テッド・レモン兄さんのワイン講座(前編)
今週、リトライ(Littorai)のテッド・レモンさんが来日しています。輸入元である布袋ワインズの川上さんは愛情と尊敬を込めて「レモン兄さん」と呼んでいるようなので、ここでも敬意を表してそれに習わさせていただきます。そのレモン兄さんのセミナーが開催され、参加してきました。
レモン兄さん、実はUCデイヴィスなどの正式なワイン教育は受けていません。ディジョン大学で1年学んでいますが、それはデュジャックなどでインターンとして働き始めてからのこと。フランス文学を学び、フランスのワイナリーで働いていたのですから、元々フランス好きなのでしょうね。ちなみに、レモン兄さん、カリフォルニアの出身ではなく、ニューヨーク生まれだとか。地理的に言っても、カリフォルニアより欧州になじみ深かったのは理解できます。
キャリアで特筆すべきなのは1982年から1984年にかけて、ブルゴーニュはムルソーの名家「ギィ ルーロ」で最高醸造責任者を務めたこと。時間がなくて、そのあたり突っ込んで聞けなかったのですが、いきなり最高醸造責任者に抜擢されたというのはよほどの才能なのだろうと思います。
このような名誉あり、やりがいもある職を得たのですから、そのまま続ければいいだろうと思うのが一般人の考えですが、やはり名家ゆえに新しい取り組みができなかったり、一家の跡継ぎが戻ってくるまでの中継ぎだと感じたりしたため、新たなキャリアを探すことになります。
そして、カリフォルニアに渡り、シャトー・ウォルトナーのワインメーカーになります。
ウォルトナーには7年いましたが、その間、レモン兄さんは勉強のためのグループを作り、毎週、世界中のピノ・ノワールやシャルドネを試飲したそうです。グループの中には、マーカッサンのヘレン・ターリー、キスラーのスティーブ・キスラー、ウィリアムズ・セリエムのバート・ウィリアムズなど、錚々たるメンバーがいたそうです。
7年間続けた結果、カリフォルニアでもブルゴーニュと張り合えるだけの品質を持ったピノ・ノワールやシャルドネができるという結論に達しました。
それで、今度は畑探しです。カリフォルニア中を車ではしりまわって探しました。そうして、ソノマ・コーストにワイナリーを開くことになりました。
ただそこで、新たに大きな問題が生じます。リトライを開いた1993年ころは、いわゆるカルトワインのブームが始まったころで、ロバート・パーカーのWine Advocate も、Wine Spectator もボリュームがあって濃いワインに高い点を与えていました。
それに対して、レモン兄さんが始めたかったのは、土地の性質を引き出したワイン。味わいはデリケートです。
お金に余裕があるわけでもなく、ワインが売れないことにはワイナリーを続けることもできません。
彼はこの難局をどう乗り越えたのでしょうか?
そこには一つのキーワードがありました(続きは後編で)
レモン兄さん、実はUCデイヴィスなどの正式なワイン教育は受けていません。ディジョン大学で1年学んでいますが、それはデュジャックなどでインターンとして働き始めてからのこと。フランス文学を学び、フランスのワイナリーで働いていたのですから、元々フランス好きなのでしょうね。ちなみに、レモン兄さん、カリフォルニアの出身ではなく、ニューヨーク生まれだとか。地理的に言っても、カリフォルニアより欧州になじみ深かったのは理解できます。
キャリアで特筆すべきなのは1982年から1984年にかけて、ブルゴーニュはムルソーの名家「ギィ ルーロ」で最高醸造責任者を務めたこと。時間がなくて、そのあたり突っ込んで聞けなかったのですが、いきなり最高醸造責任者に抜擢されたというのはよほどの才能なのだろうと思います。
このような名誉あり、やりがいもある職を得たのですから、そのまま続ければいいだろうと思うのが一般人の考えですが、やはり名家ゆえに新しい取り組みができなかったり、一家の跡継ぎが戻ってくるまでの中継ぎだと感じたりしたため、新たなキャリアを探すことになります。
そして、カリフォルニアに渡り、シャトー・ウォルトナーのワインメーカーになります。
ウォルトナーには7年いましたが、その間、レモン兄さんは勉強のためのグループを作り、毎週、世界中のピノ・ノワールやシャルドネを試飲したそうです。グループの中には、マーカッサンのヘレン・ターリー、キスラーのスティーブ・キスラー、ウィリアムズ・セリエムのバート・ウィリアムズなど、錚々たるメンバーがいたそうです。
7年間続けた結果、カリフォルニアでもブルゴーニュと張り合えるだけの品質を持ったピノ・ノワールやシャルドネができるという結論に達しました。
それで、今度は畑探しです。カリフォルニア中を車ではしりまわって探しました。そうして、ソノマ・コーストにワイナリーを開くことになりました。
ただそこで、新たに大きな問題が生じます。リトライを開いた1993年ころは、いわゆるカルトワインのブームが始まったころで、ロバート・パーカーのWine Advocate も、Wine Spectator もボリュームがあって濃いワインに高い点を与えていました。
それに対して、レモン兄さんが始めたかったのは、土地の性質を引き出したワイン。味わいはデリケートです。
お金に余裕があるわけでもなく、ワインが売れないことにはワイナリーを続けることもできません。
彼はこの難局をどう乗り越えたのでしょうか?
そこには一つのキーワードがありました(続きは後編で)