人気の翻訳家,鴻巣友季子さんが書いたワインと文学の本。著者にはこれまでも「翻訳のココロ」という翻訳についての思索をまとめた好著があるが,本著では創作と翻訳の間の尽きせぬ思いをワインに絡めて綴っている。元々文芸誌「文學界」に連載しているコラム26本をまとめたものであり,著者の翻訳以外のものでは一番文芸的な香りが高い。ワインと文学両方に興味がある私にとっては非常におもしろく読めたが,どちらかだけだとちょっと話に付いていけないところがあるかもしれない。

シックな装丁は結構凝っておりカラーページを挟み込むという贅沢もしている。1500円という価格の割には薄い本だが,高級感があるので損をした気はしない。まあ,そもそも本の価値を重さや文字数で量っても意味がないだろう。大事なのは内容だ。そちらは太鼓判を押そう。

本書に次のような一節がある。
読書の愉しみには、一心に読みふけるものとは別に、ときおりページから顔をあげ考えごとなどしながら読み進めるものもある。読書が中断するのは、本がつまらなくて気が逸れるのではなく、その面白さに触発されて「思いつきや刺激や連想の波が押し寄せて」くるからで、これも熱心な読書のひとつだ。

書籍によっても考えごとを引き起こしやすいタイプのものとそうでないものがある。例えば,手に汗握るミステリーを読んでいるときには他の事は何も考えられないだろう。ロバート・パーカーのレビューなんかもあまり連想には向かないような気がする。その点,本書は考えごと誘発度が極めて高く,それが一番の魅力になっているように思える。それぞれの話自体が連想で成り立っており,そこから自分自身の連想へと,どんどん連想が沸いてきて,一編を読む間にさまざまなことを考えてしまう。例えばシャンパーニュの話からベストセラーの話に移っていき,「カラマーゾフの兄弟」のように長いベストセラーがまた急に売れ出す話を読みながら,昨年のカレラの人気を思い出したりといった具合だ。

このように連想を掻き立てる力があるのは,おそらく本書の抑えた筆致によるものだろう。特にワインについては説明しすぎることなく,ワインから生まれた連想を文学に結びつけたり,逆に文学からの連想をワインに結びつけたりする。その動きに自分自身も観応してしまうのだと思う。ワインについて書きすぎないことによって,逆にワインについて読者が自由に思いを馳せられるのだ。

食後に飲むハーフボトルのデザートワインのように,小さくても味わい深い作品である。