三線引きの端くれとして,「十九の春」はときどき弾くことがあります。古くは田端義夫が歌ってヒットしたことで知られていますが,近年では「ナビィの恋」で,この歌が主役と言ってもいいほど重要な位置を占めており,それで知った人も多いかもしれません。これほど有名な曲でありながら,弾く側に立ってみるとちょっとあれっというところもあります。

この曲は沖縄のメロディではありません。ヤマト(本土)の演歌に近い感じがします。そして歌詞も沖縄の言葉ではありません。唯一「同じコザ市に住みながら」の部分が沖縄固有な部分です。「奥山住まいのウグイスは」といった歌詞も沖縄というよりもヤマトを感じさせます。どうしてこれが沖縄の曲なんだろう,というのは私にとっても以前からの疑問でありました。さらに,私が持っているいくつかのCDにこの曲は収録されていますが,歌詞が少しずつ違うのも不思議な気がしていました。

この本の著者である川井龍介さんは,奄美大島の有名な唄者朝崎郁恵さんが歌う十九の春を聞いたことから,そのルーツを求める旅を始めました。朝崎さんの父親が戦争中に米軍の魚雷で沈められた輸送船「嘉義丸」を悼んで作った「嘉義丸のうた」が「十九の春」と同じメロディであり,そこが旅の出発点でした。

ただ,「嘉義丸のうた」は奄美地方のごく一部,加計呂麻島だけで知られた歌。それが他の地域に伝わったとは思えません。別のルーツを探すうちに,与論島,与那国島,コザの売春婦といった,様々な可能性が見つかります。また,その過程で様々な人との出会いがあり,歴史との出会いがあります。

結局著者は完全な道筋を得るには至らなかったのですが,これが無駄な旅であったわけではありません。筆者は大阪から台湾にまでつながる「航路」としての関係を挙げていますが,私はむしろ奄美大島のはずれにある加計呂麻島,鹿児島と沖縄の境にある与論,沖縄と台湾の境にある与那国,コザの歓楽街,と何かしら「場末」を感じさせるところでこのメロディが歌われてきたことに興味を持ちました。

謎が明らかになる快感という意味ではちょっと欲求不満が残る人もいるだろうとは思いますが,民謡のルーツ探しというのは,話がすっきりしすぎないのもまたいいのではないかという気もしました。これまでよりも,この歌を大事にしなければ,とも感じました。

「十九の春」を探して うたに刻まれたもう一つの戦後史
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書評/ルポルタージュ


朝崎郁恵さんの「十九の春」と「嘉義丸のうた」が収録された唯一のアルバムはこれ