年末,図書館に行ったとき,新規入荷本として並んでいた本の中に「ざわわ ざわわの沖縄戦」という本がありました。沖縄戦に関する著作はそれなりに読んだつもりでしたが,さとうきび畑にまつわる話を集めたものということで,興味を持って借りてみました。実は有名な「さとうきび畑」や「島唄」に出てくる場面について疑問があったからです。

沖縄の風景の一つとしてさとうきび畑は誰の目にも思い浮かびますが,沖縄戦のさなかではとにかく食料がなかったという話も聞きます。果たして「ざわわ ざわわ」と鳴るさとうきび畑,あるいは「あなたと出会い」「友と歌った」さとうきび畑は本当に沖縄戦の中にもあったのか,というのがその疑問です。この本の筆者も「さとうきび畑」の歌からその探求を始めています。








結論を言うと,さとうきび畑は沖縄の人たちの貴重な栄養源として戦争中も大きな役割を果たしたことは明らかです。ただ,食料としての重要性や隠れ場にもなることから沖縄戦末期の1945年6月ころには,米軍は火炎放射器などでさとうきび畑をどんどん焼き討ちにしていったのでした。そのころにはせいぜい焼け残った茶色いきびの一部が食べられたらよいほうで,緑の葉を付け,風になびくさとうきび畑は最早なかったというのが現実だったようです。実際,沖縄の人の中には「さとうきび畑」の歌を実態にそぐわないとしていやがっている人も少なからずいる,ということも知りました。

筆者は元読売新聞の記者で在職中に戦争経験の記録をまとめたもので菊池寛賞を受賞したという人。新聞記者らしく取材から出てきた事実を丹念に積み重ねて文章にしていく姿には大変好感が持てました。ひさびさに素晴らしいノンフィクションを読んだ気がしました。

そこで,同じ著者のものをもっと読んでみたいと思って選んだのが「沖縄の島守―内務官僚かく戦えり」です。沖縄戦間近の1944年に赴任し,住民疎開などに力を振るった荒井退造警察部長と,前任者の「逃亡」により生きて帰れる望みがほとんどないと知りつつ1945年1月に沖縄県知事になった島田叡(あきら)氏。この二人の話です。

内心では内地への異動を望みながら,職務を全うした荒井警察部長,最後まで住民のことを考え,自らは高潔を保った島田知事。どちらもとにかく人間として素晴らしく,目頭を熱くせずに読むことはできませんでした。

また,これまで明らかでなかった,あるいはあまり喧伝されていなかった事実も書かれています。例えば,沖縄から本土への疎開船。乗員ほとんどがなくなった対馬丸の悲劇ばかりが有名ですが,実は対馬丸以外には遭難した船はなく,多くの住民を疎開させたという事実は今回初めて知りました。また島田知事が自ら台湾に飛んで交渉した米の輸入も,これまでは実現しなかったものと言われていましたが,実際には輸入され,多くの住民の胃袋に入ったことも知りました。さらに公式の記録では分かっていない島田知事の最後についての言及もあります。

また,戦時中の沖縄の奮闘を伝えるものとして大田海軍中将による「沖縄県民斯く戦へり」の電文は広く知られていますが,大田中将と島田知事との交流も初めて知り,この電文の背景が分かりました。これ自体,本当に涙なしでは読めないものです。

どちらの本もすばらしく,ぜひ一度手にとって読んで欲しいものです。どちらかというと後者の方がストレートなまとめ方で読みやすいのではないかと思います。