たまには戯言記事を。
この人の文章は面白いなあ。特にこのパラグラフの最後の「父曰く、ひとの話を聞かないのは主義らしい。聞かなイズム。聞けよ。」のとことか。もうちょっとまっとうな道に行った方がいいとは思うけど。
まあ,この父も面白いよね。普通は聞いてなくてもそんなの宣言しないか「聞いてるよ」っていうと思う。この父にしてこの子ありか。
久々に普通にブログ読んでて吹き出しました。
"父が唐突に、「『お父さんはちっともひとの話を聞いてない』と、おまえのお母さんによくなじられるが、たしかに父さん、ひとの話なんか全然聞いてないんだ」と宣言する。"
ビロウな話で恐縮です日記 結婚式に行く
この人の文章は面白いなあ。特にこのパラグラフの最後の「父曰く、ひとの話を聞かないのは主義らしい。聞かなイズム。聞けよ。」のとことか。もうちょっとまっとうな道に行った方がいいとは思うけど。
まあ,この父も面白いよね。普通は聞いてなくてもそんなの宣言しないか「聞いてるよ」っていうと思う。この父にしてこの子ありか。
久々に普通にブログ読んでて吹き出しました。
三線引きの端くれとして,「十九の春」はときどき弾くことがあります。古くは田端義夫が歌ってヒットしたことで知られていますが,近年では「ナビィの恋」で,この歌が主役と言ってもいいほど重要な位置を占めており,それで知った人も多いかもしれません。これほど有名な曲でありながら,弾く側に立ってみるとちょっとあれっというところもあります。
この曲は沖縄のメロディではありません。ヤマト(本土)の演歌に近い感じがします。そして歌詞も沖縄の言葉ではありません。唯一「同じコザ市に住みながら」の部分が沖縄固有な部分です。「奥山住まいのウグイスは」といった歌詞も沖縄というよりもヤマトを感じさせます。どうしてこれが沖縄の曲なんだろう,というのは私にとっても以前からの疑問でありました。さらに,私が持っているいくつかのCDにこの曲は収録されていますが,歌詞が少しずつ違うのも不思議な気がしていました。
この本の著者である川井龍介さんは,奄美大島の有名な唄者朝崎郁恵さんが歌う十九の春を聞いたことから,そのルーツを求める旅を始めました。朝崎さんの父親が戦争中に米軍の魚雷で沈められた輸送船「嘉義丸」を悼んで作った「嘉義丸のうた」が「十九の春」と同じメロディであり,そこが旅の出発点でした。
ただ,「嘉義丸のうた」は奄美地方のごく一部,加計呂麻島だけで知られた歌。それが他の地域に伝わったとは思えません。別のルーツを探すうちに,与論島,与那国島,コザの売春婦といった,様々な可能性が見つかります。また,その過程で様々な人との出会いがあり,歴史との出会いがあります。
結局著者は完全な道筋を得るには至らなかったのですが,これが無駄な旅であったわけではありません。筆者は大阪から台湾にまでつながる「航路」としての関係を挙げていますが,私はむしろ奄美大島のはずれにある加計呂麻島,鹿児島と沖縄の境にある与論,沖縄と台湾の境にある与那国,コザの歓楽街,と何かしら「場末」を感じさせるところでこのメロディが歌われてきたことに興味を持ちました。
謎が明らかになる快感という意味ではちょっと欲求不満が残る人もいるだろうとは思いますが,民謡のルーツ探しというのは,話がすっきりしすぎないのもまたいいのではないかという気もしました。これまでよりも,この歌を大事にしなければ,とも感じました。
「十九の春」を探して うたに刻まれたもう一つの戦後史
livedoor BOOKS
書評/ルポルタージュ
朝崎郁恵さんの「十九の春」と「嘉義丸のうた」が収録された唯一のアルバムはこれ
この曲は沖縄のメロディではありません。ヤマト(本土)の演歌に近い感じがします。そして歌詞も沖縄の言葉ではありません。唯一「同じコザ市に住みながら」の部分が沖縄固有な部分です。「奥山住まいのウグイスは」といった歌詞も沖縄というよりもヤマトを感じさせます。どうしてこれが沖縄の曲なんだろう,というのは私にとっても以前からの疑問でありました。さらに,私が持っているいくつかのCDにこの曲は収録されていますが,歌詞が少しずつ違うのも不思議な気がしていました。
この本の著者である川井龍介さんは,奄美大島の有名な唄者朝崎郁恵さんが歌う十九の春を聞いたことから,そのルーツを求める旅を始めました。朝崎さんの父親が戦争中に米軍の魚雷で沈められた輸送船「嘉義丸」を悼んで作った「嘉義丸のうた」が「十九の春」と同じメロディであり,そこが旅の出発点でした。
ただ,「嘉義丸のうた」は奄美地方のごく一部,加計呂麻島だけで知られた歌。それが他の地域に伝わったとは思えません。別のルーツを探すうちに,与論島,与那国島,コザの売春婦といった,様々な可能性が見つかります。また,その過程で様々な人との出会いがあり,歴史との出会いがあります。
結局著者は完全な道筋を得るには至らなかったのですが,これが無駄な旅であったわけではありません。筆者は大阪から台湾にまでつながる「航路」としての関係を挙げていますが,私はむしろ奄美大島のはずれにある加計呂麻島,鹿児島と沖縄の境にある与論,沖縄と台湾の境にある与那国,コザの歓楽街,と何かしら「場末」を感じさせるところでこのメロディが歌われてきたことに興味を持ちました。
謎が明らかになる快感という意味ではちょっと欲求不満が残る人もいるだろうとは思いますが,民謡のルーツ探しというのは,話がすっきりしすぎないのもまたいいのではないかという気もしました。これまでよりも,この歌を大事にしなければ,とも感じました。
「十九の春」を探して うたに刻まれたもう一つの戦後史
- 川井 龍介
- 講談社
- 1785円
livedoor BOOKS
書評/ルポルタージュ
朝崎郁恵さんの「十九の春」と「嘉義丸のうた」が収録された唯一のアルバムはこれ
沖縄県南部,ひめゆりの塔から500mほど離れたところに「琉風之塔」という慰霊塔があります。戦争で亡くなった沖縄の気象台職員を祭っています。では,沖縄戦と気象台はどういう関係だったのでしょう。
沖縄戦について精力的に名著を書き続けている田村洋三さんの作品に「特攻に殉ず――地方気象台の沖縄戦」という本があるのは知っていました。ただ,もう一つピンと来ず,敬遠していたところもあるのですが,先日やっとこれを読んでみました。そして,この中の重要な登場人物である矢崎好夫さんが書いた「八月十五日の天気図―沖縄戦海軍気象士官の手記 」も。
これでやっと自分の中でいろいろなものがつながってきた感じがしました。
神風特攻隊について聞いたことがない人はいないと思いますが,特攻隊のほとんどは沖縄めがけて特攻しにいっていたことはご存知でしょうか(ちなみに神風~は海軍の名称)。特攻隊が始まったのはフィリピン戦ですが,それが大々的に作戦として実行されたのは沖縄戦でした。有名な知覧などが沖縄に向かって飛び立つ基地があったところです。このとき,爆弾を抱えた小型機にとって大事なのが天気。晴れ渡っていたらすぐに発見されてしまいますし,雲が多すぎたら相手の位置を把握できません。また,途中に前線があると飛行に大きな障害となりました。
そこで,特攻隊のために沖縄“現地”の天気予報を発信し続けたのが気象台や海軍・陸軍の気象兵だったのです。
沖縄戦について精力的に名著を書き続けている田村洋三さんの作品に「特攻に殉ず――地方気象台の沖縄戦」という本があるのは知っていました。ただ,もう一つピンと来ず,敬遠していたところもあるのですが,先日やっとこれを読んでみました。そして,この中の重要な登場人物である矢崎好夫さんが書いた「八月十五日の天気図―沖縄戦海軍気象士官の手記 」も。
これでやっと自分の中でいろいろなものがつながってきた感じがしました。
神風特攻隊について聞いたことがない人はいないと思いますが,特攻隊のほとんどは沖縄めがけて特攻しにいっていたことはご存知でしょうか(ちなみに神風~は海軍の名称)。特攻隊が始まったのはフィリピン戦ですが,それが大々的に作戦として実行されたのは沖縄戦でした。有名な知覧などが沖縄に向かって飛び立つ基地があったところです。このとき,爆弾を抱えた小型機にとって大事なのが天気。晴れ渡っていたらすぐに発見されてしまいますし,雲が多すぎたら相手の位置を把握できません。また,途中に前線があると飛行に大きな障害となりました。
そこで,特攻隊のために沖縄“現地”の天気予報を発信し続けたのが気象台や海軍・陸軍の気象兵だったのです。
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ブログを始めてから,6月23日の慰霊の日の前後は沖縄戦について書くことが通例になっています。今年は特に教科書に集団自決の軍強制があったかどうかの記述に付いて,様々な議論が起こり,例年に増してきなくさい感じが強くなっています。
ここでは,その議論については取り上げませんが,集団自決うんぬん以前に,沖縄戦で何が起こったのか,住民が今なおその“呪縛”から逃れられないのはなぜなのか,ということをもっと知るべきだと思います。
そのために,ここでは本を一冊紹介します。「沖縄戦の絵―地上戦・命の記録」。沖縄戦の記憶を,多くの住民が絵に描き,それを集めたものです。発行は2006年6月。中には戦後60年以上,だれにも言ったことがなかった辛い経験を絵に描いた人もいます。
沖縄戦について現在残っている動画や写真はほとんどすべて米軍由来のもの。当然米軍視線であり,艦砲や機銃掃射の標的となった側からの視点はありません。絵はその点,より住民側に立ったものであり,「百聞は一見にしかず」を改めて思い知らされます。
あまりにショッキングで,子供の教育などに使うには難しいかもしれませんが,機会があったら手にとってみてください。
ここでは,その議論については取り上げませんが,集団自決うんぬん以前に,沖縄戦で何が起こったのか,住民が今なおその“呪縛”から逃れられないのはなぜなのか,ということをもっと知るべきだと思います。
そのために,ここでは本を一冊紹介します。「沖縄戦の絵―地上戦・命の記録」。沖縄戦の記憶を,多くの住民が絵に描き,それを集めたものです。発行は2006年6月。中には戦後60年以上,だれにも言ったことがなかった辛い経験を絵に描いた人もいます。
沖縄戦について現在残っている動画や写真はほとんどすべて米軍由来のもの。当然米軍視線であり,艦砲や機銃掃射の標的となった側からの視点はありません。絵はその点,より住民側に立ったものであり,「百聞は一見にしかず」を改めて思い知らされます。
あまりにショッキングで,子供の教育などに使うには難しいかもしれませんが,機会があったら手にとってみてください。
言わずと知れたワイン評論家Robert Parker氏(以下敬称略)の半生を綴った伝記です。特に興味深いのはパーカーがワインを飲み始めた1967年からWine Advocateを創刊する1978年までのところ。先日紹介した「パリスの審判」と重なるところも多く,1960年代から70年代にかけて西海岸ではワイン作りが,東海岸ではワインを飲むことが発展していった様子がうかがえます。
読み物的なクライマックスは1982年のボルドーの評価をめぐるあたりでしょうか。ワインのレビューを書く人も,それまでは群雄割拠たる状況だったのが,このヴィンテージを境にパーカーの一人勝ちになっていったことが描き出されています。
それ以降はむしろ,自らが想像する以上に力を持つようになってしまったパーカーと周囲との軋轢に多くが割かれています。
個人的にはパーカーのことは好きです。まじめで実直であり,テイスティングについては何より一貫性があります。ただ,その生真面目さとやや単一的な価値観,自らの信念に向かって強烈にものを進める部分は一種ブッシュと重なるところを感じてしまいました。
また,これからどうなっていくかを考えると,パーカーの時代というのはそれほど遠くないうちに崩れていくような気がします。一番大きな理由は,一人で全世界をカバーできないこと。もちろん,Wine Advocate誌にはParker以外のReviewerもいますが,彼らがParkerと並ぶ信頼度を得ているかどうかというと,疑問です。また,パーカーが得意とするのはボルドーを中心とするカベルネ系が中心であり,現在急速に発展しているカリフォルニアのピノのような少量多種の世界ではないこと。こういった領域ではPinotReportのようなものの方が中心になっていくのではないかと思います。
まあ,これだけいろいろなことが語られるというだけでも,パーカーの存在の大きさは他を絶しているわけであり,パーカーをよく思う人,悪く思う人(特に悪く思う人は,ほとんどの悪口は既に言い尽くされていることは知っておいてほしいと思います),どちらにも読んでほしい本です。
読み物的なクライマックスは1982年のボルドーの評価をめぐるあたりでしょうか。ワインのレビューを書く人も,それまでは群雄割拠たる状況だったのが,このヴィンテージを境にパーカーの一人勝ちになっていったことが描き出されています。
それ以降はむしろ,自らが想像する以上に力を持つようになってしまったパーカーと周囲との軋轢に多くが割かれています。
個人的にはパーカーのことは好きです。まじめで実直であり,テイスティングについては何より一貫性があります。ただ,その生真面目さとやや単一的な価値観,自らの信念に向かって強烈にものを進める部分は一種ブッシュと重なるところを感じてしまいました。
また,これからどうなっていくかを考えると,パーカーの時代というのはそれほど遠くないうちに崩れていくような気がします。一番大きな理由は,一人で全世界をカバーできないこと。もちろん,Wine Advocate誌にはParker以外のReviewerもいますが,彼らがParkerと並ぶ信頼度を得ているかどうかというと,疑問です。また,パーカーが得意とするのはボルドーを中心とするカベルネ系が中心であり,現在急速に発展しているカリフォルニアのピノのような少量多種の世界ではないこと。こういった領域ではPinotReportのようなものの方が中心になっていくのではないかと思います。
まあ,これだけいろいろなことが語られるというだけでも,パーカーの存在の大きさは他を絶しているわけであり,パーカーをよく思う人,悪く思う人(特に悪く思う人は,ほとんどの悪口は既に言い尽くされていることは知っておいてほしいと思います),どちらにも読んでほしい本です。
ワイン好き,特にカリフォルニアワインのファンならば1976年のパリ・テイスティングについて,全く知らないことはないと思います。カリフォルニアワインがブラインド・テイスティングでフランスのそうそうたるワインを抑えて一位になった「事件」です。これがきっかけで,「新世界」のワインだからといってフランスワインに劣るわけではないと,カリフォルニアのみならずオーストラリアやチリ,ニュージーランドなど様々な地域で世界品質を目指したワイン作りが行われるようになりました。言わば「フランスワイン至上主義」が崩れる最初の一歩だったのです。
本書の著者であるジョージ・M・テイバー氏は,そのパリ・テイスティングを取材した唯一のジャーナリスト。それもたまたま主催者のワイン学校に通っていたからというのがその縁。彼がTime誌に記事を書いたことで一躍この試飲会のことが世界に知られたのでした。本書は「生き証人」が当時の状況を記すというドキュメンタリーとして価値が高く,読み物としても非常に上質です。カリフォルニアワイン・ファンはもちろんのこと,すべてのワイン好きの方に読んで欲しいと思いました。
内容は大きく三つに分かれています。一つは言うまでもなくパリ・テイスティングそれ自体。試飲会が開催されるまでの経緯についても詳細に追っています。次に,試飲会にいたるまでのカリフォルニアワインの歴史。特に赤で1位になったスタッグス・リープ・ワイン・セラーズのワレン・ウイニアルスキーと,シャトー・モンテレーナのジム・バーレット,マイク・ガーギッチの半生については詳しく書かれています。3番目は試飲会の巻き起こした影響としての世界のワイン生産者の動き。
試飲会の話では,これまで明らかになっていなかったこと,例えば白の試飲が終わった後,時間が押していて,赤の準備をしている間に白の結果が発表されたこと,などが書かれており,結果を知っていてもどきどきします。その場に居合わせた人が書くものだけに臨場感がとても高いです。
カリフォルニアワインの歴史のところも,当時の空気を上手に伝えています。例えば試飲会よりもさらに40年近く昔の禁酒法時代やその直後のころのワイン作りについて。当時は衛生観念も低かったため,すぐに腐ってしまうようなワインが中心でした。また,どの品種がどの地域に合うかといった考えもほとんどありませんでした。後年,「画一的」あるいは「化学ワイン」などとして非難されるUCデイヴィスによる様々な啓蒙は,このころのワインを知ることで初めてその意味合いが分かります。また,60年代から70年代にかけての新たな生産者の台頭。世界を目指すことを公言したRobert Mondaviを中心に,ナパ・バレー全体が手に手を取って高品質化にまい進していく様子が伺えます。決して試飲会の勝利はフロックでなかったのです。
三つ目の,後日談のところは,他の二つに比べると,多少平板な感じはありましたが,ジャーナリストとしてはどうしても押さえておきたいところだったのでしょう。
パリ・テイスティングについては,①フランスワインにとって不利な状況で行われた(若いワインではカリフォルニアが有利),②1位と2位の差はわずかであり,カリフォルニアが勝ったといっても統計的には意味がない,など様々な非難があります。筆者はこれらについては否定的。特に①については,主催者のスパリュアがフランスで商売をしている以上,フランスワインが勝つことを望んでいたとしています。このあたり,本書の筆者の立場からすると,自分が報じた歴史的イベントが否定的に取られるのは避けたいと思うのが自然であり,うがった見方をする人がいるかもしれません。本来なら「はめられた」審査員からの「真実」を聞いてみたい感はありますが,それが出てこないということは,やはり筆者の言うことが真実なのだろうと思います。
なお,本書の主な訳は葉山考太郎氏。訳文は悪くありませんが,ところどころ誤訳があるのは気になりました。例えばハイジ・バレット(訳ではバーレット)をスクリーミング・イーグルのオーナーとしていたり。固有名詞のカタカナにもバーレットのようにちょっと違和感があるものもありました。貴重な書籍だけに誤訳は次版で直ることを期待します。
本書の著者であるジョージ・M・テイバー氏は,そのパリ・テイスティングを取材した唯一のジャーナリスト。それもたまたま主催者のワイン学校に通っていたからというのがその縁。彼がTime誌に記事を書いたことで一躍この試飲会のことが世界に知られたのでした。本書は「生き証人」が当時の状況を記すというドキュメンタリーとして価値が高く,読み物としても非常に上質です。カリフォルニアワイン・ファンはもちろんのこと,すべてのワイン好きの方に読んで欲しいと思いました。
内容は大きく三つに分かれています。一つは言うまでもなくパリ・テイスティングそれ自体。試飲会が開催されるまでの経緯についても詳細に追っています。次に,試飲会にいたるまでのカリフォルニアワインの歴史。特に赤で1位になったスタッグス・リープ・ワイン・セラーズのワレン・ウイニアルスキーと,シャトー・モンテレーナのジム・バーレット,マイク・ガーギッチの半生については詳しく書かれています。3番目は試飲会の巻き起こした影響としての世界のワイン生産者の動き。
試飲会の話では,これまで明らかになっていなかったこと,例えば白の試飲が終わった後,時間が押していて,赤の準備をしている間に白の結果が発表されたこと,などが書かれており,結果を知っていてもどきどきします。その場に居合わせた人が書くものだけに臨場感がとても高いです。
カリフォルニアワインの歴史のところも,当時の空気を上手に伝えています。例えば試飲会よりもさらに40年近く昔の禁酒法時代やその直後のころのワイン作りについて。当時は衛生観念も低かったため,すぐに腐ってしまうようなワインが中心でした。また,どの品種がどの地域に合うかといった考えもほとんどありませんでした。後年,「画一的」あるいは「化学ワイン」などとして非難されるUCデイヴィスによる様々な啓蒙は,このころのワインを知ることで初めてその意味合いが分かります。また,60年代から70年代にかけての新たな生産者の台頭。世界を目指すことを公言したRobert Mondaviを中心に,ナパ・バレー全体が手に手を取って高品質化にまい進していく様子が伺えます。決して試飲会の勝利はフロックでなかったのです。
三つ目の,後日談のところは,他の二つに比べると,多少平板な感じはありましたが,ジャーナリストとしてはどうしても押さえておきたいところだったのでしょう。
パリ・テイスティングについては,①フランスワインにとって不利な状況で行われた(若いワインではカリフォルニアが有利),②1位と2位の差はわずかであり,カリフォルニアが勝ったといっても統計的には意味がない,など様々な非難があります。筆者はこれらについては否定的。特に①については,主催者のスパリュアがフランスで商売をしている以上,フランスワインが勝つことを望んでいたとしています。このあたり,本書の筆者の立場からすると,自分が報じた歴史的イベントが否定的に取られるのは避けたいと思うのが自然であり,うがった見方をする人がいるかもしれません。本来なら「はめられた」審査員からの「真実」を聞いてみたい感はありますが,それが出てこないということは,やはり筆者の言うことが真実なのだろうと思います。
なお,本書の主な訳は葉山考太郎氏。訳文は悪くありませんが,ところどころ誤訳があるのは気になりました。例えばハイジ・バレット(訳ではバーレット)をスクリーミング・イーグルのオーナーとしていたり。固有名詞のカタカナにもバーレットのようにちょっと違和感があるものもありました。貴重な書籍だけに誤訳は次版で直ることを期待します。
「世界初」のNucleusの本が日本で出ます。とりあえず一家に一冊ですね。
ガルシア・マルケスの作品で最初に読んだのは多分「エレンディア」だったと思います。「100年の孤独」も間を空かずに読んだ気がします。「気がする」というのは内容をほとんど覚えていないのです。とにかくその神話的世界の奥深さにやられてしまって,何がないやら分からぬままに読み捨ててしまったというのが正直なところ。今となってみればそれが正しい読み方だったのかもしれませんが,当時としてはちょっと辟易気味で,「もうガルシア・マルケスはいいや」と思っていました。ところが最近,比較的短い小説「わが悲しき娼婦たちの思い出 」を読んで,これは面白いと思い,大作のこちらも読んでみることにしたわけです。
で,感想としては「これもとても面白かった」のです。すらすら読めてしまったのも意外な感じ。「百年の孤独」などと比べ,登場人物がそれほど多くなかったり,首尾一貫するテーマがあるのが読みやすかった理由でしょうか。マルケスも年を取ったし,自分も年を取ったのもあるかもしれません。
物語は淡々と進みます。淡々とというのは何も起こらないということではなく,極めてドラマチックなことも過剰な描写がなく,実にあっけなく起こり,次に進んでいくのです。
余談になりますが,小説・物語には「予定調和」といったものがあると思います。歴史小説など結末が分かっているものはその最たるもので,予想外のことはまず起こりません。推理小説などの「どんでん返し」も一種の予定調和だと思います。読者の予想通りに進めて行って最後だけひっくり返すわけです。
この小説にはそれがほとんどありません。次のページで何が起こるのか,そこにたどり着かないとわからないのです。ハードボイルドのドキドキともまた違います。何か常に新鮮なのです。僕にはこの点がこの小説の魅力の第1に思えました。「上手な」「読みやすい」文章とはかなり対極にあるのですが。
また,表現があっさりしている一方で,登場人物の心持はねちっこく,50年という歳月を一瞬のように感じさせます。ここも面白いところ。それでいながら終盤,急に「老い」を意識させるあたり,すごいと思いました。
この記事を読んでこの本を読む人は多分いないでしょうが,「普通の小説に飽きてしまった」人にはぜひ読んで欲しいと思います。
で,感想としては「これもとても面白かった」のです。すらすら読めてしまったのも意外な感じ。「百年の孤独」などと比べ,登場人物がそれほど多くなかったり,首尾一貫するテーマがあるのが読みやすかった理由でしょうか。マルケスも年を取ったし,自分も年を取ったのもあるかもしれません。
物語は淡々と進みます。淡々とというのは何も起こらないということではなく,極めてドラマチックなことも過剰な描写がなく,実にあっけなく起こり,次に進んでいくのです。
余談になりますが,小説・物語には「予定調和」といったものがあると思います。歴史小説など結末が分かっているものはその最たるもので,予想外のことはまず起こりません。推理小説などの「どんでん返し」も一種の予定調和だと思います。読者の予想通りに進めて行って最後だけひっくり返すわけです。
この小説にはそれがほとんどありません。次のページで何が起こるのか,そこにたどり着かないとわからないのです。ハードボイルドのドキドキともまた違います。何か常に新鮮なのです。僕にはこの点がこの小説の魅力の第1に思えました。「上手な」「読みやすい」文章とはかなり対極にあるのですが。
また,表現があっさりしている一方で,登場人物の心持はねちっこく,50年という歳月を一瞬のように感じさせます。ここも面白いところ。それでいながら終盤,急に「老い」を意識させるあたり,すごいと思いました。
この記事を読んでこの本を読む人は多分いないでしょうが,「普通の小説に飽きてしまった」人にはぜひ読んで欲しいと思います。
「宮部みゆきってすごいなあ」と思ったことがあります。模倣犯の前半を読んだときでした。日本のミステリーで面白いと思ったことはほとんどないのですが(経験値が低いというのも確かですが),このときはためいきが出るくらい面白かったです。ただ,それは最後まで続かず,後半も終わりに近付くほどグダグダになってしまったのはいただけなかったのですが。さて,ちょうどこの本を読んだところで「吉川英治文学賞」受賞ということで,感想を書いてみることにしました。
で,せっかく書くのになんですが,正直に言って「これが賞をもらうほどの本なの」というのが感想です。確かにうまい。文章の上手さ,組み立ての確かさでいえば100点あげていいくらい上手です。この人はきっと三題話でもさせたら右に出る人はいないのではないかなあと思うほど。でもそれだけ。後に何も残らないし,もう一回読みたいとも思いませんでした。
何がそう感じさせるのかを考えてみたところ,結局登場人物,特に主人公の魅力の低さがすべてのような気がします。あえて普通の人を登場させることで,普通の人に普通に起こりうる怖さを伝えたかったのかもしれませんがそれではねえ…。ミステリーってやっぱりそこに尽きるような気もするので。
力がある作家なのは分かるので,魅力ある人物の創造にもっと力を入れてほしいなあと思いました。
でもまあ,2,3時間ひまつぶしするにはいいと思いますよ。それようの本としては最適かも。
ちなみにこの本,図書館で借りたのですが,予約をしたときは単純計算で一人2週間ずつ借りたら1年後くらいに順番が回ってくるという状況でした。ところがみるみるうちに順番が上がっていき,実際に待ったのは4ヶ月くらい。つまりみんなすぐに読み終わって返しているということなんですね。
で,せっかく書くのになんですが,正直に言って「これが賞をもらうほどの本なの」というのが感想です。確かにうまい。文章の上手さ,組み立ての確かさでいえば100点あげていいくらい上手です。この人はきっと三題話でもさせたら右に出る人はいないのではないかなあと思うほど。でもそれだけ。後に何も残らないし,もう一回読みたいとも思いませんでした。
何がそう感じさせるのかを考えてみたところ,結局登場人物,特に主人公の魅力の低さがすべてのような気がします。あえて普通の人を登場させることで,普通の人に普通に起こりうる怖さを伝えたかったのかもしれませんがそれではねえ…。ミステリーってやっぱりそこに尽きるような気もするので。
力がある作家なのは分かるので,魅力ある人物の創造にもっと力を入れてほしいなあと思いました。
でもまあ,2,3時間ひまつぶしするにはいいと思いますよ。それようの本としては最適かも。
ちなみにこの本,図書館で借りたのですが,予約をしたときは単純計算で一人2週間ずつ借りたら1年後くらいに順番が回ってくるという状況でした。ところがみるみるうちに順番が上がっていき,実際に待ったのは4ヶ月くらい。つまりみんなすぐに読み終わって返しているということなんですね。
サンフランシスコとナパの主なレストランを紹介する本です。いわゆるグルメ本の,実際に食事にいった体験を報告するタイプの本ではなく,シェフに取材をして書くというスタイルを取っています。
料理やサービスを実際に体感して書いたという要素は比較的低く,その代わりシェフがどういう考えで取り組んでいるかといったレストランの精神がよく分かります。
店内の写真があるのが実際の雰囲気が分かっていい感じです。こういった本はこれまでなかったので,サンフランシスコやナパでおいしい食事をしたい人にとっては必読書といっても過言ではないかもしれません。
料理やサービスを実際に体感して書いたという要素は比較的低く,その代わりシェフがどういう考えで取り組んでいるかといったレストランの精神がよく分かります。
店内の写真があるのが実際の雰囲気が分かっていい感じです。こういった本はこれまでなかったので,サンフランシスコやナパでおいしい食事をしたい人にとっては必読書といっても過言ではないかもしれません。
年末,図書館に行ったとき,新規入荷本として並んでいた本の中に「ざわわ ざわわの沖縄戦」という本がありました。沖縄戦に関する著作はそれなりに読んだつもりでしたが,さとうきび畑にまつわる話を集めたものということで,興味を持って借りてみました。実は有名な「さとうきび畑」や「島唄」に出てくる場面について疑問があったからです。
沖縄の風景の一つとしてさとうきび畑は誰の目にも思い浮かびますが,沖縄戦のさなかではとにかく食料がなかったという話も聞きます。果たして「ざわわ ざわわ」と鳴るさとうきび畑,あるいは「あなたと出会い」「友と歌った」さとうきび畑は本当に沖縄戦の中にもあったのか,というのがその疑問です。この本の筆者も「さとうきび畑」の歌からその探求を始めています。
沖縄の風景の一つとしてさとうきび畑は誰の目にも思い浮かびますが,沖縄戦のさなかではとにかく食料がなかったという話も聞きます。果たして「ざわわ ざわわ」と鳴るさとうきび畑,あるいは「あなたと出会い」「友と歌った」さとうきび畑は本当に沖縄戦の中にもあったのか,というのがその疑問です。この本の筆者も「さとうきび畑」の歌からその探求を始めています。
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ロバート・パーカーが世界の著名ワイナリを紹介している本「ロバート・パーカーが選ぶ[最新版]世界の極上ワイン」(原題は「The World's Greatest Wine Estates: A Modern Perspective」)を読みました。720ページの大著で,うちカリフォルニアには100ページ強割かれています。一番多くのページが使われているのは言うまでもなくフランスで約300ページ。米国は2番目で,3番目のイタリアをわずかに上回っています。
正直に言ってカリフォルニアのワイナリのところだけを目当てに買うにはもったいない本だと思います。他国の著名ワイナリと合わせて読むことで価値が高まるでしょう。
なお,カリフォルニアで取り上げられているワイナリは,Abreu,Alban,Araujo,Beringer,Bryant,Colgin,Dalla Valle,Dominus,Dunn,Harlan Estate,Kistler,Marcassin,Peter Michael,Robert Mondavi,Montelena,Newton,Pride,Ridge,Screaming Eagle,Shafer,Sin Qua Non,Togni。このほか米国ではワシントン州のQuilceda Creekが掲載されています。
各ワイナリ記事の構成は,歴史や醸造法などファクト部分,Parkerによる解説,ワインのレビューの三つからなっています。レビュー部分の比重が案外多く,もっと解説中心かと思っていたのでちょっと意外な感じがしました。個人的にはワイン・レビュー部分は時間の経過と共に風化していきやすいので,風化しにくい解説がもっと充実していた方がよかったのではないかと思いました。例えば,Bryantでワインメーカーが交代した話は解説部分ではなくワインのレビューの中で書かれています。このあたりはちょっと違和感がありました。
とはいえ,全体的に見れば非常によくまとめていると思います。もちろんあまたあるワイナリの中でどうしてこの選択になったのか,というのはいろいろあるでしょうが,それを言い出すときりがないので… 個人的にはそれなりにバランスが取れたよい選択だと思います。
なお,今回読んだのは日本語版ですが,はっきり言って翻訳はぎごちないです。例えば,フランスのシャトー・オー=ブリオンの解説で,ここの白ワインは「生産量が非常にわずかなため,所有者の要請で格付けされたことがない」と書いてありますが,この「格付け」とはパーカーによるレイティングのことでしょう。「格付け」というと別の意味合いに取られそうな気がしました。(この部分は私の勘違いでした)。アラウホの解説の最初の文など「1971年以来,カリフォルニアで最も熟成させる価値がある数本のワインであり,強烈な風味を持つカベルネ・ソーヴィニョンが,ナパ・ヴァレーの北端近くのカリストガのすぐ東にある,評価の基準となる土地に位置するエイゼル・ヴィンヤードで栽培されたブドウから生み出された」とほとんど意味不明です。「評価の基準となる土地」ってなんでしょうか。
ということで,英語が苦手でなければ英語版を買うのもいいと思います。値段もほぼ半額と安いですし。
正直に言ってカリフォルニアのワイナリのところだけを目当てに買うにはもったいない本だと思います。他国の著名ワイナリと合わせて読むことで価値が高まるでしょう。
なお,カリフォルニアで取り上げられているワイナリは,Abreu,Alban,Araujo,Beringer,Bryant,Colgin,Dalla Valle,Dominus,Dunn,Harlan Estate,Kistler,Marcassin,Peter Michael,Robert Mondavi,Montelena,Newton,Pride,Ridge,Screaming Eagle,Shafer,Sin Qua Non,Togni。このほか米国ではワシントン州のQuilceda Creekが掲載されています。
各ワイナリ記事の構成は,歴史や醸造法などファクト部分,Parkerによる解説,ワインのレビューの三つからなっています。レビュー部分の比重が案外多く,もっと解説中心かと思っていたのでちょっと意外な感じがしました。個人的にはワイン・レビュー部分は時間の経過と共に風化していきやすいので,風化しにくい解説がもっと充実していた方がよかったのではないかと思いました。例えば,Bryantでワインメーカーが交代した話は解説部分ではなくワインのレビューの中で書かれています。このあたりはちょっと違和感がありました。
とはいえ,全体的に見れば非常によくまとめていると思います。もちろんあまたあるワイナリの中でどうしてこの選択になったのか,というのはいろいろあるでしょうが,それを言い出すときりがないので… 個人的にはそれなりにバランスが取れたよい選択だと思います。
なお,今回読んだのは日本語版ですが,はっきり言って翻訳はぎごちないです。
ということで,英語が苦手でなければ英語版を買うのもいいと思います。値段もほぼ半額と安いですし。