ロキオリ・ワイナリー(Rochioli)の創設者で、ロシアン・リバー・ヴァレー、特にそのピノ・ノワールのパイオニアとして知られる、ジョー・ロキオリ・ジュニアが8月18日に88歳で亡くなりました。ご冥福をお祈りします。

ジョーの父、ジョー・ロキオリ・シニアは1911年にイタリアから米国に移住。ニューヨークを経てカリフォルニアに着きました。1930年代に現在のロキオリがある場所のフェルトン・エーカーズという農場で働くようになり、1950年代に農場を買い取りました。

当時は豆やプルーンなどが主な作物で、ジャグワイン用のブドウを一部で作っていました。1959年にUCデーヴィスからカベルネ・ソーヴィニヨンとソーヴィニヨン・ブランのカッティングを得て植えました。カベルネ・ソーヴィニヨンはうまくいかず、後に抜かれてしまいましたが、ソーヴィニヨン・ブランはよくでき、今ではカリフォルニアに残るソーヴィニヨン・ブランの一番古い畑の一つとなっています。

ジョー・ロキオリ・ジュニアは高校のときには身長180cm、体重72kgのがっしりとした体でスポーツのスターでした。大学を出た後、陸軍に入り、1959年に除隊して農場で働き始めました。上記のソーヴィニヨン・ブランのほか、1960年代にはピノ・ノワールも植えており、1973年にDavis Bynumにブドウを売ったのが、ロシアン・リバー・ヴァレーの最初のピノ・ノワールと考えられています。

1980年代にはウイリアムズ・セリエムが作ったロキオリのピノ・ノワールがステート・フェアで最優秀賞を得て、最初のブームを起こしました。

ジョー・ロキオリ・ジュニアはハードワークで知られ、特に接ぎ木の技術に優れていたそうです。1日に500本もの接ぎ木をしたこともあったとか。

このほか、夏場にブドウの葉を落として日光を適度にブドウに当てるようにするとか、夏場に実の一部を落として、品質を上げるといったことも、彼が始めたことでした。

2020年に脳卒中を患ってからは入退院を繰り返していたとのことです。
ロキオリ
手前がジョー・ロキオリ・ジュニア、左奥が現在のオーナーのトム・ロキオリ