問題編は「パリスの審判の7つの神話、どれが本当?

神話1「パリスの審判を思いついたのはスティーブン・スパリエだった」
答えは×。スパリエの同僚のパトリシア・ギャラガーです。彼女の存在はこのイベントの実現において極めて大きなものでした。


神話2「パリスの審判はフランスと米国の試合として設計された」
答えは×。カリフォルニアのワインもこれだけおいしくなっているというのを示すような教育的イベントを目的にしていました。

神話3「パリスの審判で勝利したシャトー・モンテリーナとスタッグス・リープ・ワイン・セラーズはスティーブン・スパリエが発見した」
答えは×。これもパトリシア・ギャラガーでした。スパリエは76年の4月に初めてカリフォルニアを訪れています。そのときもモンテリーナとスタッグス・リープ・ワイン・セラーズは訪問していましたが、モンダヴィに行くのは断ったといいます。

神話4「カリフォルニアのワイナリーはスーツケースに入れてワインをパリに運んだ」
答えは×。スパリエがカリフォルニアに行ったときに案内役を務めたジョアン・デピュイという人がワインの送付も行いました。


神話5「唯一の女性審査員だったオデット・カーンは投票用紙を返すよう命じた」
答えは○。これが報じられたときにどうなるかを想像して困惑してしまったようです。コンペティション的なイベントにしようと思っていなかったスパリエとギャラガーにとっても、これは予想外の事態だったようです。

神話6「カリフォルニアのワイナリーは現地で勝利を待ち構えていた」
答えは×。モンテリーナのバレット夫妻はボルドー旅行中に知らされたとのことです。現当主のボー・バレットさんは電報で連絡が来たという話を以前されていました。

神話7「パリスの審判は、直後から世界を変えるイベントとして祝福された」
答えは×。タイム誌の記者のジョージ・テイバーが記事にして世に知らされました。