【保存版】モンダヴィ・ファミリーの系譜
今年はロバート・モンダヴィ・ワイナリーの開設から50年。ロバート・モンダヴィの父チェザーレがイタリアからアメリカのミネソタ州に移住した1906年からは110年経ち、今は四世たちが活躍する時代に入っています。いろいろなワイナリーが派生的に誕生し、だいぶ複雑なことになってきたので、その系譜を整理しておきたいと思います。
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ミネソタで食料品店を営んでいたチェザーレがカリフォルニアに移住したのは禁酒法の時代。禁酒法の下でも、家庭で自家用の酒を作ることは許されていました。そこで、自家用ワインを作るためのブドウをカリフォルニアから運ぶという仕事をするためでした。当時、その拠点となっていたのがロウダイで、彼等もそこに住みつきました。
1933年に禁酒法が明けた後、より本格的にワインビジネスに参入することを考え、ナパでサニー・セント・ヘレナ(Sunny St. Helena)というワイナリーに出資します。現在のメリヴェール(Merryale)です。その後、1943年にナパ最古のワイナリーであるチャールズ・クリュッグ(Charles Krug)が売りに出ていることを知り、清水の舞台から飛び下りる覚悟で、そこを購入します。
しかし、ロバート・モンダヴィはチャールズ・クリュッグでも満足できず、世界に通用するワイナリーにしたいという思いを募らせます。1959年にチェザーレが亡くなった後、地道路線のピーターとの仲違いが次第に広がり、ロバートは母親から勘当されてしまいます。
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そうして1966年にオープンしたのがロバート・モンダヴィ(Robert Mondavi)です。1970年代末には、ボルドーのシャトー・ムートン・ロートシルトとの共同出資でオーパス・ワン(Opue One)もオープンします。しかし、ワイナリーの拡大路線は2000年を過ぎてITバブルがはじけた後につまずき、2005年にはコンステレーション・ブランズにワイナリーを売却してしまうことになりました。
この間、長男のマイケルがCEOに、次男のティムがワインメーカーになっていましたが、この二人の間もギクシャクしてしまいました。
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ロバートが付いたのは次男のティムの側。ロバートとティム、ティムの姉のマーシャと3人でコンティニュアム(Continuum)を設立します。当初は、モンダヴィのトカロンの畑からブドウを得たものの、その後、プリチャード・ヒルのクラウド・ビュー・ワイナリーを買収して、そこに新しい拠点を築き、現在に至ります。コンティニュアムはオーパス・ワンのように、プレミアムワイン1本で勝負するワイナリー。品質もオーパス・ワンに負けず劣らずの評価を得ています。
ティムの4人の子どもたちも、コンティニュアムに携わっていますが、カルロとダンテの2人は、ソノマ・コーストにレイン(Raen)というワイナリーを設立。冷涼な地域のブドウを使って、アルコール度数12%台と抑えたピノ・ノワールを作っています。
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一方、兄のマイケルは、まだロバート・モンダヴィ・ワイナリーに在籍していた1990年代にアトラス・ピークにあるアニモ(Animo)というワイナリーを買収し、マイケル・モンダヴィ・ファミリー・エステートを設立します。現在はこの中でいくつものブランドを持っています。Mバイ・マイケル・モンダヴィ(M by Michael Mondavi)がここのフラグシップ・ワイン。アニモのブドウの最良のものを使っており、高い評価を得ています。
また、図にはありませんがフォリオ(Folio)という流通事業の会社も設立。ワインの輸入なども行っています。
また、マイケルの子供のロバートJr.はマイケル・モンダヴィ・ファミリー・エステートのほか、スペルバウンド(Spellbound)というワイナリーでもワインを作っています。こちらは10ドル台という普及価格のワインです。また、またはとこのアンジェリーナとフォースリーフ(Forth Leaf)というワインも作っています(後述)。
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一方、チャールズ・クリュッグを引き継いだピーターは、その後CKモンダヴィと名前を変えて、家族経営を続け、2016年惜しまれつつ亡くなりました。
長男のマーク(Marc)は、CKモンダヴィのほかに、趣味的なディバイニング・ロッド(Divining Rod)というワインを作っていたり、娘のアリシアとエイロフト(Aloft)というワイナリーをやっていたりします。エイロフトはプレミアムなカベルネ・ソーヴィニヨンを作るワイナリーで、畑の管理がジム・バーバー、ワインメーカーがトーマス・リバース・ブラウンと当代きってのメンバーを集めています。
このほか、マークの4人の娘は他の仕事もしながら、ダーク・マターというワインを一緒に作っています。こちらはカベルネ・ソーヴィニヨンとジンファンデル。生産量は非常に少ないワインです。
そして、前述のように長女のアンジェリーナはマイケルの息子のロバートJr.とフォース・リーフというワインを作っています。これは元々、モートンズというステーキハウスが、CKモンダヴィとコンティニュアム、フォリオのワインを持ち寄って1つのワインを作るという企画を立て、誰も乗り気でないところで手を挙げたのがこの二人だったというものです。第4世代ということでフォース・リーフと名付けたようです。その企画だけで終わったのかと思いきや、その後も引き続いてワインを作っているようです。ただし、こちらも生産量はかなり限定したものになっているようです。
とりあえず、調べた範囲では、こんなところです。見落としなどがあったら教えて下さい。
【2018年3月追記】
CKモンダヴィは、マークとピーターJr.の兄弟から、それぞれの子ども計6人に経営を譲る形になりました。下の図のようになります。
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1990年代半ばまでのストーリーは、こちらの自伝が詳しく、参考になります。ロバートがどれだけパイオニアだったかも分かると思います。
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ミネソタで食料品店を営んでいたチェザーレがカリフォルニアに移住したのは禁酒法の時代。禁酒法の下でも、家庭で自家用の酒を作ることは許されていました。そこで、自家用ワインを作るためのブドウをカリフォルニアから運ぶという仕事をするためでした。当時、その拠点となっていたのがロウダイで、彼等もそこに住みつきました。
1933年に禁酒法が明けた後、より本格的にワインビジネスに参入することを考え、ナパでサニー・セント・ヘレナ(Sunny St. Helena)というワイナリーに出資します。現在のメリヴェール(Merryale)です。その後、1943年にナパ最古のワイナリーであるチャールズ・クリュッグ(Charles Krug)が売りに出ていることを知り、清水の舞台から飛び下りる覚悟で、そこを購入します。
しかし、ロバート・モンダヴィはチャールズ・クリュッグでも満足できず、世界に通用するワイナリーにしたいという思いを募らせます。1959年にチェザーレが亡くなった後、地道路線のピーターとの仲違いが次第に広がり、ロバートは母親から勘当されてしまいます。
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そうして1966年にオープンしたのがロバート・モンダヴィ(Robert Mondavi)です。1970年代末には、ボルドーのシャトー・ムートン・ロートシルトとの共同出資でオーパス・ワン(Opue One)もオープンします。しかし、ワイナリーの拡大路線は2000年を過ぎてITバブルがはじけた後につまずき、2005年にはコンステレーション・ブランズにワイナリーを売却してしまうことになりました。
この間、長男のマイケルがCEOに、次男のティムがワインメーカーになっていましたが、この二人の間もギクシャクしてしまいました。
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ロバートが付いたのは次男のティムの側。ロバートとティム、ティムの姉のマーシャと3人でコンティニュアム(Continuum)を設立します。当初は、モンダヴィのトカロンの畑からブドウを得たものの、その後、プリチャード・ヒルのクラウド・ビュー・ワイナリーを買収して、そこに新しい拠点を築き、現在に至ります。コンティニュアムはオーパス・ワンのように、プレミアムワイン1本で勝負するワイナリー。品質もオーパス・ワンに負けず劣らずの評価を得ています。
ティムの4人の子どもたちも、コンティニュアムに携わっていますが、カルロとダンテの2人は、ソノマ・コーストにレイン(Raen)というワイナリーを設立。冷涼な地域のブドウを使って、アルコール度数12%台と抑えたピノ・ノワールを作っています。
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一方、兄のマイケルは、まだロバート・モンダヴィ・ワイナリーに在籍していた1990年代にアトラス・ピークにあるアニモ(Animo)というワイナリーを買収し、マイケル・モンダヴィ・ファミリー・エステートを設立します。現在はこの中でいくつものブランドを持っています。Mバイ・マイケル・モンダヴィ(M by Michael Mondavi)がここのフラグシップ・ワイン。アニモのブドウの最良のものを使っており、高い評価を得ています。
また、図にはありませんがフォリオ(Folio)という流通事業の会社も設立。ワインの輸入なども行っています。
また、マイケルの子供のロバートJr.はマイケル・モンダヴィ・ファミリー・エステートのほか、スペルバウンド(Spellbound)というワイナリーでもワインを作っています。こちらは10ドル台という普及価格のワインです。また、またはとこのアンジェリーナとフォースリーフ(Forth Leaf)というワインも作っています(後述)。
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一方、チャールズ・クリュッグを引き継いだピーターは、その後CKモンダヴィと名前を変えて、家族経営を続け、2016年惜しまれつつ亡くなりました。
長男のマーク(Marc)は、CKモンダヴィのほかに、趣味的なディバイニング・ロッド(Divining Rod)というワインを作っていたり、娘のアリシアとエイロフト(Aloft)というワイナリーをやっていたりします。エイロフトはプレミアムなカベルネ・ソーヴィニヨンを作るワイナリーで、畑の管理がジム・バーバー、ワインメーカーがトーマス・リバース・ブラウンと当代きってのメンバーを集めています。
このほか、マークの4人の娘は他の仕事もしながら、ダーク・マターというワインを一緒に作っています。こちらはカベルネ・ソーヴィニヨンとジンファンデル。生産量は非常に少ないワインです。
そして、前述のように長女のアンジェリーナはマイケルの息子のロバートJr.とフォース・リーフというワインを作っています。これは元々、モートンズというステーキハウスが、CKモンダヴィとコンティニュアム、フォリオのワインを持ち寄って1つのワインを作るという企画を立て、誰も乗り気でないところで手を挙げたのがこの二人だったというものです。第4世代ということでフォース・リーフと名付けたようです。その企画だけで終わったのかと思いきや、その後も引き続いてワインを作っているようです。ただし、こちらも生産量はかなり限定したものになっているようです。
とりあえず、調べた範囲では、こんなところです。見落としなどがあったら教えて下さい。
【2018年3月追記】
CKモンダヴィは、マークとピーターJr.の兄弟から、それぞれの子ども計6人に経営を譲る形になりました。下の図のようになります。
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1990年代半ばまでのストーリーは、こちらの自伝が詳しく、参考になります。ロバートがどれだけパイオニアだったかも分かると思います。