世界という言葉は「日本」の補集合として捉えてしまいがちである。そんなことない,という人ももちろんいるだろうが,自分はそうだ。だから「世界文学全集」というと「海外文学全集」だと最初から決め込んでしまう。それだけに「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」の第3集第4巻(長編小説としては最後の巻)に石牟礼道子さんの「苦海浄土」が入ったというのを知ったとき,ちょっとびっくりしたのと同時に,自分のあまりにも狭い思い込みに情けない思いもあったのである。

そもそも,この文学全集,まだ読んだのは数冊であるが,自分としてはいつかは全巻制覇したいものと思っている。池澤夏樹さんという作家は小説家としてデビューしているが,正直言って小説よりも紀行文などのノンフィクションの方が面白いし,それ以上に書評家として優れている。その人が,30冊の全集の中の唯一の日本語で書かれた長編として選んだのだから間違いないだろうと,読みたい本リストの中で一気に上位に入っていたのだった。

さて,この「苦海浄土」は3部作からなる水俣病を扱った小説である。1970年には第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたものの辞退している。水俣病の補償を巡るさまざまな資料をそのまま掲載しているなど,ノンフィクション風の体裁を取ってはいるが,本書の最大の魅力は著者が「聞き書のふりでやっているんです」という,患者やその家族の語りの部分だ。方言で語られる病気の話は,その深刻さと裏腹に,優しくときには滑稽で,しみじみとした慈愛に満ちている。特にそれが全面にフィーチャーされた第1部は,一種のお伽話のようですらある。

一節を披露しよう。
 うちは、ほら、いつも踊りおどりよるように、こまか痙攣をしっぱなしでっしょ。
 それで、こうして袖をはたはた振って、大学病院の廊下ば千鳥足で歩いてゆく。
 こ、ん、に、ちわあ。
 うち、踊りおどるけん、見とるものはみんな煙草出しなはる!
 ほんなこて,踊りおどっとるような悲しか気持ちばい。そういう風にしてそこれへんをくるうっとまわるのよ。からだかたむけて。


第2部,第3部と進むと,物語は別の様相を示し始める。

第2部の白眉は,チッソの株主総会に巡礼姿で乗り込むシーン。そこまではややドタバタの感もあった患者たちが,急に神話の世界の人のような崇高さを見せ始める。

第3部では川本輝夫氏を中心とするチッソとの交渉が中心。舞台の大部分は東京であり,座り込みや交渉の現場が,その場で観察していた筆者によって語られる。そこには思うようにならない現実の辛さ,チッソの理不尽さが満ちている。それでも方言で語られるところは何か優しく,おかしみをなくさないところがすばらしい。

久しぶりに出会えてよかった,読んでよかったという本だった。また,できるだけ多くの人に読んでほしいと思える本でもあった。