パリ・テイスティングの主役となったのは、Warren Winiarski(ウォレン・ウィニアスキ)のStag's Leap Wine Cellars(スタッグス・リープ・ワイン・セラーズ)や、James Barrett(ジェイムズ・バレット)のChateau Montelena(シャトー・モンテレーナ)(ワインメーカーはMike Grgich(マイク・ガーギッチ))といった、それまでと違うワイナリでした。いずれも1960年代末から1970年代に設立したワイナリです。


それまでナパを代表するワイナリであったBeaulieu(ボーリュー)や、リーダーになりつつあったRobert Mondavi(ロバート・モンダヴィ)は、プレミアムなワインを作る一方で、バルクワインと呼ばれるような低品質で安価なワインも同時に作っていました。実際、ワイナリの経営的にはバルクワインの方が重要だったわけです。


それに対して、これら新しく登場してきたワイナリは、バルクワインを作らず、高品質なワインだけを最初から志向していました。このようなワイナリを「ブティック・ワイナリ」と言います。Robert Mondaviで修行した若者が、新たにワイナリを作る、そういうエコシステムができつつありました。いくつかの例外を除けば、カリフォルニアワインが「品質」に目覚めた最初の時期と言えるでしょう。例えばHeitz Cellars(ハイツ・セラーズ)は初の単一畑のCabernet Sauvignonを作り始めました。この「Martha's(マーサズ) Vineyard」のカベルネは1970年代に大ヒットしました。


一方で、1970年代にはWhite Zinfandel(ホワイト・ジンファンデル)の誕生という、エポックもありました。White Zinfandelは1972年、ナパのSutter Home(サター・ホーム)でZinfandelをより濃く・重くするために、フリーランと呼ばれるワインを搾った最初の果汁を分けてしまうことで誕生しました。この余った果汁を使って白ワインを作ったのですが、最初はあまり売れませんでした。転機になったのは1975年。原因不明のアクシデントで発酵が途中で止まってしまい、その結果ピンク色でほのかに甘いワインになったのです。意外なことにこれが大ヒットし、作っても作っても売り切れてしまうほどの人気を博しました。