スタッグス・リープ・ワイナリーの創設者、カール・ドゥマーニが死去

スタッグス・リープ・ワイナリー(Stags’ Leap Winery)の創設者であるカール・ドゥマーニ(Carl Doumani)が4月22日になくなりました。92歳でした。7年前からアルツハイマー病を患っており、昼寝中にそのまま亡くなられたそうです。波乱万丈な人生でしたが、平穏な最後を迎えられたようです。
カールの母親はカードゲームが得意で、父親は先物取引の業者でした。カールもその血を引き継いでギャンブラーとして育ち、生涯さまざまな賭けを打ちました。
1970年頃、ナパに家を持ちたいと土地を探しており、今のスタッグス・リープに400エーカーの土地と歴史的な建造物を紹介されました。彼は農業もワイン造りも経験ありませんでしたが、その建物で宿を開いてブドウを販売しようと考えて購入しました。

家は長年放置されており、大規模な改修が必要でした。ただ、規制の厳しいナパヴァレーで宿を開くのは難しく、結局家族でその家に引っ越してきました。畑には樹齢100年にもなるプティ・シラーが植わっており、植え替えの資金もなかったことから、それでワインを造ることにしました。
その後も平穏ではなく、担保にしていた土地開発の会社が倒産して、いとこが経営していたラスベガスのトロピカーナ・ホテルで総支配人として1年間働くといったこともありました。
また、パリスの審判で有名になったスタッグス・リープ・ワイン・セラーズ(Stag's Leap Wine Cellars)のウォーレン・ウィニアルスキーとはスタッグス・リープの名称を巡って裁判になりました。最終的にドゥマーニのワイナリーは「Stags'」、ウォーレン・ウィニアルスキーのワイナリーは「Stag's」、AVAの名称は「Stags」とアポストロフィで使い分けることになりました。
1980年代にはナパの好景気を満喫しました。シルヴァー・オークのジャスティン・マイヤーらと10人で「GONADS(無意味かつ放蕩な美食家協会)」を始め、月に一回ランチ会を開いていましたが、いろいろと問題を起こし、訴追などを避けるためにメキシコに移りました。それがきっかけで1995年にはエンカンタードというメスカルの製造・販売を始めました。
周囲が彼の基準についてきてくれなかったこともあり、ビジネスに嫌気がさして1997年にはワイナリーをベリンジャー(現トレジャリー・ワイン・エステーツ)に売却。元の土地の一部を保有して、新たなワイナリー「キホーテ(Quixote)」を興しました。キホーテはスペインの小説家セルバンテスの有名な小説「ドン・キホーテ」から取った名前で、波乱万丈な人生を送るカールにはぴったりでした。

このワイナリーはオーストリアの建築家フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーによるもので、北米では唯一の彼の作品です。(1)直線を使わない、(2)屋根には草が生えている、(3)どの建物にも金の小塔がある(男性の象徴的意味合い)、(4)色こそ王様、といった設計のルールがあったとのこと。ワインのラベルもフンデルトヴァッサーのデザインです。

キホーテではまたプティ・シラーに注力しましたが、2014年に売却。2エーカーだけブドウ畑を残し、その後は「¿Como No?」という小さなワイナリーを営みましたが2018年に生産を中止しました。
謹んでお悔やみ申し上げます。