4月16日に開催されたIPOBジャパン・ツアーで来日した生産者へのインタビューを紹介していきます。最初はハーシュ・ヴィンヤーズ(Hirsch Vineyards)のジャスミン・ハーシュさんです。創設者デイビッド・ハーシュの次女であり、ワイナリーのスポークス・パーソンを務めています。また、IPOB発案者の一人であり、サンディ/ドメーヌ・ド・ラ・コートのラジャ・パーと並んでIPOBの顔でもあります。

今回はハーシュ・ヴィンヤーズについて聞くとともに、IPOBについても伺いました。
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――今回はIPOB初の米国外でのイベント開催です。最初の国外のイベントとして日本を選んだのはなぜですか。
ジャスミン:日本人はいろいろな意味で洗練されています。料理も洗練されていますし、ワインの知識も豊富です。味覚も優れています。「うまみ」を生み出したのも日本です。

――お父さんのデイビッド・ハーシュがソノマ・コーストに土地を買ったのは1978年だったと聞いています。当時は近隣には全くブドウ畑もなかったわけですが、どうしてこの土地を選んだのでしょうか。
ジャスミン:ワインを作ろうと思っていたわけではなく、その場所が気に入ったから買ったのです。実際、最初からブドウを植えていたわけではなく、最初にブドウを植えたのは1980年でした。結果的にはとてもラッキーでした。

――ハーシュとしてワインを作り始めたのは2000年代になってからですね。その理由を教えて下さい。
ジャスミン:デイビッドは根っから農作業が好きで、ブドウを作っていました。いいブドウを作るためにはワインを作る経験も必要だと考えてワイン作りを始めました。

――今でもワイン作りよりも他のワイナリーへのブドウ供給が中心ですか。
ジャスミン:今は半々です。

――現在はピノ・ノワールとシャルドネを作っていますが、他の品種は作らないのでしょうか。
ジャスミン:個人的にはシラーやシュナン・ブランもすごく好きです。ですが作り手としてはピノ・ノワールとシャルドネにフォーカスしていきます。

――今回のイベントは大盛況でした。これほど大きなイベントになることを予想していましたか。
ジャスミン:いえ、まったく。ラジャ・パーとIPOBを始めたきっかけは、ただのおしゃべりでした。今回はとても驚きました。

――米国のワイン愛好者の好みも変わってきていますか。
ジャスミン:少しずつ変わってきているのを感じています。

――最後に、昨年大怪我をされたお父さんの現在の状況を教えていただけますか。
ジャスミン:ひどい怪我でしたが、大分回復してきて、今は退院しています。現在は病院に近いヒールズバーグにいますが、もうじき家に帰れると思います。

――それは良かったです。
ジャスミン:父のことを聞いてくれてありがとうございます。
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