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Date: 2011/1212 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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地道に整備しているワイナリ紹介ページ。ナパのワイナリがついに100に達しました(ワイナリ紹介)。

記念すべき? 100個目は「Araujo」でした。

元々ナパで100、カリフォルニア全体で200のワイナリを載せるというのが、自分なりに決めた水準だったので、まずナパの部分は目標を達成したことになります。とはいえ、南から上がっていってやっとCalistogaに入ったところであり、山方面も抜けているところが多いので、ナパだけで120~130くらいになりそうです。

せめて年内にナパだけでも終わらせたいなあ。
Date: 2011/1113 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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ナパでOakvilleの北にあるのがRutherfordです。BeaulieuやInglenook(元のInglenook→Niebaum-Coppola→Rubicon Estate)といった歴史あるワイナリやAlpha Omega、Hallといった新参のワイナリが並び立つところ。

人気のワイナリFrog's Leapもこの地域であり、フラグシップのワインはその名も「Rutherford」。ここは有機栽培のパイオニアでもあります。近年はこの地域でほかにも有機栽培に取り組むところは多数。例えばHallやStaglinなども有機栽培のワイナリです。

Rutherfordのワインを形容する言葉として昔から有名なのが「Rutherford Dust」。南のOakvilleの洗練さと比べると、やや泥臭い印象を受けます。それがこの地域の良さでもあり、弱点でもあり…

地域的にはHighway29の西側の「Rutherford Bench」と呼ばれる山麓の斜面が評価が高いです。一時期Rutherford Benchで別のAVAを取ろうという動きがありましたが、それは成立しませんでした。

Ruthefordのワイナリ紹介
Date: 2011/1027 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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Oakvilleにある主要なワイナリの一覧を作りました。(抜けているところがあったら教えて下さい)


Oakvilleのワイナリ一覧

ナパのAVAはどこも有名なワイナリを抱えていますが、中でもOakvilleは高級ワイン、それもCabernet Sauvignonなどのオンパレードです。Opus One、Harlan Estate、Robert Mondavi、Dalla Valle、Screaming Eagle、などなど。敢えて「カルトワインの聖地」と呼んでも、文句は出ないでしょう。

Oakvilleは大きく分けて、Highway29の西側の山麓のスロープ、谷底の平地、Silverado Trail近辺から東の斜面にかけての赤土地帯からなります。高級ワインは主に両脇の斜面でできます。西側の斜面の代表がHarlanや、MondaviのTo Kalon。東の代表が、Dalla ValleやScreaming わEagleです。西側は太平洋からの涼しい風の影響があり、やや気温が低く、ブドウがゆっくりと熟成します。東側は気温は高めですが、土壌のため、ミネラル感がでてきます。
Date: 2011/1016 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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このところ、ワインの本以外に、知り合いがEPUBで電子書籍を作るのを手伝ったりしています。おりしも縦書きやルビなどをサポートしたEPUB3が策定されたこともあり、EPUBの記事を見かけることが増えています。

一方で、電子書籍全体を見ると、シャープのGALAPAGOSが路線変更を迫られたように、電子書籍自体の市場の伸び悩みという話もあります。

個人的には、最近EPUBをいろいろといじった感想として、これは間違いなく流行るだろうと思っています。特に、メルマガのフォーマットとして有力ではないかと感じています。ここでは10項目でそれを論じます。

1.作るのに特別な知識が要らない
  EPUBは簡単に言えば、XHTMLあるいはHTML5でページを作り、XMLで目次など書誌情報を入れ、ZIPで固めたものです。難しい技術は何もありません。ページサイズがデバイスによって大きく変わることさえ意識しておけば大丈夫です。習得が容易であることは普及において極めて重要な要素です。ツールもどんどん出てくることと思います。

2.いろいろなデバイスで見られる
  これからの時代、スマートフォンで見られないコンテンツは機会を大きく損じていることになります。Webページの場合、User-Agentによって表示を変えられますが、パッケージ化されたコンテンツではその手は使えません。代表的なパッケージコンテンツであるPDFの場合も、PC用のものをスマートフォンで見ると字が小さくなり過ぎてしまうのが大きな弱点です。EPUBであれば、一つのコンテンツがいろいろなデバイスの上で見られます。

3.ネットがない環境で見られる
  ダウンロードしてしまえば、ネットがない環境でも見られるのが普通のWebページと比べた大きなメリットです。筆者がカリフォルニアワインの本をEPUBで作りたいと思ったのも、旅行中などでネットにつなぎにくい環境でも簡単に見られるようにしたかったからです。

4.ネットとの親和性が高い
  EPUBの表示はHTMLですから、既存のWebページへのリンクも入れておけます。Webのコンテンツを移植するのも簡単です。

5.Kindleが来ても簡単に変換できる
  電子書籍の黒船と言われているKindleはEPUBには対応していません。しかしAmazon自身がEPUBをKindleの形式に変換するツールを作っているので、EPUBで作っておけば簡単にKindle用にできます。

6.動画や音声付きの本が作れる
  AppleのiBooksはQuickTimeの動画や音声を再生できますし、今後EPUB3が普及すれば、HTML5対応の動画が見られるビューワも増えるでしょう。こういったものが簡単に作れるのはPDFに比べて大きな魅力です。

7.アプリケーションにもなる(EPUB3で)
  EPUB3はJavaScriptも利用できるようになります。ビューワによって対応しないものもありますが、むしろここが差異化のポイントになってくるような気がします。例えばパズル系の本など、JavaScriptで解けるようになれば、本というよりアプリケーションと言っても過言ではなくなるのではないかと想像しています。これもPDFではできないことです。


8.目次は便利
  目次はEPUBの基本機能ですが、普通のHTMLと比べると、これがあるのは大きなメリットです。長いメルマガなどが、EPUBで配信されるようになると、目次機能で見たいところをすぐに見られて便利だと思います。

9.保存できる
  例えば、有料のメルマガなど、まとめて保存しておきたいと思うことはあるでしょう。EPUBはファイルとして保存できるので、普通のHTMLよりも保存が楽です。個人的には今のPodcastみたいな感じでEPUBの購読ができるといいのに、と思います。iPhoneのNewsstandはちょっとアプリより過ぎていまいちな気がするのですがどうでしょうか。

10.もしかしたらブラウザの標準機能に入るのでは
  EPUBの表示はHTMLですから、WebkitなどHTMLのエンジンを使って開発するのが普通です。裏を返せば、WebブラウザでEPUBを表示するのも簡単です。今後はWebブラウザの基本機能に入ってくる可能性もあるでしょう。
Date: 2011/1010 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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YountvilleというとFrench Laundryをはじめとするレストランで有名ですが、ワイナリも数は多くないものの、優れたところがあります。
Date: 2011/1004 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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常にカリフォルニアワインの中心だったナパは、カルトワインブーム以降、求心力を失っているように見えます。変わってソノマやセントラル・コーストのワイナリに注目が集まるようになりました。


2004年に公開された映画「Sideways(サイドウェイ)」は、Santa Barbara(サンタ・バーバラ)を舞台にしており、主人公が好きなワインもPinot Noir(ピノ・ノワール)でした。ここからピノブームが始まりました。


ソノマではWine Spectator誌で高く評価されて一時期カルト的な人気を博したKosta Browne(コスタ・ブラウン)や、請負のワインメーカーを大幅に減らしたHelen Turley(ヘレン・ターリー)のワイナリMarcassin(マーカッサン)、Kistler(キスラー)などが注目を受けました。いずれもPinot Noirを得意としており、MarcassinとKistlerはシャルドネでもトップクラスです。


セントラルコーストではMonterey(モントレー)近くのSanta Lucia Highlands(サンタ・ルシア・ハイランズ、SLH)とSanta BarbaraのSanta Rita Hills(サンタ・リタ・ヒルズ)がPinot Noirの産地として急上昇しました。SLHではブルゴーニュのLa Tacheから枝木を持ち帰って植えたという伝説を持つGary Pisoniが持つPisoniの畑や、Gary Pisoniの盟友であるGary Franscioniと共同で持つGarys'の畑など、ブドウ畑が注目されました。多くのワイナリがPisoniやGarys'のブドウを使ったPinot Noirを作っています。また、Santa BarbaraのSanta Rita Hillsでは、若いワインメーカーが切磋琢磨して品質を向上させました。Loring(ロウリング)やBrewerーClifton(ブリュワー・クリフトン)といったワイナリに注目が集まりました。


カリフォルニアの中央近くPaso Robles(パソ・ロブレス)も注目の地域です。Alban(アルバン)やSaxum(サクサム)などシラー系のワインが特に品質が高く、この二つのワイナリはRobert Parkerが100点を付けたワインがあります。


※歴史シリーズはこれで終了です。
Date: 2011/1002 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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2001年にインターネット・バブルが弾け、高額ワインを購入していたシリコンバレーの顧客が減ったことで、カルトワインのブームは収束しました。ただ、一回上がったワインの値段は簡単には下がらず、ナパを中心とするワイン業界は苦しいときを迎えます。中小のワイナリが大資本のアルコール飲料メーカーに買収されるといったことが頻繁に起こるようになりました。


それを象徴するのがRobert Mondaviです。バブル期に多くの投資や寄付をした付けが回り、経営が苦しくなってしまったのです。例えばナパに鳴り物入りで作ったCopia(コピア:The American Center for Wine, Food and the Arts)やUC Davisに多額の寄付をしていました。2004年、ついにコロナ・ビールなどを有する大資本のConstellation BrandsがOpus Oneを含むRobert Mondavi社を買い取りました。


さらに、Robertの長男Michaelと次男のTimとの間の不仲も表面化し、両者は別々の道を歩むことになりました。MichaelはMichael Mondavi Family Estate(マイケル・モンダヴィ・ファミリー・エステイト)というワイナリを興しており、TimはRobert夫妻や姉とContinuum(コンティニュアム)というワイナリを作っています。一方で、Robertは実弟Peterと仲違い以降初めて一緒にワインを作り、一応仲違いは終わりました。Robert Mondaviは2008年、91歳で亡くなり、ついに一時代が終わりました。


2000年代になってRobert Mondavi以外にもSanford(サンフォード)、Arrowood(アローウッド)、Gary Farrell(ゲイリー・ファレル)など創業者の名前が付いたワイナリが大資本に買われています。


2007年のリーマンショックは、不況に追い打ちをかけました。25ドルを越える価格のワインの売り上げが急減したのです。ワインの消費は減っていないものの高額なワインは売れない状況が続いています。
Date: 2011/0925 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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ここまで紹介しているのは歴史の章ですが、実際には本の大部分はワイナリの紹介になる予定です。最低でも100、できたら200くらいのワイナリを紹介したいと思っています。

当然、「訪問する」ワイナリだけでなく、「飲む」ためのワイナリ紹介も兼ねるのですが、そこで悩んでいるのが訪問できないワイナリをどこで紹介するかということ。

例えばハーランみたいなワイナリは、カリフォルニアのカベルネみたいな項目を作って紹介するのがいいのか、ナパのところで書くのがいいのか、さらにブレークダウンしてOakvilleにするのがいいのか。

また、紹介するワイナリ数が多すぎると今度は初心者ガイド的な面が薄れてしまいます。初心者でも見やすく、マニアも満足という、このサイトの初心を貫くためにはどういう構成がいいのか、悩みは尽きません。

ご意見・ご要望お寄せ下さい。
Date: 2011/0925 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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1990年代末にカルト・ワインと呼ばれるワインのブームが起こりました。カルト・ワインは生産量が数百ケースと少なく、ワイナリのメーリング・リストに入って直接購入するか、オークションで買うくらいしか入手方法がありません。例えば100ドルのワインが1000ドル以上になる、といったことが珍しくありませんでした。金に糸目を付けずに買う人が多く出たことから、まるでそのワインの熱狂的信者がいるようであるという意味でカルトと付けられたのでしょう。


2000年にWine Spectatorが出したカルトワイン特集で取り上げられたのは、Araujo(アラウホ)、Bryant Family(ブライアント・ファミリー)、Colgin(コルギン)、Dalla Valle(ダラ・ヴァッレ)、Grace Family(グレイス・ファミリー)、Harlan Estate(ハーラン・エステート)、Screaming Eagle(スクリーミング・イーグル)、Shafer(シェイファー)、そしてMarcassin(マーカッサン)。MarcassinがChardonnayとPinot Noirを作っていることを除くと、いずれもCabernet Sauvignonなど、ボルドー系の品種を主とするワイナリです。また、Marcassin以外はナパのワイナリです。


カルトワインのブームと共に、スター・ワインメーカーにも脚光が当たりました。Araujo、Dalla Valle、Shaferなどに携わったTony Soter(トニー・ソーター)、Marcassinのオーナーであり、Bryant FamilyやColginなどでもワインメーカーをしたHelen Turley(ヘレン・ターリー)、Dalla Valleの立ち上げを手伝い、その後Grace FamilyやScreaming EagleのワインメーカーになったHeidi Peterson Barrett (ハイジ・ピーターソン・バレット)などがその代表です。中でもHelen Turleyは「ワインの女神」と呼ばれるほど神格化されました。


AraujoやHarlanなどでコンサルタントをするフランス人のMichelle Rolland(ミシェル・ローラン)や、畑の管理者として名を馳せたDavid Abreu(デイビッド・エイブリュー)にも注目が集まりました。


カルトワインのブームは、2001年にインターネット・バブルが崩壊したことによって終わりました。その後、第二のカルトと言われるようなワインは様々登場したものの、一時のように、オークションで価格が急騰するようなことは、なくなりました。また、Bryant家とHelen Turleyが喧嘩別れして、その後訴訟になるなど、醜い面も表面化しました。


この間に、ナパではワインの価格が大きく上昇しました。1990年代には定価100ドルを超えるワインは稀でしたが、多くのワイナリがプレミアムのワインを100ドル超の価格で売り出しました。カルトブームの後遺症は今も残っています。
Date: 2011/0922 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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1966年のRobert Mondavi Winery設立に始まった世界に通用するワインを作ろうという動きは1970年代のブティック・ワイナリの繚乱、1976年パリ・テイスティングを経て、1980年代にいよいよ花を咲かせました。


前述のOpus Oneは1984年に最初のヴィンテージを発売。50ドルという価格は、当時最も高いものでしたが、あっという間に売り切れました。「ウルトラプレミアムワイン」という新しい領域のワインが誕生したのでした。これをきっかけに、前述のDominusなど、高価格帯のワインが続々と登場しました。


ナパでは1988年に「Wine Train(ワイン・トレイン)」の運行が始まりました。環境汚染を心配する地元の反対などから、難航したプロジェクトでしたが、ナパを南北に往復する列車は観光の一つの目玉になりました。

一方で、コンシューマーにもワインはだんだん根付いて行きました。1983 年にKendall-Jackson(ケンダル・ジャクソン)が発売したシャルドネはその端的な例です。1本2ドル前後の安いジャグワインと1本10 ドルを超えるような高いブティック・ワインの両極端だった時代に、このワインは5ドルという中間的な価格で提供。それでいてシャルドネを樽発酵させるという、高級ワインの作りを志向、さらに味わいは豊かな果実味とちょっとだけ甘さを残したものでした。


ナパ・ソノマ以外にもワイン作りは広がっていきました。Santa Cruz Mountains(サンタ・クルーズ・マウンテンズ)は既に1960年代からRidge(リッジ)などのワイナリがあり、1970年代にはMonterey(モントレー)近くに、Chalone(シャローン)やCalera(カレラ)ができました。さらに南のSanta Barbara(サンタ・バーバラ)ではSanford(サンフォード)が1970年代にオープン。日本でも人気があるAu Bon Climat(オー・ボン・クリマ)は1982年に始まっています。

Date: 2011/0915 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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パリ・テイスティングでの勝利によって、欧州とくにフランスのワイナリがカリフォルニアに注目するようになりました。直接・間接的な形でカリフォルニアに進出するフランスの名門が続々と登場したのです。

その代表がRobert MondaviとChateau Mouton Rothschild(シャトー・ムートン・ロートシルト)が作ったOpus Oneです。1978年に両ワイナリによって調印され、当時としては斬新なデザインのワイナリを建築しました。ラベルにはRobert Mondaviとムートンの当主だったBaron Philippe de Rothschildのサインと横顔のシルエットが入っている、これも画期的なものでした(左のかぎ鼻がRobert Mondaviです)。ぶどう品種を名乗らない「proprietary」(プロプライエタリ)なワインの走りでもあります。

Opus One


Opus OneにはRobert Mondaviとムートンがちょうど半々ずつ出資しました。名実ともに両者が対等の立場で作ったわけです。イタリア移民の2世であるRobert Mondaviにとって、名門であるRothschild家と対等に並んだというのは極めて名誉なことでした。


シャンパーニュのメーカーもこぞって、カリフォルニアにやってきました。トップを切ったのはChandon(シャンドン)で、パリ・テイスティングに先立つ1973年にDomaine Chandon(ドメーン・シャンドン)を作りました。1980年にはPiper-HeidsieckがPiper-Sonoma(パイパーソノマ)を、1982年にはLuis RoedererがRoederer Estate(ロデレール・エステート)を設立。1985年にはMumm(マム)、1987年にはTaittinger(テタンジェ)がDomaine Carneros(ドメーン・カーネロス)を設立しました。


ボルドーからはChateu Lafite-Rothschild(シャトー・ラフィット・ロートシルト)が一番早く、テクニカルディレクターの息子だったBernard Portet(ベルナール・ポルテ)が1970年にカリフォルニアに渡り、Clos du Val(クロ・デュ・ヴァル)を設立しています。Chateau Petrus(シャトー・ペトリュス)を持つMoueix(ムエックス)家は、1981年に旧InglenookのオーナーJohn Daniel Jr.の娘Robin LailらとDominus(ドミナス)を設立、1995年からはMoueix家が100%所有するようになっています。
Date: 2011/0912 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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カリフォルニアワインの歴史は後5回で終了しますが、今日はちょっと一休みで電子書籍制作周りをちょっと書いておきます。

電子書籍を作るのはもちろん初めてなので、まずはオンラインで編集ができて、電子書籍の標準フォーマットと言えるEPUBとPDFへの書き出しができ、さらには販売するプラットフォームもある「ブクログのパブー」をまずは使うことにしました。

ここはEPUBの知識はおろか、HTMLも知らない人でも電子書籍が作れるのですが、使っているうちにだんだん不満が出てきました。

最大の不満は標準のスタイルを定義できないこと。ゴシック体のフォントを使うためには書いた文章を選んで、ゴシック体の指定をいちいちしないといけません。さらに、スタイルをHTML中にすべてインラインで書いていくためソースが汚く読みにくいこと。標準のWYSIWYGのツールで提供されている以外のこと、例えば表を作ろうとしたら、すごい手間になるだろうな、と。さらには適用されているスタイルが何か、ソースを見ないと分からないのもフラストレーションでした。

そんなとき、EPUB専門の電子書籍プラットフォーム文楽というのができたのを知り、そちらに乗り換えてもいいかと思ったわけです。EPUBのオーサリング・ツールはFUSEeというソフトのベータ版が無償で利用できるようになっていたので、今はそれを使っています。検索機能があったらな、など、機能面の期待はいろいろありますが、まずはこれで作れるところまで作ってみようという感じです。

あと、ちょっと困っているのが写真関係。表紙の画像は購入しましたが、そんなに毎回購入できないので、無償利用できるものを探しています。Flickrでクリエイティブ・コモンズのものなどを検索していますが、人の写真、例えばRobert Mondaviとかはないんですよね。どこかいいサイトがあったら教えて下さい
Date: 2011/0912 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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パリ・テイスティングの主役となったのは、Warren Winiarski(ウォレン・ウィニアスキ)のStag's Leap Wine Cellars(スタッグス・リープ・ワイン・セラーズ)や、James Barrett(ジェイムズ・バレット)のChateau Montelena(シャトー・モンテレーナ)(ワインメーカーはMike Grgich(マイク・ガーギッチ))といった、それまでと違うワイナリでした。いずれも1960年代末から1970年代に設立したワイナリです。


それまでナパを代表するワイナリであったBeaulieu(ボーリュー)や、リーダーになりつつあったRobert Mondavi(ロバート・モンダヴィ)は、プレミアムなワインを作る一方で、バルクワインと呼ばれるような低品質で安価なワインも同時に作っていました。実際、ワイナリの経営的にはバルクワインの方が重要だったわけです。


それに対して、これら新しく登場してきたワイナリは、バルクワインを作らず、高品質なワインだけを最初から志向していました。このようなワイナリを「ブティック・ワイナリ」と言います。Robert Mondaviで修行した若者が、新たにワイナリを作る、そういうエコシステムができつつありました。いくつかの例外を除けば、カリフォルニアワインが「品質」に目覚めた最初の時期と言えるでしょう。例えばHeitz Cellars(ハイツ・セラーズ)は初の単一畑のCabernet Sauvignonを作り始めました。この「Martha's(マーサズ) Vineyard」のカベルネは1970年代に大ヒットしました。


一方で、1970年代にはWhite Zinfandel(ホワイト・ジンファンデル)の誕生という、エポックもありました。White Zinfandelは1972年、ナパのSutter Home(サター・ホーム)でZinfandelをより濃く・重くするために、フリーランと呼ばれるワインを搾った最初の果汁を分けてしまうことで誕生しました。この余った果汁を使って白ワインを作ったのですが、最初はあまり売れませんでした。転機になったのは1975年。原因不明のアクシデントで発酵が途中で止まってしまい、その結果ピンク色でほのかに甘いワインになったのです。意外なことにこれが大ヒットし、作っても作っても売り切れてしまうほどの人気を博しました。
Date: 2011/0911 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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1976年5月24日、パリのInter-Continental Hotelである試飲会が開かれました。これは、パリのコンコルド広場近くで小さなワインショップを営んでいたステファン・スパリエという人が企画したもの。スパリエは数年前にナパを旅してカリフォルニアワインが意外にレベルが高いことに気付き、米国建国200周年にこの年に、フランスでももっとカリフォルニアワインを理解してもらおうと試飲会を企画したのでした。選ばれたワインはカリフォルニアからCabernet Sauvignon6種とChardonnay6種、ボルドーから赤ワイン4種、ブルゴーニュから白ワイン4種。これらを9人の審査員がブラインド・テイスティングで点数を付け、順位を決めるというものでした。


試飲に参加したのはフランス人で、いずれもワインのプロ。もちろんカリフォルニアワインなど眼中にありませんでした。ところが蓋を開けてみると、赤ワインではStag's Leap Wine Cellarsのものが、白ワインではChateau Montelenaのものがトップでした(試飲の順序は白が先)。

赤ワインのランキング

1 Stag's Leap Wine Cellars 1973 米国
2 Château Mouton-Rothschild 1970 フランス
3 Château Montrose 1970 フランス
4 Château Haut-Brion 1970 フランス
5 Ridge Vineyards Monte Bello 1971 米国
6 Château Leoville Las Cases 1971 フランス
7 Heitz Wine Cellars Martha's Vineyard 1970 米国
8 Clos Du Val Winery 1972 米国
9 Mayacamas Vineyards 1971 米国
10 Freemark Abbey Winery 1969 米国

白ワインのランキング

1 Chateau Montelena 1973 米国
2 Meursault Charmes Roulot 1973 フランス
3 Chalone Vineyard 1974 米国
4 Spring Mountain Vineyard 1973 米国
5 Beaune Clos des Mouches Joseph Drouhin 1973 フランス
6 Freemark Abbey Winery 1972 米国
7 Batard-Montrachet Ramonet-Prudhon 1973 フランス
8 Puligny-Montrachet Les Pucelles Domaine Leflaive 1972 フランス
9 Veedercrest Vineyards 1972 米国
10 David Bruce Winery 1973 米国

このイベントを取材したジャーナリストはジョージ・ティーバーというアメリカ人ただ一人。彼がTime誌に記事を書いたことで、この試飲会はパリ・テイスティングあるいはパリスの審判として後世にまで伝えられることになったのでした。

スパリエは、米国産ワインが健闘するだろうとは思っていたものの、まさか勝つとは想像していませんでした。ブラインド・テイスティングしたフランス人審判たちも、よもや1位を米国のワインに取られるとは思っていませんでした。逸話によると逆上した審判の一人が投票用紙を取り返そうとしたとのことです。

まだ若いワインだったからカリフォルニアの方が飲みやすかったのではないかとか、赤ワインの差はほとんどなかったなど、後付けの理由はいろいろ考えられますが、とにもかくにもカリフォルニアが一位だったことには変わりありません。


それまで、Robert Mondaviのように世界のトップになるんだと公言している人はいたものの、それを真面目に受け取る人はまだ少数でした。この結果がもたらしたものは、大きな自信でした。ナパが現在のように発展したことにもつながっているでしょう。


なお、30年後の2006年に行われた回顧イベントでは、当時のワイン(赤のみ)による試飲が行われ、今度はRidgeのMonte Bello1971が一位になりました。カリフォルニアワインは熟成能力でもフランスの一級品に負けていないことを改めて示した格好になりました。

1 Ridge Vineyards Monte Bello 1971 米国
2 Stag's Leap Wine Cellars 1973 米国
3 Mayacamas Vineyards 1971 (同点) 米国
4 Heitz Wine Cellars 'Martha's Vineyard' 1970 (同点) 米国
5 Clos Du Val Winery 1972 米国
6 Château Mouton-Rothschild 1970 フランス
7 Château Montrose 1970 フランス
8 Château Haut-Brion 1970 フランス
9 Château Leoville Las Cases 1971 フランス
10 Freemark Abbey Winery 1969 米国
Date: 2011/0910 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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Robert Mondaviの父Cesare Mondavi(チェザーレ・モンダヴィ)は1906年にイタリアから米国に移住してきました。当初はミネソタの鉱山で働き、1920年代にカリフォルニアのLodi(ロウダイ)に移ってきました。禁酒法の間、ブドウを東部に運んで売るビジネスを手がけ、禁酒法が開けてからは、ナパのSt. HelenaにあるSunny St. Helena(サニー・セント・ヘレナ)というバルクワインのワイナリに出資しました。


長男のRobertはスタンフォード大学を卒業後、Sunny St. Helenaで働き、1943年にナパの老舗ワイナリCharles Krug(チャールズ・クリュッグ)が売りに出ていることを知りました。両親が出した条件は兄弟が仲良く携わること。弟のPeterがワイン作り、Robertがセールスを担当する形で一家のワイナリが本格的にスタートしました。


1959年にCesareが亡くなり、兄弟の亀裂が次第に明らかになっていきました。Robertは常に拡大志向、上昇志向であり、質の向上のためには金に糸目を付けないところがありました。一方Peterは堅実で、投資には慎重でした。1965年11月、二人は大げんかをし、母親のRosaはPeterに付いたため、Robertは勘当されました。


翌1966年、RobertはRobert Mondavi Wineryを作り、世界トップのワインを作るという夢の実現に向かって進み始めました。


Robert Mondaviは、アメリカ人にワインの文化を根付かせることを考えていました。そのためには、ワインだけでなくそれに合う料理も必要です。その楽しさを伝えることも大事です。そこで、ワイナリを観光の目的地にすることを考え、ワインに合った食事を広げることを考えました。ワイナリの見学ツアーを始めたり、料理番組で有名なJulia Child(ジュリア・チャイルド)や、カリフォルニア料理の生みの親でサンフランシスコ近郊のバークレーにレストランChez Panisse(シェ・パニース)を開いたAlice Waters(アリス・ウォーターズ)と協力して、料理を伝えたりしました。


ワインでは、それまで甘口のワインにしか使われていなかったSauvignon Blancを樽仕立てで発酵させたFume Blanc(フュメ・ブラン)を作ってヒットさせました。

地道ながら着実に高級ワイン作りへと進んでいったMondaviと対照的に、Galloは「ワイン業界のキャンベル・スープ」を目指して、あくまでも一般大衆を相手にビジネスを広げて行きました。当初は作ったワインをボトル詰め業者に売るだけだったのが、自社ブランドでワインを作るようになり、どんどんビジネスを拡大しました。


1957年には酒精強化ワインのThunderbird(サンダーバード)を発売。これが大ヒットしたことで大メーカーの仲間入りを果たしました。Thundebirdはアルコール度数21%の酒精強化ワインにレモンジュースで香りを付けたもの。町の酒屋を観察して酒精強化ワインとレモンジュースを一緒に買う人が多いのに気づいて作ったものでした。高級なワインではなく「アルコール」を求める人が多かった当時の風潮にぴったりと合う製品でした。そのあとも、ユーザーニーズに合った低価格な製品を次々と生み出してGalloは拡大していきました。


Galloの本社は今でもModesto(モデスト)という、カリフォルニアのセントラル・ヴァレーの町にあります。広大なセントラル・ヴァレーは暑すぎるため高級ワインには向かない土地ですが、大量にブドウを作るためには最適なところです。Galloがソノマで高級ワインづくりを始めるのは1980年代末になってからでした。
Date: 2011/0909 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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禁酒法後の米国は、ワイン作りも、ワイン市場も、ほぼゼロに近いところからの再出発でした。手探りで進む中、ワイン作りの推進役となったのカリフォルニア大学Davis(デーヴィス)校、通称UC Davisです。


例えば、最初のうちは、どのブドウをどこに植えるのがいいのか、といったことも分かっていませんでした。例えば、Pinot Noirは涼しいところがよく、Zinfandelは比較的暑いところを好むといった、今では常識的な知識もなかったのです。UC Davisの研究者だったMaynard Amerine(メイナード・アメリン)はWinkler(ウィンクラー)とともに、広範囲における実験から、温度が最も重要であるということに気付き、1944年に「積算温度」による「気候区分」を考案しました。


積算温度とはブドウが生育する4月~10月の日中の平均気温(華氏)から50を引き(華氏50°=摂氏10°)、その総和を求めたものです。これが2500未満だとリージョンIで、後は500単位でリージョンII~リージョンVまでを決めています。これが気候区分です。AmerineはリージョンIではChardonnay、Pinot Noir、Gewurztraminer、リージョンIIではCabernet Sauvignon、Merlot、Sauvignon Blanc、リージョンIIIではZinfandelなどが向いていることも見つけました。カリフォルニアをリージョンで分けた地図も作りました。


現在では積算温度のモデルはあまりにもシンプルすぎるという意見はありますが、ゼロから実験によって発見したことを考えると、その功績は大きいと思います。


ワイナリもUC Davisの研究を積極的に取り入れてワインを作るようになりました。後年、それは「技術偏重」として非難されることもあるのですが、未熟だったワイン業界が、ワインをきちんと作れるようになるためには必要なステップだったのです。
Date: 2011/0908 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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1920年に禁酒法が施行され、カリフォルニアワインは暗黒時代を迎えます。教会や、家庭での限られた量の醸造だけが認められましたが、基本的にはワイン作りはできなくなりました。教会向けにワインを作ったり、ブドウを家庭醸造用に、販売したところだけが生き残るといった状況でした。1933年に禁酒法が解除されましたが、1920年以前には1000を超えていたワイナリが全米で150程度、カリフォルニアでは約130にまで減ってしまっていたといいます(数字はAmerican Vintage、Paul Lukacsによるもの。Wikipediaには2500から100と書かれています)。


禁酒法が終了してからも、カリフォルニアワインの苦難の道は続きました。 消費者は質の高いワインよりも、単にアルコールを欲していたからです。また、禁酒法時代に、ブドウを売るビジネスが流行ったことも影響しました。ワイナリよりもブドウ畑の方がビジネス上優位になったのです。Cabernet Sauvignonのような高級なワインを作るブドウも、そうでないブドウも価格はほとんど同じでした。畑のオーナーにとっては、ワイン用にブドウを植え替えることなど意味がなかったのです。


逆風の中、質の高いワインを作ろうとしていたワイナリもわずかながらありました。一つがBeaulieu Vineyard(ボーリュー、略称BV)。1938年にロシア人のワインメーカーAndre Tchelistcheff(アンドレ・チェリチェフ)を迎えて、ナパをリードするワイナリになりました。Tchelistcheffは1936年のCabernet Sauvignonを試飲して、そのポテンシャルに気付き創設者の名前を取ったGeorge de Latour Private Reserve(ジョルジュ・ドゥ・ラトゥール・プライベート・リザーブ)と名付けて売り出しました。その後、このワインはナパの高級ワインの代名詞的存在になりました。また、Andre Tchelistcheffはナパの多くのワインメーカーの指南役として大きな影響を与えました。


Tchelistcheffを師と仰ぐ一人がJohn Daniel Jr.(ジョン・ダニエル・ジュニア)。Inglenookを設立したGustave Niebaumの夫人の甥の子供で、Gustave Niebaumの死後、ワイナリを相続した夫人が1937年に亡くなって、Inglenookを引き継ぎました。John Daniel Jr. はGustave Niebaumに倣い、良質のワインをだけを作るポリシーを持っていました。Beaulieuがオーナーの意向で質より量を重視したワインも作っていたのに対し、Inglenookは高級ワインしか作らないという点で徹底していました。1964年にJohn Daniel Jr.がワイナリを手放すまで、ナパで最良のワイナリの一つとして君臨しました。
Date: 2011/0906 Category: ワイン本
Posted by: Andy
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今日から十数回、執筆中のカリフォルニアワイン本から歴史の章を転載していきます。ご意見・ご感想、お願いします。

カリフォルニアにおけるワイン作りはキリスト教とともに広がりました。最初のワイン畑は17世紀にできたそうですが、ワイナリを最初に作ったのはスペインからの修道士Junipero Serra(フニペロ・セラ)です。18世紀末にMission San Juan Capistranoという教会に併設してブドウ畑とワイナリを作りました。ほかにも8つのミッションにワイナリを作り、「カリフォルニアワインの父」とも言われています。

19世紀になるとワイン作りも広がります。カリフォルニアで最初のビジネスとしたのワイナリと言われているのがソノマのBuena Vista(ブエナ・ビスタ)です。ハンガリー人のAgoston Haraszthy(アゴストン・ハラツィ)が1857年に設立しました。続いて、1858年には今でも家族経営のワイナリとして続いているGundlach Bundschu(ガンロック・バンチュー)が設立。ソノマに2つのワイナリができました。

Agoston Haraszthyは「カリフォルニアの近代的ワイン作りの父」とも呼ばれており、ヨーロッパからぶどうの樹のカッティング(枝を切ったもの)を10万本注文する(実際に持ち帰ったのは一部らしい)などの功績を残しました。ただ、この人は話上手で大言壮語を使って人を引き込むのは得意だったようですが、事業を運営するのは苦手。いろいろと大きなことをやろうとしては失敗する、といったことを続けました。最後はニカラグアに砂糖のプランテーションを作りに行き、ワニに食べられて亡くなったと言われています。

ナパでは1861年にCharles Krug(チャールズ・クリュッグ)が最初のワイナリとして設立されました。この後、1876年にはBeringer、1879年にはInglenook、1900年にはBeaulieu Vineyardができました。

Inglenookはフィンランド人のGustave Niebaum(グスタフ・ニーバウム)が設立したワイナリで、プレミアムワインを志向した最初のワイナリになりました。