高級ワインには向かない土地ですが、大量にブドウを作るためには最適なところです。Galloがソノマで高級ワインづくりを始めるのは1980年代末になってからでした。
長男のRobertはスタンフォード大学を卒業後、Sunny St. Helenaで働き、1943年にナパの老舗ワイナリCharles Krug(チャールズ・クリュッグ)が売りに出ていることを知りました。両親が出した条件は兄弟が仲良く携わること。弟のPeterがワイン作り、Robertがセールスを担当する形で一家のワイナリが本格的にスタートしました。
1959年にCesareが亡くなり、兄弟の亀裂が次第に明らかになっていきました。Robertは常に拡大志向、上昇志向であり、質の向上のためには金に糸目を付けないところがありました。一方Peterは堅実で、投資には慎重でした。1965年11月、二人は大げんかをし、母親のRosaはPeterに付いたため、Robertは勘当されました。
翌1966年、RobertはRobert Mondavi Wineryを作り、世界トップのワインを作るという夢の実現に向かって進み始めました。
Robert Mondaviは、アメリカ人にワインの文化を根付かせることを考えていました。そのためには、ワインだけでなくそれに合う料理も必要です。その楽しさを伝えることも大事です。そこで、ワイナリを観光の目的地にすることを考え、ワインに合った食事を広げることを考えました。ワイナリの見学ツアーを始めたり、料理番組で有名なJulia Child(ジュリア・チャイルド)や、カリフォルニア料理の生みの親でサンフランシスコ近郊のバークレーにレストランChez Panisse(シェ・パニース)を開いたAlice Waters(アリス・ウォーターズ)と協力して、料理を伝えたりしました。
ワインでは、それまで甘口のワインにしか使われていなかったSauvignon Blancを樽仕立てで発酵させたFume Blanc(フュメ・ブラン)を作ってヒットさせました。
地道ながら着実に高級ワイン作りへと進んでいったMondaviと対照的に、Galloは「ワイン業界のキャンベル・スープ」を目指して、あくまでも一般大衆を相手にビジネスを広げて行きました。当初は作ったワインをボトル詰め業者に売るだけだったのが、自社ブランドでワインを作るようになり、どんどんビジネスを拡大しました。
1957年には酒精強化ワインのThunderbird(サンダーバード)を発売。これが大ヒットしたことで大メーカーの仲間入りを果たしました。Thundebirdはアルコール度数21%の酒精強化ワインにレモンジュースで香りを付けたもの。町の酒屋を観察して酒精強化ワインとレモンジュースを一緒に買う人が多いのに気づいて作ったものでした。高級なワインではなく「アルコール」を求める人が多かった当時の風潮にぴったりと合う製品でした。そのあとも、ユーザーニーズに合った低価格な製品を次々と生み出してGalloは拡大していきました。
Galloの本社は今でもModesto(モデスト)という、カリフォルニアのセントラル・ヴァレーの町にあります。広大なセントラル・ヴァレーは暑すぎるため高級ワインには向かない土地ですが、大量にブドウを作るためには最適なところです。Galloがソノマで高級ワインづくりを始めるのは1980年代末になってからでした。