オー・ボン・クリマのジム・クレンデネンが逝去、まだ68歳
オー・ボン・クリマ(Au Bon Climat)の創設者・オーナー・ワインメーカーであるジム・クレンデネンが亡くなりました。68歳でした。死因は明らかにされていませんが、ジャンシス・ロビンソンの記事によると眠っているときに亡くなったとありましたので、心臓系か何かの病死ではないかと思います。

ジム・クレンデネンは1982年にアダム・トルマック(現オーハイ)とオー・ボン・クリマを設立、サンタ・バーバラのサンタ・マリア・ヴァレーのパイオニア、特にこの地域におけるピノ・ノワール生産者の先駆けとして偉大なる足跡を残しました。1989年と90年にはロバート・パーカーに「世界のベスト・ワイナリー」の一つとして選ばれたほか、ロサンゼルス・タイムズなどでワインメーカー・オブ・ザ・イヤーに選ばれています。
サンタ・マリア・ヴァレーではビエン・ナシード、サンタ・イネズ・ヴァレーではサンフォード・アンド・ベネディクトという2つの銘醸畑のブドウや自社のル・ボン・クリマという畑などから素晴らしいワインを作ってきました。豪放磊落な見かけとは裏腹にワインは繊細さを失わないものでした。特に、バランスの取れたワインを作ることにはずっとこだわっており、2010年代にIPOB(In Pursuit of Balance)ができたときには、時代が彼にようやく追いついてきたと感じたものです。評論家から高い点数を得ることよりも、自分が納得するワインを作り続けた人でした。
ただ一つ例外があって、フラッグシップのシャルドネ「ニュイ・ブランシェ」は当初「新樽200%」として発酵と熟成両方に新樽100%使いました。これはオー・ボン・クリマでは評論家から高い点は取れないと言われたことへの反発で作ったもので、実際にこれで高い評判を得てからは、バランスの取れたスタイルへと転換しています。
また、オー・ボン・クリマはワインを値上げしないことでも独自性を貫きました。2020年のワイナートのカリフォルニア・ピノ・ノワールの特集ではフラッグシップのピノ・ノワール「イザベル」(名前は長女より)の値段を最初の年から1ドルも変えていないと、明らかにしていました。
親日家としても知られており、日本には毎年複数回来ていました。イザベルさんは日本の漫画が好きで日本語を勉強し、日本のインポーターでインターンとして働いたことがあり、長男のノックスさんは現在日本に留学中です。そんなこともあって、コロナ禍の昨年秋にも来日されていました。私はそのときのイベントに出席予定だったのが、用事が入ってしまい行けなかったのですが、「どうせまた来たときに会えるだろう」と思っていたことが悔やまれます。

こちらの写真はアカデミー・デュ・ヴァンの講座でオー・ボン・クリマの解説をしたときのもの。彼の残したワイン、また飲みたいと思います。
参考:
IPOBミニインタビューその6――ジム・クレンデネン/オー・ボン・クリマ
オー・ボン・クリマのラベルはなぜ三角形なのか
IPOB解散――メンバーはどう受け止めたか(ジム・クレンデネン)
オー・ボン・クリマが11年ぶりに作る幻のフラッグシップ・ピノ・ノワール
しあわせワイン倶楽部

ジム・クレンデネンは1982年にアダム・トルマック(現オーハイ)とオー・ボン・クリマを設立、サンタ・バーバラのサンタ・マリア・ヴァレーのパイオニア、特にこの地域におけるピノ・ノワール生産者の先駆けとして偉大なる足跡を残しました。1989年と90年にはロバート・パーカーに「世界のベスト・ワイナリー」の一つとして選ばれたほか、ロサンゼルス・タイムズなどでワインメーカー・オブ・ザ・イヤーに選ばれています。
サンタ・マリア・ヴァレーではビエン・ナシード、サンタ・イネズ・ヴァレーではサンフォード・アンド・ベネディクトという2つの銘醸畑のブドウや自社のル・ボン・クリマという畑などから素晴らしいワインを作ってきました。豪放磊落な見かけとは裏腹にワインは繊細さを失わないものでした。特に、バランスの取れたワインを作ることにはずっとこだわっており、2010年代にIPOB(In Pursuit of Balance)ができたときには、時代が彼にようやく追いついてきたと感じたものです。評論家から高い点数を得ることよりも、自分が納得するワインを作り続けた人でした。
ただ一つ例外があって、フラッグシップのシャルドネ「ニュイ・ブランシェ」は当初「新樽200%」として発酵と熟成両方に新樽100%使いました。これはオー・ボン・クリマでは評論家から高い点は取れないと言われたことへの反発で作ったもので、実際にこれで高い評判を得てからは、バランスの取れたスタイルへと転換しています。
また、オー・ボン・クリマはワインを値上げしないことでも独自性を貫きました。2020年のワイナートのカリフォルニア・ピノ・ノワールの特集ではフラッグシップのピノ・ノワール「イザベル」(名前は長女より)の値段を最初の年から1ドルも変えていないと、明らかにしていました。
親日家としても知られており、日本には毎年複数回来ていました。イザベルさんは日本の漫画が好きで日本語を勉強し、日本のインポーターでインターンとして働いたことがあり、長男のノックスさんは現在日本に留学中です。そんなこともあって、コロナ禍の昨年秋にも来日されていました。私はそのときのイベントに出席予定だったのが、用事が入ってしまい行けなかったのですが、「どうせまた来たときに会えるだろう」と思っていたことが悔やまれます。

こちらの写真はアカデミー・デュ・ヴァンの講座でオー・ボン・クリマの解説をしたときのもの。彼の残したワイン、また飲みたいと思います。
参考:
IPOBミニインタビューその6――ジム・クレンデネン/オー・ボン・クリマ
オー・ボン・クリマのラベルはなぜ三角形なのか
IPOB解散――メンバーはどう受け止めたか(ジム・クレンデネン)
オー・ボン・クリマが11年ぶりに作る幻のフラッグシップ・ピノ・ノワール
しあわせワイン倶楽部