ジョセフ・フェルプス(Joseph Phelps)をご存じでしょうか。インシグニアというボルドー・ブレンドが有名なナパのワイナリーです。私がカリフォルニアワインにはまり始めた1990年代頃には「玄人のオーパス・ワン」といった異名もありました。オーパス・ワンはだれもが知っているカリフォルニアの名門ですが、詳しい人は実力で優るインシグニアを選ぶよ、といった意味が込められていたと思います。

実際、ロバート・パーカーのレイティングでは100点を4回取っており(オーパス・ワンは0回)、ワインスペクテーターのワイン・オブ・ザ・イヤーも受賞したことがあります(オーパス・ワンはなし)。評論家の評価ではインシグニアが上回っているといっても過言ではないでしょう。

ただ、カリフォルニア・ワインに詳しい人も、「インシグニアって畑は何?」とかって聞かれたら答えられない人がほとんどではないかと思います。オーパス・ワンならト・カロン、ドミナスならナパヌック、シェーファーならヒルサイドなど、そのワイナリーのある地域の畑と結びつくイメージを持つことが多いですが、インシグニアにはインシグニアという名前以上のイメージがあまりありません。

また、ジョセフ・フェルプスは様々な分野でナパをリードしてきたワイナリーでもあるのですが、そのこともほとんど知られていません。オーパス・ワンと同じレベルで知られていいワイナリーでありワインであるのですが、意外とちゃんと知られていない、そういう面があります。

建築業を営むジョー・フェルプスが設立したジョセフ・フェルプスは、ジョーの死後も家族が支えてきましたが、2022年にLVMH(日本ではMHD)傘下に入りました。元オーパス・ワンのデイビッド・ピアソンが社長に就任しています。

この体制になって初めての国内のイベントが開かれて、参加させていただきました。


ジョー・フェルプスは1960年代にサンフランシスコにオフィスを持ち、ナパにおけるワイナリーの建築にも携わるようになりました。それがきっかけでナパに土地を買い、1973年にワイナリーを始めます。最初のワインメーカーはドイツ出身のウォルター・シュグ。彼のリードによってナパで初めてのワインをいろいろと生み出します。まず、インシグニアはいわゆるボルドー・ブレンドの先駆者であり、一方で単一畑の名前を付けたワインでも先駆者の一つとなっています(アイズリー・ヴィンヤード)。このほかナパで初のデザート・ワイン、ナパで初のシラーなど次々に新しい試みを行っていきました。

1990年代にはソノマ・コースト(現在のウエスト・ソノマ・コースト)のフリーストーンにシャルドネとピノ・ノワールの畑を作りました。ナパのワイナリーで現ウエスト・ソノマ・コーストに進出した例は、後にウェイフェアラー(ナパのパルメイヤー)、ボアズ・ビュー(ナパのシュレーダー)などがありますが、1990年代にここに狙いをつけたのは慧眼といっていいでしょう。

また、ジョセフ・フェルプスは実はナパの中でも大地主です。ワイナリーのあるセント・ヘレナのほか、ラザフォード、オークヴィル、スタッグスリープ・ディストリクト、オーク・ノール、カーネロス、そしてサブAVAのないところを含めて9つの畑を持ち、総面積は425エーカーに上ります。例えばスタッグスリープに二つある畑の一つは有名なFAYの隣、もう一つはクリフ・レイディのポエトリーの畑のはす向かいなど、どの畑もびっくりするくらい一等地にあります。

インシグニアは、2004年以降は自社畑のブドウのみで作られています。普通のワイナリーだったら、それぞれ単一畑のワインを作っても全くおかしくないような畑のブドウをブレンドして作られているのがインシグニアなのです。単一畑としての最高を目指すのではなく、ブレンドによって最高を目指す、そんなワインです。ブレンドでフラッグシップを作るのはオー・ボン・クリマのイザベルもそうですが、意外とレアな存在であり、そもそもインシグニアがそういうスタイルであることももっと知られていいと思います。ちなみに、各ヴィンテージの畑の比率は公開されていますが、結構毎年比率は異なります。例えば今回試飲した2019年は比較的暖かい年だったせいか、やや冷涼なオーク・ノールの「Yountville」という畑のブドウが多く使われています。

自社畑における栽培では再生農法に取り組んでいます。これは土をかつての健康な状態に戻すというコンセプトの農法で、2023年頃からしばしば話題に上るようになりました。ナパではガーギッチ・ヒルズが認証を取っており、ハーランも同じような取り組みをしています。

今回はインシグニア2019とナパヴァレー・カベルネ・ソーヴィニヨン2021を試飲しました。ステーキとのペアリング付きです。




インシグニアは100%フレンチオークの新樽で2年間熟成。その後9カ月の瓶熟を経て出荷されます。
2019年は鉛筆の芯やカシス、ハーブ、生肉、コーヒーの風味があり、濃厚でパワフルなワイン。タンニンは強いがしなやかで非常に長い余韻を持ちます。多くの人がイメージするナパのカベルネの最高峰といっていいでしょう。
一方、ナパヴァレーのカベルネは新樽率は48%で、樽の半分はアメリカン・オークを使っています。その樽からくるココナッツのような甘やかな香りが特徴で、インシグニアと比べるとややタンニンが強くがっしりとしたストラクチャーを持ちます。インシグニアの洗練さと比べるとちょっと武骨な印象のあるワインです。
デイビッド・ピアソン氏はジョセフ・フェルプスのワインはしなやかなタンニンがあるので、魚料理にも合うとしていました。単純にどの魚料理でも合うわけではありませんが、特にインシグニアは幅広い料理にも合わせられそうです。

ジョセフ・フェルプスは2015年にワイナリーを拡充し、従来のワイナリー部分をゲストセンターにしています。今後はワイナリーに来る人たちをファンにすることにも一層力を入れていくようです。

インシグニアのすごさ、少しは伝わったでしょうか。機会があったらぜひ飲んでみてください。