「無敵のカリフォルニアワイン講座《ナパ編》 」のKindle版がAmazon.co.jpで「カリフォルニアワイン」と検索したときのキーワード関連商品2位に上がりました(Amazon.co.jp: カリフォルニアワイン)。最初は4位か5位くらいだったと思うので、売れて上がってきているのでしょうか?(同じ検索語で和書の売り上げ順だと15位)
KindleのありがたいのはこうやってAmazonで普通に検索したときに見つかることですね。Ameroadで売っているEPUB版は、そういうことがないので、ブログで宣伝しないとほとんど全く売れない状況です。
だれかKindle版買った人、レビュー書いていただけないでしょうか。
KindleのありがたいのはこうやってAmazonで普通に検索したときに見つかることですね。Ameroadで売っているEPUB版は、そういうことがないので、ブログで宣伝しないとほとんど全く売れない状況です。
だれかKindle版買った人、レビュー書いていただけないでしょうか。
カーネロスからソノマのワイナリを追加し始めています(ソノマのワイナリ紹介)。そちらに力を入れると、こちらのブログの更新頻度がどうしても落ちてしまうのですが、ご了承ください。
ときどき、上記のページもチェックいただけるとうれしいです。
ときどき、上記のページもチェックいただけるとうれしいです。
ePubで発売していた「無敵のカリフォルニア・ワイン講座《ナパ編》 」にKindle版を追加しました。
Amazon.co.jp: Kindle ダイレクト・パブリッシング: 本の詳細情報の編集
内容はこれまでと同じとはいえ、見慣れたAmazonの画面に出てくるというのは、それなりの感慨があります。
手順を簡単に紹介します。
まずはKindle Digital Publishingに自分のアカウントを登録します。通常のAmazonのIDが利用できます。
次に本の情報を登録していきます。
タイトル、ふりがな(ローマ字も)、版、内容紹介などと入れていき、表紙データをアップロードします。長辺が1000ピクセル以上で推奨は2500ピクセルといから、かなり大きな画像が必要です。今回はePub版の表紙画像が長辺1024ピクセルだったので、それを流用しました。
コンテンツファイルはePub版をそのまま流し込みました。
変換が終わるとPC用のPreviewerでチェックします。
最後はロイヤリティと価格の設定です。ロイヤリティは35%と70%から選択できますが、日本では35%だけが適用されます。
米国などで適用できる70%のロイヤリティの場合は売上から配信コスト(1Mバイトあたり0.15ドル)を引いた分の7割が著者の取り分になります。また、価格は2.99~9.99ドルに設定する必要があります。
今回は配信コストが1ドルだったので、価格を5ドルとすると70%の方が取り分が多くなるので、そちらを選んでいます。
価格はAmazon.com(米国)の価格を使って他の国も自動設定できます。今回は日本の価格だけ500円に設定し、後は自動にしました。
設定終了後半日ちょっとで販売開始のメールが来ました。それから半日で2冊売れています。ありがとうございます。
なお、Amazon.co.jpのURLのco.jp部分をcomにすると、Amazon.comの販売ページに行きます。
Amazon.co.jp: Kindle ダイレクト・パブリッシング: 本の詳細情報の編集
内容はこれまでと同じとはいえ、見慣れたAmazonの画面に出てくるというのは、それなりの感慨があります。
手順を簡単に紹介します。
まずはKindle Digital Publishingに自分のアカウントを登録します。通常のAmazonのIDが利用できます。
次に本の情報を登録していきます。
タイトル、ふりがな(ローマ字も)、版、内容紹介などと入れていき、表紙データをアップロードします。長辺が1000ピクセル以上で推奨は2500ピクセルといから、かなり大きな画像が必要です。今回はePub版の表紙画像が長辺1024ピクセルだったので、それを流用しました。
コンテンツファイルはePub版をそのまま流し込みました。
変換が終わるとPC用のPreviewerでチェックします。
最後はロイヤリティと価格の設定です。ロイヤリティは35%と70%から選択できますが、日本では35%だけが適用されます。
米国などで適用できる70%のロイヤリティの場合は売上から配信コスト(1Mバイトあたり0.15ドル)を引いた分の7割が著者の取り分になります。また、価格は2.99~9.99ドルに設定する必要があります。
今回は配信コストが1ドルだったので、価格を5ドルとすると70%の方が取り分が多くなるので、そちらを選んでいます。
価格はAmazon.com(米国)の価格を使って他の国も自動設定できます。今回は日本の価格だけ500円に設定し、後は自動にしました。
設定終了後半日ちょっとで販売開始のメールが来ました。それから半日で2冊売れています。ありがとうございます。
なお、Amazon.co.jpのURLのco.jp部分をcomにすると、Amazon.comの販売ページに行きます。
さて、いよいよソノマの紹介を始めます。今日は全貌から。
ソノマのAVAマップ(クリックすると画像を表示します)
ソノマ(Sonoma)はナパの西側に位置する郡です。面積は約4600km2。ナパの2倍強あります。西は太平洋に面し、東はナパとの間にマヤカマス(Mayacamas)山脈があります。
地図で分かるように、ワインの産地は南東と北西に分かれています。南東部の最南端はナパにまたがるAVAであるカーネロス(Carneros)であり、その北側がソノマ・ヴァレー(Sonoma Valley)というこの地域の中心地です。カリフォルニア最古のワイナリであるBuena Vistaなどがこの地域にあります。ナパと同様、南のサン・パブロ湾からの影響を強く受ける地域です。ワインもナパと似ており、カベルネ・ソヴィニョンが多く作られています。
南東の地域と北西の地域の境目にあるのが、ソノマ最大の都市Santa Rosa(サンタ・ローザ)。スヌーピーの作者であるチャールズ・シュルツが住んでいたことで知られています。
ソノマ北西部の特徴は、太平洋からの影響を強く受けること。寒流による冷たい空気が入ってくる地域とそうでない地域では気温に大きな違いができます。
例えば沿岸のSonoma Coastは広大なAVAなので場所によって様々ですが、海の影響を受けやすいので涼しいところが多くあります。シャルドネやピノ・ノワールが多く作られています。
内陸部でもRussian River ValleyはRussian Riverという川を通って霧が入っていくので涼しい地域。最高レベルのピノ・ノワールが作られています。
ところが、さらに上流のDry Creek Valleyになると霧の影響は少なく、温暖な気候です。樹齢100年を超えるような古いジンファンデルの畑がこの地域には残っています。
ナパが、Carnerosを除くとどこもカベルネ・ソヴィニョンを中心としていたのに対し、ソノマではこのように地域による差が大きく、様々なブドウ品種で特徴あるワインを作っています。ワインの多様さでは、ライバルであるナパを大きく引き離していると言えるでしょう。
ソノマのAVAマップ(クリックすると画像を表示します)
ソノマ(Sonoma)はナパの西側に位置する郡です。面積は約4600km2。ナパの2倍強あります。西は太平洋に面し、東はナパとの間にマヤカマス(Mayacamas)山脈があります。
地図で分かるように、ワインの産地は南東と北西に分かれています。南東部の最南端はナパにまたがるAVAであるカーネロス(Carneros)であり、その北側がソノマ・ヴァレー(Sonoma Valley)というこの地域の中心地です。カリフォルニア最古のワイナリであるBuena Vistaなどがこの地域にあります。ナパと同様、南のサン・パブロ湾からの影響を強く受ける地域です。ワインもナパと似ており、カベルネ・ソヴィニョンが多く作られています。
南東の地域と北西の地域の境目にあるのが、ソノマ最大の都市Santa Rosa(サンタ・ローザ)。スヌーピーの作者であるチャールズ・シュルツが住んでいたことで知られています。
ソノマ北西部の特徴は、太平洋からの影響を強く受けること。寒流による冷たい空気が入ってくる地域とそうでない地域では気温に大きな違いができます。
例えば沿岸のSonoma Coastは広大なAVAなので場所によって様々ですが、海の影響を受けやすいので涼しいところが多くあります。シャルドネやピノ・ノワールが多く作られています。
内陸部でもRussian River ValleyはRussian Riverという川を通って霧が入っていくので涼しい地域。最高レベルのピノ・ノワールが作られています。
ところが、さらに上流のDry Creek Valleyになると霧の影響は少なく、温暖な気候です。樹齢100年を超えるような古いジンファンデルの畑がこの地域には残っています。
ナパが、Carnerosを除くとどこもカベルネ・ソヴィニョンを中心としていたのに対し、ソノマではこのように地域による差が大きく、様々なブドウ品種で特徴あるワインを作っています。ワインの多様さでは、ライバルであるナパを大きく引き離していると言えるでしょう。
楽天の電子書籍端末Kobo Touchを先日購入しました。まだ使いこなすところまでは行っていませんが、とりあえず『最強のカリフォルニアワイン講座』が見られることは確認しました。
ただ、目次が階層構造に対応していないので、全部フラットに見えてしまってかなりわかりにくいのがちょっと難点です。それから、外部へのリンクはもちろん動きません。内部リンクは動きますが、読み込みにはかなり時間がかかります。
総じて、iPhoneで読むほうが快適ですが、これはこれでありかと思います。
ただ、目次が階層構造に対応していないので、全部フラットに見えてしまってかなりわかりにくいのがちょっと難点です。それから、外部へのリンクはもちろん動きません。内部リンクは動きますが、読み込みにはかなり時間がかかります。
総じて、iPhoneで読むほうが快適ですが、これはこれでありかと思います。
「無敵のカリフォルニアワイン講座」、Twitterやっていないので、買えないという人もいるので、「文楽」でも買えるようにしました。特に無料版は簡単にダウンロードできるのでお試しください。
無敵のカリフォルニアワイン講座《ナパ編》
無敵のカリフォルニアワイン講座《無料版》
ここのサービスの決済はゼロという会社を使用しています。アカウント作らずに購入できるのもメリットです。
ただし、文楽は手数料が結構取られてしまうので、手数料や消費税込みの販売金額は399円とちょっと高くなってしまいました。ご了承ください。
無敵のカリフォルニアワイン講座《ナパ編》
無敵のカリフォルニアワイン講座《無料版》
ここのサービスの決済はゼロという会社を使用しています。アカウント作らずに購入できるのもメリットです。
ただし、文楽は手数料が結構取られてしまうので、手数料や消費税込みの販売金額は399円とちょっと高くなってしまいました。ご了承ください。
「無敵のカリフォルニアワイン講座《ナパ編》」を発売してから1週間。そのあいだに気がついたことをまとめておきます。
1.有料版の本数が無料版を超えた
現時点で、有料版が閲覧数454で販売が37、無料版が閲覧数202で、販売数が33。当初は無料版が伸びましたが、だんだん有料版の方が閲覧数も販売数も上回るようになってきました。
理由はいくつか考えられますが、有料版の250円という値段が「これくらいなら出してもいいかな」と思うレベルだったのかと思います。私が書いているならということで、すぐに有料版を買っていただいたケースもあったのはありがたいかぎり。
2.買っているのは必ずしもワインクラスターの人ではない
Twitter上でいただいた感想などをTogetterにまとめておきます。
ワインマニアの人よりも、ワイン好きだけどそれほど詳しくないといった人が多いような気がします。それは本を書くときの狙いでもあったので、いい傾向だと思います。逆にカリフォルニア・ワインマニアの人には今のところ読んでもらえていないようです。なお、ここで出てくる本田さんはITジャーナリスト、神原サリーさんは家電のジャーナリスト、麻倉怜士さんはデジタルメディア評論家として有名な方々です。本田さんは古くからの知り合いですが、後のお二人はお会いしたことありません。
3.拡販力ではやはりツイッター
本田さんから、神原サリーさん、麻倉怜士さんと伝播していったように、ツイッターはやはり広げる力があるなあと思いました。ときどき本の宣伝ツイートを入れていますが、もうちょっといろいろな時間帯を試す必要があると思いました。例えば、1番目に挙げた有料版が上回ったというのは昼に気づいたので昼にツイートしたところ、それまで本に気づいていなかった人に少しリーチできたようでした。
4.Ameroadのファイル名はなんとかしてほしい
Ameroadのサービスに大きな不満はありませんが、ファイル名が勝手に決められてしまう点はどうだか。できたらアップしたファイル名を使ってほしいものです。途中で改訂する場合などもそこが気になります。
5. Twitterアカウント必須で大丈夫だったか
Ameroadはあまり利用条件ないのですが、Twitterのアカウントは必須です」。購入した人を見ると普段ほとんどTwitterを使っていない人が案外多いようでした。
1.有料版の本数が無料版を超えた
現時点で、有料版が閲覧数454で販売が37、無料版が閲覧数202で、販売数が33。当初は無料版が伸びましたが、だんだん有料版の方が閲覧数も販売数も上回るようになってきました。
理由はいくつか考えられますが、有料版の250円という値段が「これくらいなら出してもいいかな」と思うレベルだったのかと思います。私が書いているならということで、すぐに有料版を買っていただいたケースもあったのはありがたいかぎり。
2.買っているのは必ずしもワインクラスターの人ではない
Twitter上でいただいた感想などをTogetterにまとめておきます。
ワインマニアの人よりも、ワイン好きだけどそれほど詳しくないといった人が多いような気がします。それは本を書くときの狙いでもあったので、いい傾向だと思います。逆にカリフォルニア・ワインマニアの人には今のところ読んでもらえていないようです。なお、ここで出てくる本田さんはITジャーナリスト、神原サリーさんは家電のジャーナリスト、麻倉怜士さんはデジタルメディア評論家として有名な方々です。本田さんは古くからの知り合いですが、後のお二人はお会いしたことありません。
3.拡販力ではやはりツイッター
本田さんから、神原サリーさん、麻倉怜士さんと伝播していったように、ツイッターはやはり広げる力があるなあと思いました。ときどき本の宣伝ツイートを入れていますが、もうちょっといろいろな時間帯を試す必要があると思いました。例えば、1番目に挙げた有料版が上回ったというのは昼に気づいたので昼にツイートしたところ、それまで本に気づいていなかった人に少しリーチできたようでした。
4.Ameroadのファイル名はなんとかしてほしい
Ameroadのサービスに大きな不満はありませんが、ファイル名が勝手に決められてしまう点はどうだか。できたらアップしたファイル名を使ってほしいものです。途中で改訂する場合などもそこが気になります。
5. Twitterアカウント必須で大丈夫だったか
Ameroadはあまり利用条件ないのですが、Twitterのアカウントは必須です」。購入した人を見ると普段ほとんどTwitterを使っていない人が案外多いようでした。
Adobe Digital EditionsはWindowsやMacで使える電子書籍のビューアです。「無敵のカリフォルニアワイン講座《ナパ編》」を見る手順を紹介します。簡単なので、ぜひ使ってみてください。
電子書籍のEPUBファイルはダウンロード保存済みとします。
まず、Adobe Digital Editionsのページを開きます。
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iPhone/iPadの電子書籍ビューアiBooksの使い方を紹介します。「無敵のカリフォルニアワイン講座《ナパ編》」はアップル標準のiBooksに最適化してあるので、iPhone/iPadではiBooksで読んでください。
iBooksを起動すると、このような本棚が表示されます。この画面をiBooksでは「ライブラリ」と呼んでいます。タップして最初のページを開いてみましょう。
表紙と同じ画像が表示されているはずです。
まず、画像をダブルタップしてみましょう。画面いっぱいに画像が表示されたと思います。この状態で指を2本使って、拡大や縮小表示できます。ページに貼られている画像を詳しく見たい場合は、このようにします。もう一回ダブルタップすると元の画面に戻ります。
なお、この本、かなりサイズがあるので読み込みに結構時間がかかります。触っても反応しない場合は読み込み中の可能性があるので、ちょっと待ってあげてください。
次に、右から左にページ上をスワイプします。すると次のページに進みます。スワイプが上手にできなかったら、ページの右端あたりをタップしてもいいです。本を読むときの基本動作ですから、無意識にできるよう、練習して慣れてください。
逆に、左から右にスワイプしたり、左端をタップすると前のページに戻ります。
画面の下にインジケータやページ番号が表示されていると思います(表示されていないときは、画面の中央あたりを軽くタップすると表示されます)。インジケータを左右に動かしてもページを移動できますが、本書はページ数が多いので、あまり実用的ではないでしょう。
なお、EPUBにはページという概念がないので、総ページ数や現在のページ番号は、見ているソフトや文字のサイズなどによって変わります。本の内容について人に伝えるときは、ページ番号ではなく、見出しなどを利用しましょう。
iBooksを起動すると、このような本棚が表示されます。この画面をiBooksでは「ライブラリ」と呼んでいます。タップして最初のページを開いてみましょう。
表紙と同じ画像が表示されているはずです。
まず、画像をダブルタップしてみましょう。画面いっぱいに画像が表示されたと思います。この状態で指を2本使って、拡大や縮小表示できます。ページに貼られている画像を詳しく見たい場合は、このようにします。もう一回ダブルタップすると元の画面に戻ります。
なお、この本、かなりサイズがあるので読み込みに結構時間がかかります。触っても反応しない場合は読み込み中の可能性があるので、ちょっと待ってあげてください。
次に、右から左にページ上をスワイプします。すると次のページに進みます。スワイプが上手にできなかったら、ページの右端あたりをタップしてもいいです。本を読むときの基本動作ですから、無意識にできるよう、練習して慣れてください。
逆に、左から右にスワイプしたり、左端をタップすると前のページに戻ります。
画面の下にインジケータやページ番号が表示されていると思います(表示されていないときは、画面の中央あたりを軽くタップすると表示されます)。インジケータを左右に動かしてもページを移動できますが、本書はページ数が多いので、あまり実用的ではないでしょう。
なお、EPUBにはページという概念がないので、総ページ数や現在のページ番号は、見ているソフトや文字のサイズなどによって変わります。本の内容について人に伝えるときは、ページ番号ではなく、見出しなどを利用しましょう。
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iPhone、iPadでEPUBが読めるソフトはいくつかありますが、「無敵のカリフォルニアワイン講座《ナパ編》」はアップル標準のiBooksに最適化してあるので、iBooksで読んでください(他のアプリではアプリ内リンクが動かないなどの制限があります)。
iBooksはアップル標準ですが、最初から入ってはいないのでApp Storeからインストールします。
iBooksはアップル標準ですが、最初から入ってはいないのでApp Storeからインストールします。
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電子書籍「無敵のカリフォルニアワイン講座《ナパ編》」をAmeroadで発売しました(5/26:文楽でも発売しました)。ワイナリ情報150軒、文字数は19万超。単行本の文字数が通常12万程度と言いますから、1.5倍を超える分量です。
形式はEPUB。パソコンであればAdobe Digital Editions、iPhone/iPadであればiBooks、AndroidであればAldiko Book Readerなどで読めます。iBooksで読む方法については後日詳しく紹介します。また、PDFやKindleのmobi形式を希望する方は、購入後Twitterで@andymaまでメンションをください。
価格はAmeroadでは250円。ただし、決済サービスごとに手数料が別途かかります。特別特典として2012年5月中に購入し、購入時にTwitterのアカウントを私に通知するようにしていただいた場合、今後出していく他の地域のバージョンを無料で差し上げます。
また、文楽では手数料消費税込みで399円。こちらの特典は2012年6月10日までとさせていただきます。購入者には文楽のシステムを通じてメッセージを送り、メールを送っていただきます。
Kindle版は500円。
なお、EPUBでは無料版も作りました。歴史の章がフルに読めるほか、他の章は一部だけを入れてあります。EPUBに慣れていない方はまずそちらでお試しください。
なお、本書のタイトルの「無敵のカリフォルニアワイン講座」というのは、カリフォルニアワインの日本で出ている本より濃い内容のものを目指しているということと、カリフォルニアワイン自体が無敵の力を持ってほしいという期待を表しています。本書がカリフォルニアワインを知る助けに少しでもなれば本望です。
関連記事
Ameroadでの購入方法
iPhone、iPadでのEPUB電子書籍の読み方
iBooksの紙の本より便利な使い方
Adobe Digital Editionsを使ったEPUB電子書籍の読み方
Kindle版
Ameroad
無料版はこちら
文楽での有料版
文楽での無料版
《目次》
第1章 はじめに
第2章 これだけは知っておこう
第3章 カリフォルニアワインの歴史
第4章 ワイナリ訪問のための20のTips
第5章 カリフォルニアの気候とワイン産地
第6章 Napa(ナパ)――カベルネが君臨するワイン界のディズニーランド
第7章 ナパのワイナリ
第8章 ワインメーカーの系譜
形式はEPUB。パソコンであればAdobe Digital Editions、iPhone/iPadであればiBooks、AndroidであればAldiko Book Readerなどで読めます。iBooksで読む方法については後日詳しく紹介します。また、PDFやKindleのmobi形式を希望する方は、購入後Twitterで@andymaまでメンションをください。
価格はAmeroadでは250円。ただし、決済サービスごとに手数料が別途かかります。特別特典として2012年5月中に購入し、購入時にTwitterのアカウントを私に通知するようにしていただいた場合、今後出していく他の地域のバージョンを無料で差し上げます。
また、文楽では手数料消費税込みで399円。こちらの特典は2012年6月10日までとさせていただきます。購入者には文楽のシステムを通じてメッセージを送り、メールを送っていただきます。
Kindle版は500円。
なお、EPUBでは無料版も作りました。歴史の章がフルに読めるほか、他の章は一部だけを入れてあります。EPUBに慣れていない方はまずそちらでお試しください。
なお、本書のタイトルの「無敵のカリフォルニアワイン講座」というのは、カリフォルニアワインの日本で出ている本より濃い内容のものを目指しているということと、カリフォルニアワイン自体が無敵の力を持ってほしいという期待を表しています。本書がカリフォルニアワインを知る助けに少しでもなれば本望です。
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iPhone、iPadでのEPUB電子書籍の読み方
iBooksの紙の本より便利な使い方
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Kindle版
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《目次》
第1章 はじめに
第2章 これだけは知っておこう
第3章 カリフォルニアワインの歴史
第4章 ワイナリ訪問のための20のTips
第5章 カリフォルニアの気候とワイン産地
第6章 Napa(ナパ)――カベルネが君臨するワイン界のディズニーランド
第7章 ナパのワイナリ
第8章 ワインメーカーの系譜
Celia Welch Masyczek(セリア・ウェルチ・マチェスキ)は2008年にFood&Wine誌でWinemaker of the Yearを受賞した、今一番“乗っている”ワインメーカーの1人です。
オレゴンで生まれたセリアは1982年にUC Davisで醸造の学位を取った後、世界のさまざまなワイン地域で修行をしました。その過程でナパにも来ていくつかのワイナリを手伝い、1987年にSilveradoのアシスタント・ワインメーカーに落ち着きました。
コンサルタントとしての活動を始めたのは1992年のStaglinから。21世紀に入ってからは、コンサルタントするワイナリも増え、しかもほとんどが現在でも続いています。2004年には自身のワイナリCorraを始めています。
特に注目を浴びたのはScarecrowのコンサルタントになったこと。最初のヴィンテージである2003年のScarecrowがロバート・パーカーから98点という評価を得たことで、一夜にして有名ワイナリの1つになりました。2007年は100点を得て、新世代カルトとしての位置付けを固めています。
ちなみに、彼女の名前のマチェスキは、夫でBeaulieu(BV)の白ワインを担当するボブ・マチェスキから来たもの。以前はセリア・マチェスキと名乗っていることが多かったのですが、近年はセリア・ウェルチだけで通していることが多いようです。
Silverado 1987-1991
Robert Pepi 1991-1995
Staglin 1992-?
DR Stevens 1999?-2007
Scarecrow Wine 2002-現在
Corra 2004-現在
Lindstrom Wines 2005-現在
Hollywood & Vine Cellars ?-現在
Keever Vineyards & Winery ?-現在
Kelly Fleming Wines ?-現在
Barbour Vineyards 2009?-現在
オレゴンで生まれたセリアは1982年にUC Davisで醸造の学位を取った後、世界のさまざまなワイン地域で修行をしました。その過程でナパにも来ていくつかのワイナリを手伝い、1987年にSilveradoのアシスタント・ワインメーカーに落ち着きました。
コンサルタントとしての活動を始めたのは1992年のStaglinから。21世紀に入ってからは、コンサルタントするワイナリも増え、しかもほとんどが現在でも続いています。2004年には自身のワイナリCorraを始めています。
特に注目を浴びたのはScarecrowのコンサルタントになったこと。最初のヴィンテージである2003年のScarecrowがロバート・パーカーから98点という評価を得たことで、一夜にして有名ワイナリの1つになりました。2007年は100点を得て、新世代カルトとしての位置付けを固めています。
ちなみに、彼女の名前のマチェスキは、夫でBeaulieu(BV)の白ワインを担当するボブ・マチェスキから来たもの。以前はセリア・マチェスキと名乗っていることが多かったのですが、近年はセリア・ウェルチだけで通していることが多いようです。
Silverado 1987-1991
Robert Pepi 1991-1995
Staglin 1992-?
DR Stevens 1999?-2007
Scarecrow Wine 2002-現在
Corra 2004-現在
Lindstrom Wines 2005-現在
Hollywood & Vine Cellars ?-現在
Keever Vineyards & Winery ?-現在
Kelly Fleming Wines ?-現在
Barbour Vineyards 2009?-現在
Philippe Melka(フィリップ・メルカ)はボルドーに生まれ、育ち、ボルドー大学で醸造を学んだというカリフォルニアでは異色のワインメーカーです。1989年に学位を得、1991年に修士を取得した後、Chateau Haut Brionなどで働きました。働いたワイナリの中にはDominusやRidgeもあり、Ridgeで妻のCherie(チェリー)と出会いました。その後もフランスをベースに様々な国で働いていましたが、フランスの一流ワイナリでは、ワインメーカーになるまで何十年もかかってしまうことから、カリフォルニアを選び、ナパに落ち着くことになりました。
1995年、最初に採用したのはLail Vineyards。Inglenookの元オーナーの娘であるRobin Lailのワイナリです。1996年には自身のMelka Winesを立ち上げます。
1990年代末には多くのワイナリのコンサルタントを始めます。中でもVineyard 29ではハイジ・バレットの後継という重責を担いました。
メルカを決定的に有名にしたのは2002年、ヘレン・ターリーの後を受けてBryant Familyのワインメーカーになったことでした。1990年代末からの「カルト・ワイン」フィーバーの一角をなしたワイナリであること。オーナーとヘレン・ターリーとの不仲がニュースに取り上げられ、去就が注目されていたこと。自然に新任者にも注目が集まりました。
2007年までのBryantでは、成果もはかばかしくなく、最後は喧嘩別れに近い終わり方になってしまいましたが、Hundred AcreやDanaではWine Advocate誌で100点の評価を得ており、メルカの評判はますます上がっています。2008年9月のFood&Wine誌では、ロバート・パーカーが「世界で最も影響力があるワインコンサルタント」9人の1人として、ヘレン・ターリーやマーク・オーベールらとともにメルカを選んでいます。
Lail 1995-現在
Melka 1996-現在
Caldwell 1998-2005
Marston 1998-2010
Hundred Acre 1998?-現在
Vineyard 29 1999-現在
Constant ? -2002
Seavey ?-現在
Quintessa ??-2007?
Bryant Family 2002-2007
Dana 2005-現在
Gemstone 2005-現在
Cliff Lede 2010-現在
1995年、最初に採用したのはLail Vineyards。Inglenookの元オーナーの娘であるRobin Lailのワイナリです。1996年には自身のMelka Winesを立ち上げます。
1990年代末には多くのワイナリのコンサルタントを始めます。中でもVineyard 29ではハイジ・バレットの後継という重責を担いました。
メルカを決定的に有名にしたのは2002年、ヘレン・ターリーの後を受けてBryant Familyのワインメーカーになったことでした。1990年代末からの「カルト・ワイン」フィーバーの一角をなしたワイナリであること。オーナーとヘレン・ターリーとの不仲がニュースに取り上げられ、去就が注目されていたこと。自然に新任者にも注目が集まりました。
2007年までのBryantでは、成果もはかばかしくなく、最後は喧嘩別れに近い終わり方になってしまいましたが、Hundred AcreやDanaではWine Advocate誌で100点の評価を得ており、メルカの評判はますます上がっています。2008年9月のFood&Wine誌では、ロバート・パーカーが「世界で最も影響力があるワインコンサルタント」9人の1人として、ヘレン・ターリーやマーク・オーベールらとともにメルカを選んでいます。
Lail 1995-現在
Melka 1996-現在
Caldwell 1998-2005
Marston 1998-2010
Hundred Acre 1998?-現在
Vineyard 29 1999-現在
Constant ? -2002
Seavey ?-現在
Quintessa ??-2007?
Bryant Family 2002-2007
Dana 2005-現在
Gemstone 2005-現在
Cliff Lede 2010-現在
ワインメーカーが注目されるきっかけは大きく分けて2つあります。1つはロバート・パーカーなどの評論家がワインを高く評価したとき、もう1つは著名なワイナリで採用されたときです。Andy Erickson(アンディ・エリクソン)にとっては後者が大きく影響しています。2006年にScreaming Eagle、2007年にDalla Valleと、超高額ワインで知られる「カルト」なワイナリに相次いでワインメーカーとして就任したからです。
1967年生まれのアンディ・エリクソンはインディアナ州の生まれ。ワインとは縁がなく育ち、大学もワイン醸造とは無関係。サンフランシスコで広告関係の仕事をしているうちにワインへの興味が増し、1993年に1年半の休みを取って南米に行きました。アルゼンチンのワイナリで、1994年の収穫を手伝っているときに著名なワインメーカーのPaul Hobbs(ポール・ホブス)と出会い、ナパに行って当時Paul Hobbsが手がけていたStag's Leap Wine Cellarsで働くことになりました。
さらに、ナパに来て早々、John Kongsgaard(ジョン・コングスガード)と知り合いになり、Newtonで働くことに。そこで妻となるAnnie Favia(アニー・ファヴィア)と出会いました。コングスガードは、彼を一番弟子とみなしているようです。このほかHarlan EstateのBob Levy(ボブ・レヴィ)とも知り合いになってHarlanでも一時働くなど、幸運が続きました。
2001年にStaglinのワインメーカーとして独り立ちし、2003年にはコンサルティング・ビジネスを本格的に始めるのと同時に、妻と共同でFaviaを立ち上げました。
2004年にサンタ・バーバラのJonataでワインメーカーになりました。そのオーナーだったCharles Banks(チャールズ・バンクス)がScreaming Eagleを買収したことで、同ワイナリのワインメーカーになりました。もちろん、その実力があってのものでしょうが、人との出会いの幸運が驚くほどです。
なお、2007年のScreaming Eagleが、Wine Advocateで10年ぶり2回目となる100点と評価され、同年のDalla Valle Mayaが98点を得るなど、実際のワインの評価も上々という言葉では足りないくらいです。
シャトー・オーゾンヌが好きで、一番好きな品種はカベルネ・フランだというアンディ・エリクソン。Mayaはカベルネ・フランを多く使っていますが、Faviaでもカベルネ・フランを中心に作っています。
Stag's Leap Wine Cellars 1994
Spottswoode ?-?
Newton ?-?
Harlan Estate 2000-2001
Staglin 2001-2002
Hartwell 2003?-2006
Ovid 2003-現在
Dancing Hares 2003-現在
Favia 2003-現在
Leviathan 2004?-現在
Jonata 2004-2006?
Arietta 2005-現在
Screaming Eagle 2006-2011
Dalla Valle 2007-?
1967年生まれのアンディ・エリクソンはインディアナ州の生まれ。ワインとは縁がなく育ち、大学もワイン醸造とは無関係。サンフランシスコで広告関係の仕事をしているうちにワインへの興味が増し、1993年に1年半の休みを取って南米に行きました。アルゼンチンのワイナリで、1994年の収穫を手伝っているときに著名なワインメーカーのPaul Hobbs(ポール・ホブス)と出会い、ナパに行って当時Paul Hobbsが手がけていたStag's Leap Wine Cellarsで働くことになりました。
さらに、ナパに来て早々、John Kongsgaard(ジョン・コングスガード)と知り合いになり、Newtonで働くことに。そこで妻となるAnnie Favia(アニー・ファヴィア)と出会いました。コングスガードは、彼を一番弟子とみなしているようです。このほかHarlan EstateのBob Levy(ボブ・レヴィ)とも知り合いになってHarlanでも一時働くなど、幸運が続きました。
2001年にStaglinのワインメーカーとして独り立ちし、2003年にはコンサルティング・ビジネスを本格的に始めるのと同時に、妻と共同でFaviaを立ち上げました。
2004年にサンタ・バーバラのJonataでワインメーカーになりました。そのオーナーだったCharles Banks(チャールズ・バンクス)がScreaming Eagleを買収したことで、同ワイナリのワインメーカーになりました。もちろん、その実力があってのものでしょうが、人との出会いの幸運が驚くほどです。
なお、2007年のScreaming Eagleが、Wine Advocateで10年ぶり2回目となる100点と評価され、同年のDalla Valle Mayaが98点を得るなど、実際のワインの評価も上々という言葉では足りないくらいです。
シャトー・オーゾンヌが好きで、一番好きな品種はカベルネ・フランだというアンディ・エリクソン。Mayaはカベルネ・フランを多く使っていますが、Faviaでもカベルネ・フランを中心に作っています。
Stag's Leap Wine Cellars 1994
Spottswoode ?-?
Newton ?-?
Harlan Estate 2000-2001
Staglin 2001-2002
Hartwell 2003?-2006
Ovid 2003-現在
Dancing Hares 2003-現在
Favia 2003-現在
Leviathan 2004?-現在
Jonata 2004-2006?
Arietta 2005-現在
Screaming Eagle 2006-2011
Dalla Valle 2007-?
Mark Aubert(マーク・オーベール)は、21世紀に入ってから急速に有名になったワインメーカーです。
1970年にナパのセントヘレナに引っ越してきたオーベール。父親はカリストガに薬局を持ち、マークにはエンジニアになることを期待していたといいます。しかし、子供の頃からシャンパーニュを飲んで育ったマークは、フレスノ大学に進学。そこでワイン醸造を学びました。
卒業後はMonticelloでワインメーカーになりました。このころナパで参加したテイスティング・グループでヘレン・ターリーと出会い、Peter Michaelでアシスタントになりました。1990年にヘレンがPeter Michaelを去ってからは、ワインメーカーに昇格し、そこで名声を築きました。
1999年には再びヘレンターリーの後を継いでColginに参加。自身のワイナリAubertも始めました。Sloan、Bryantといったカルトワインのワイナリからもワイン作りをまかされます。
Monticello 1985-1989
Rutherford Hill ?-?
Freemark Abbey ?-?
Peter Michael 1990-1999
Aubert 1999-現在
Colgin 1999-2006
Sloan 2000-2001
Bryant Family 2007-2011
1970年にナパのセントヘレナに引っ越してきたオーベール。父親はカリストガに薬局を持ち、マークにはエンジニアになることを期待していたといいます。しかし、子供の頃からシャンパーニュを飲んで育ったマークは、フレスノ大学に進学。そこでワイン醸造を学びました。
卒業後はMonticelloでワインメーカーになりました。このころナパで参加したテイスティング・グループでヘレン・ターリーと出会い、Peter Michaelでアシスタントになりました。1990年にヘレンがPeter Michaelを去ってからは、ワインメーカーに昇格し、そこで名声を築きました。
1999年には再びヘレンターリーの後を継いでColginに参加。自身のワイナリAubertも始めました。Sloan、Bryantといったカルトワインのワイナリからもワイン作りをまかされます。
Monticello 1985-1989
Rutherford Hill ?-?
Freemark Abbey ?-?
Peter Michael 1990-1999
Aubert 1999-現在
Colgin 1999-2006
Sloan 2000-2001
Bryant Family 2007-2011
David Ramey(デイビッド・レイミー)は、シャルドネのスペシャリストとして、多くのワイナリで素晴らしいシャルドネを作ってきました。また、近年はカベルネ・ソヴィニョンやそのブレンドでも高く評価されています。彼のワイナリRamey Wine CellarsはソノマのHealdsburgにあるため、ナパのリストには含まれていませんが、シャルドネやカベルネ・ソヴィニョンではナパのブドウを使っています。
1979年にU.C. Davisの醸造学科を卒業したデイビッド。卒業論文の「Volatile Ester Hyrdolysis or Formation during Storage of Model Solutions and Wines」はワインの中でどのようにフレーバーが出来ていくのかを分析したもので、現在でも参照されているとのこと。
卒業後、短い期間ですがボルドーのCh. Pétrusで働き、その後ソノマのSimiでアシスタントをします。1984年にはソノマのMatanzas Creekでワインメーカーになります。ここでは素晴らしいメルローやシャルドネを作っています。また、ここでの在籍中にシャルドネのスキンコンタクトについての論文を発表するなど、学究肌であることが分かります。Matanzas Creekの後はChalk Hill。ここは、古くからシャルドネで有名なソノマのワイナリですが、1980年代はやや低迷していました。それを立て直したのがレイミーでした。
1996年には自身のワイナリRameyを始めるのと同時に、ナパのDominusでも働き始めました。
ナパでは旧Girardを買収したRuddのワインメーカーになり、ここでもシャルドネが人気を博しました。また、Ruddにカベルネ・ソヴィニョンを提供していたJerico Canyonのワインメーカーになり、自身のワイナリでもJerico Canyonのカベルネ・ソヴィニョンを作り始めました。2003年からは新進気鋭のワイナリHallのワインメーカーにもなっています。ロバート・パーカーは2010年に「Hallの勢いに乗らない手はないよ、ここ3~4年は山ほどいいワインを作っているから」と書いています。
現在、RameyではHyde、HudsonというCarnerosの著名畑のシャルドネやソノマのRitchieのシャルドネ、LarkmeadやPedregalという単一畑の優秀なカベルネ・ソヴィニョン系ブレンド、Claretというコストパフォーマンスの高いカベルネ・ソヴィニョン系ブレンド、さらにはいくつかのシラーを作っており、いずれも高評価を得ています。
Simi 1980-1983
Matanzas Creek 1984-1989
Chalk Hill 1990-1996
Dominus 1996-1998
Ramey Wine Cellars 1996-現在
Rudd Oakville Estate 1996?-2001
Jerico Canyon 2001-2006
Hall Winery 2003-現在
1979年にU.C. Davisの醸造学科を卒業したデイビッド。卒業論文の「Volatile Ester Hyrdolysis or Formation during Storage of Model Solutions and Wines」はワインの中でどのようにフレーバーが出来ていくのかを分析したもので、現在でも参照されているとのこと。
卒業後、短い期間ですがボルドーのCh. Pétrusで働き、その後ソノマのSimiでアシスタントをします。1984年にはソノマのMatanzas Creekでワインメーカーになります。ここでは素晴らしいメルローやシャルドネを作っています。また、ここでの在籍中にシャルドネのスキンコンタクトについての論文を発表するなど、学究肌であることが分かります。Matanzas Creekの後はChalk Hill。ここは、古くからシャルドネで有名なソノマのワイナリですが、1980年代はやや低迷していました。それを立て直したのがレイミーでした。
1996年には自身のワイナリRameyを始めるのと同時に、ナパのDominusでも働き始めました。
ナパでは旧Girardを買収したRuddのワインメーカーになり、ここでもシャルドネが人気を博しました。また、Ruddにカベルネ・ソヴィニョンを提供していたJerico Canyonのワインメーカーになり、自身のワイナリでもJerico Canyonのカベルネ・ソヴィニョンを作り始めました。2003年からは新進気鋭のワイナリHallのワインメーカーにもなっています。ロバート・パーカーは2010年に「Hallの勢いに乗らない手はないよ、ここ3~4年は山ほどいいワインを作っているから」と書いています。
現在、RameyではHyde、HudsonというCarnerosの著名畑のシャルドネやソノマのRitchieのシャルドネ、LarkmeadやPedregalという単一畑の優秀なカベルネ・ソヴィニョン系ブレンド、Claretというコストパフォーマンスの高いカベルネ・ソヴィニョン系ブレンド、さらにはいくつかのシラーを作っており、いずれも高評価を得ています。
Simi 1980-1983
Matanzas Creek 1984-1989
Chalk Hill 1990-1996
Dominus 1996-1998
Ramey Wine Cellars 1996-現在
Rudd Oakville Estate 1996?-2001
Jerico Canyon 2001-2006
Hall Winery 2003-現在
John Kongsgaard(ジョン・コングスガード)はナパに住んで5世代目という生粋のナパ育ち。1970年代にはStony Hillなどいくつかのワイナリで働き、1983年にNewtonのワインメーカーになりました。NewtonではUnfilteredのシャルドネやメルローで名を馳せ、1996年までワインメーカーを続けました。
1996年には自身のワイナリであるKongsgaardを立ち上げ、さらには共同でArietta、Lunaを始めました。Livingstonでのワイン作りにも協力しました。Lunaはサンジョベーゼ、ピノ・グリージョといったイタリア品種やメルローを手がけ、Ariettaではボルドー系のブレンドで優秀なワインを作りました。ただ、2005年にAriettaの持分を売却したのを最後に、自身のKongsgaardに注力するようになっています。
Kongsgaardでは祖父が1927年に購入した畑「The Judge」から類まれなシャルドネを生み出しています。シャルドネの優秀な畑がMarcassinやKistlerなどソノマに集中する中、ナパでは孤高の地位に上り詰めています。また、シラーでもナパでトップレベルのすばらしいワインを輩出しています。カベルネ・ソヴィニョンのレベルも年々上がっており、ウルトラ・プレミアムなワイナリとしての位置を確立しました。
Christian Brothers ?-?
Stony Hill Vineyard ?-?
Stag's Leap Wine Cellars ?-?
Balverne ?-?
Newton 1983-1996
Livingston 1996-2001
Arietta 1996-2005
Luna 1996-2002
Kongsgaard 1996-
1996年には自身のワイナリであるKongsgaardを立ち上げ、さらには共同でArietta、Lunaを始めました。Livingstonでのワイン作りにも協力しました。Lunaはサンジョベーゼ、ピノ・グリージョといったイタリア品種やメルローを手がけ、Ariettaではボルドー系のブレンドで優秀なワインを作りました。ただ、2005年にAriettaの持分を売却したのを最後に、自身のKongsgaardに注力するようになっています。
Kongsgaardでは祖父が1927年に購入した畑「The Judge」から類まれなシャルドネを生み出しています。シャルドネの優秀な畑がMarcassinやKistlerなどソノマに集中する中、ナパでは孤高の地位に上り詰めています。また、シラーでもナパでトップレベルのすばらしいワインを輩出しています。カベルネ・ソヴィニョンのレベルも年々上がっており、ウルトラ・プレミアムなワイナリとしての位置を確立しました。
Christian Brothers ?-?
Stony Hill Vineyard ?-?
Stag's Leap Wine Cellars ?-?
Balverne ?-?
Newton 1983-1996
Livingston 1996-2001
Arietta 1996-2005
Luna 1996-2002
Kongsgaard 1996-
ボブ・レヴィは、ワインメーカーとしてはあまり知られていないかしれません。しかしHarlan Estateのワインメーカー兼Bondのワインメーカーとして数々の素晴らしいワインを作り出してきました。Harlan成功の影の主役といっても過言ではないでしょう。例えばWine Advocate誌で100点を得たワインだけを見てもHarlanで5本、Bondで2本、計7本というのはナパのワインメーカーの中ではトップです。
1976年にU.C. Davisを卒業したレヴィはCuvaisonで働いた後、1982年にRombauerのワインメーカーになります。1983年にBill HarlanがMerryvaleを設立するときにワインメーカーになることを請われ、Merryvaleで1998年までワインメーカーを務めます。
並行してHarlan Estateのプロジェクトにも加わります。Harlan EstateはオーナーのBill Harlanが完璧を目指して作ったワイナリであり、欧州の様々な一流ワイナリを調べた結果、ヒルサイドが一番いいワインができるという結論に至り、畑を切り開きました。
Bill Harlanが「あらゆるレベルで選択を行った」というように、畑から様々な醸造技術まで、あらゆることをテストし、いいものを残して行った結果が今のHarlanになったわけです。例えば、Harlanの畑は約40エーカーですが、これを斜面の向きや品種、ルートストックなどで40の区画に分けています。それぞれ最適な収穫時期に収穫します。半日ずれただけでも味が変わってしまうというのですから、シビアです。
Bondにしても、ナパの70あまりの畑からブドウを買い付け、一番いいものを選んでいった結果の産物です。選別を始めてから、最終的にBondとして契約する畑を決めるまで12年。
このようにHarlanにしてもBondにしても経験を積み重ねた結晶として成り立っている部分が多く、ボブ・レヴィが当初から携わっている意味合いの大きさが分かります。Harlan/Bondファミリーには2012年からPromonteryという新しいプロジェクトも加わります。さらにボブ・レヴィの役割は重要になりそうです。
Cuvaison(Cellar Assistant) 1977-1981
Rombauer Vineyards 1982–1987
Merryvale 1983-1998
Harlan Estate 1984-
Bond 1999-
Promontery
1976年にU.C. Davisを卒業したレヴィはCuvaisonで働いた後、1982年にRombauerのワインメーカーになります。1983年にBill HarlanがMerryvaleを設立するときにワインメーカーになることを請われ、Merryvaleで1998年までワインメーカーを務めます。
並行してHarlan Estateのプロジェクトにも加わります。Harlan EstateはオーナーのBill Harlanが完璧を目指して作ったワイナリであり、欧州の様々な一流ワイナリを調べた結果、ヒルサイドが一番いいワインができるという結論に至り、畑を切り開きました。
Bill Harlanが「あらゆるレベルで選択を行った」というように、畑から様々な醸造技術まで、あらゆることをテストし、いいものを残して行った結果が今のHarlanになったわけです。例えば、Harlanの畑は約40エーカーですが、これを斜面の向きや品種、ルートストックなどで40の区画に分けています。それぞれ最適な収穫時期に収穫します。半日ずれただけでも味が変わってしまうというのですから、シビアです。
Bondにしても、ナパの70あまりの畑からブドウを買い付け、一番いいものを選んでいった結果の産物です。選別を始めてから、最終的にBondとして契約する畑を決めるまで12年。
このようにHarlanにしてもBondにしても経験を積み重ねた結晶として成り立っている部分が多く、ボブ・レヴィが当初から携わっている意味合いの大きさが分かります。Harlan/Bondファミリーには2012年からPromonteryという新しいプロジェクトも加わります。さらにボブ・レヴィの役割は重要になりそうです。
Cuvaison(Cellar Assistant) 1977-1981
Rombauer Vineyards 1982–1987
Merryvale 1983-1998
Harlan Estate 1984-
Bond 1999-
Promontery
Tony Soter(トニー・ソーター)とMia Klein(ミア・クライン)は1990年代、共同で多くのワイナリのワインメーカーやコンサルタントを務めました。ハイジ・バレットの後を受けてDalla Valleのワインメーカーになったほか、AraujoやViaderといった錚々たるワイナリでもワインメーカー/コンサルタントを引き受けていました。
Photo courtesy from craig.camp
トニー・ソーターは大学では哲学を学んだ人。ワイン作りについて正式に学んだことはないものの1975年にナパに来て様々なワイナリで修行を積み1980年代からコンサルタントを始めました。また、自身のワイナリであるEtude(勉強の意)は1980年に開始しています。Etudeのきっかけは、Oakvilleから余っているピノ・ノワールを売りに来たのを買ったこと。以来ピノ・ノワールを主な品種として作っています。
一方、ミア・クラインは1962年に南カリフォルニアで生まれ、高校の最上級生のときにサンフランシスコに引っ越してきました。そこでワインショップのアルバイトをしたのがきっかけになり、ワイン作りを志すことに。UC Davisの醸造学科に進学しました。
1983年に卒業した後は、当時女性ワインメーカーの草分け的存在だったCathy Corison(キャシー・コリソン)が働くChappellet(シャペレー)に雇われ、次にRobert Pepiで働きました。
Robert Pepiでトニー・ソーターに出会い、独立したワインメーカー/コンサルタントへの道を歩み始めました。1990年のことです。以後約10年間、2人は共同で多くのワイナリのワインメーカー/コンサルタントをしました。特にViaderやAraujoではワイナリの初期から携わっています。また、前述のようにDalla Valleではハイジ・バレットを引き継ぐという難しい役割でしたが、評判を落とすことなくやり遂げました。
トニー・ソーターは1997年に妻の生まれ故郷であるオレゴンに畑を買ってSoter Vineyardsを立ち上げ、1999年にはEtudeとSoter以外のコンサルタントから手を引き、すべてミア・クラインに譲りました。Etudeも2001年に売却。ワインメーカーとしては残りましたが、2005年ころには完全に手を離してSoterに専念するようになりました。
一方、ミア・クラインは1991年に自身のワイナリSeleneを立ち上げ。FisherやBresslerなどのプレミアムなワイナリのワインメーカー/コンサルタントも続けています。またFood & Wine誌では2003年に「Winemaker of the Year」に選ばれています。
Spottswoode 1982(Soter)-1991
Shafer 1986(Soter)-?
Viader 1988(Soter)-1997
Dalla Valle 1989-2006?
Araujo 1991-1998
Niebaum-Coppola 1991-?
トニー・ソーター単独
Etude 1982-2005?
Niebaum-Coppola 1992?-?
Shafer ?-?
Soter(オレゴン) 1997-現在
ミア・クライン単独
Selene 1991-現在
Fisher 2000-?
Bressler 2000-現在
Boyanci 2006-現在
Palmaz 2002?-現在
Photo courtesy from craig.camp
トニー・ソーターは大学では哲学を学んだ人。ワイン作りについて正式に学んだことはないものの1975年にナパに来て様々なワイナリで修行を積み1980年代からコンサルタントを始めました。また、自身のワイナリであるEtude(勉強の意)は1980年に開始しています。Etudeのきっかけは、Oakvilleから余っているピノ・ノワールを売りに来たのを買ったこと。以来ピノ・ノワールを主な品種として作っています。
一方、ミア・クラインは1962年に南カリフォルニアで生まれ、高校の最上級生のときにサンフランシスコに引っ越してきました。そこでワインショップのアルバイトをしたのがきっかけになり、ワイン作りを志すことに。UC Davisの醸造学科に進学しました。
1983年に卒業した後は、当時女性ワインメーカーの草分け的存在だったCathy Corison(キャシー・コリソン)が働くChappellet(シャペレー)に雇われ、次にRobert Pepiで働きました。
Robert Pepiでトニー・ソーターに出会い、独立したワインメーカー/コンサルタントへの道を歩み始めました。1990年のことです。以後約10年間、2人は共同で多くのワイナリのワインメーカー/コンサルタントをしました。特にViaderやAraujoではワイナリの初期から携わっています。また、前述のようにDalla Valleではハイジ・バレットを引き継ぐという難しい役割でしたが、評判を落とすことなくやり遂げました。
トニー・ソーターは1997年に妻の生まれ故郷であるオレゴンに畑を買ってSoter Vineyardsを立ち上げ、1999年にはEtudeとSoter以外のコンサルタントから手を引き、すべてミア・クラインに譲りました。Etudeも2001年に売却。ワインメーカーとしては残りましたが、2005年ころには完全に手を離してSoterに専念するようになりました。
一方、ミア・クラインは1991年に自身のワイナリSeleneを立ち上げ。FisherやBresslerなどのプレミアムなワイナリのワインメーカー/コンサルタントも続けています。またFood & Wine誌では2003年に「Winemaker of the Year」に選ばれています。
Spottswoode 1982(Soter)-1991
Shafer 1986(Soter)-?
Viader 1988(Soter)-1997
Dalla Valle 1989-2006?
Araujo 1991-1998
Niebaum-Coppola 1991-?
トニー・ソーター単独
Etude 1982-2005?
Niebaum-Coppola 1992?-?
Shafer ?-?
Soter(オレゴン) 1997-現在
ミア・クライン単独
Selene 1991-現在
Fisher 2000-?
Bressler 2000-現在
Boyanci 2006-現在
Palmaz 2002?-現在
Heidi Peterson Barrett(ハイジ・ピーターソン・バレット)は、ヘレン・ターリーと並び称される女性ワインメーカーです。ヘレンの「女神」に対し、「ワインのファーストレディー」とロバート・パーカーが異名を付けており、Time誌では「ナパのワイン・ディーヴァ」とも称されています。1990年代、Dalla ValleやScreaming Eagleのワインメーカーとして極めて評価が高いワインを次々と作り、90年代末のカルトワイン・ブームの立役者の1人となりました。
1958年にナパで生まれ、ワインメーカーの娘として育った彼女は自然にUC Davisに進み、ワイン作りを学びます。1980年に同校卒業後はSilver Oakを作ったJustin Meyerの下で修行し、1983年にBuehlerで初めてワインメーカーになります。同じ頃、Chateau Montelenaのオーナーの息子で1982年にワインメーカーになったBo Barrettと結婚しています。
1988年にBuehlerを離れ、ワイン・コンサルタントとして独立することにしました。その直後、Dalla Valleの創設者であるGustav Dalla Valleから声がかかり、同ワイナリのワインメーカーになりました。これが大きな転機でした。1992年のMaya(カベルネ・フランをベースにした独自ブレンド)がWine Advocate誌のロバート・パーカーに100点と評されたのを初め、98点、99点など高得点を連発したのです。このMayaに代表されるように、ややエレガントなワインを作るのが彼女の特徴の一つと言われています。
Dalla Valleの近隣にあるScreaming Eagleでは1992年から、創設者のJean Philipsがワイナリを売却する2006年までワインメーカーを務めます。この期間にも1997年のものがロバート・パーカーから満点のワインを得ています。また、1992年のScreming Ealgeの6リットルボトルが2000年のNapa Valley Wine Auctionで
1994年には、自身のワイナリであるLa Sirenaを作りました。これは偶然の産物でしたが、シラーやマスカットなど、クライアントのワインでは作っていないような品種も手がけています。
21世紀に入ってからはParadigm、Amuse Bouche、Lamborn、Kenzo Estateなどでワインメーカーを務めています。また、2008年から夫のBoと共同でワインを作るBarrett and Barrettを始め、2011年に最初のワインをリリースしました。1本250ドルと高価ですが、カリストガにある自社畑から作ったカベルネ・ソヴィニョンです。
最後に、これまでのワインメーカーやコンサルタントとしての履歴をまとめます。20年以上続いているParadigmを初め、長期間にわたって続けている例が多いのは、それだけクライアントからの信頼を得ているということなのだと思います。
Buehler Vineyards 1983-1988
Dalla Valle 1988-1995
Paradigm 1991-現在
Screaming Eagle 1992-2006
Grace Family -2000
La Sirena 1994-現在
Lamborn 1996-現在
Vineyard 29 1995-1998
Jones Family 1996-2006
David Arthur ?-?
Barbour Vineyards ?-?
Showket ?-?
Revana 2001?-2008?
Amuse Bouche 2002-現在
Kenzo Estate 2005-現在
Vin Perdu 2005-現在
Au Sommet 2007-現在
Fantesca 2008-現在
Barrett and Barrett 2008-現在
1958年にナパで生まれ、ワインメーカーの娘として育った彼女は自然にUC Davisに進み、ワイン作りを学びます。1980年に同校卒業後はSilver Oakを作ったJustin Meyerの下で修行し、1983年にBuehlerで初めてワインメーカーになります。同じ頃、Chateau Montelenaのオーナーの息子で1982年にワインメーカーになったBo Barrettと結婚しています。
1988年にBuehlerを離れ、ワイン・コンサルタントとして独立することにしました。その直後、Dalla Valleの創設者であるGustav Dalla Valleから声がかかり、同ワイナリのワインメーカーになりました。これが大きな転機でした。1992年のMaya(カベルネ・フランをベースにした独自ブレンド)がWine Advocate誌のロバート・パーカーに100点と評されたのを初め、98点、99点など高得点を連発したのです。このMayaに代表されるように、ややエレガントなワインを作るのが彼女の特徴の一つと言われています。
Dalla Valleの近隣にあるScreaming Eagleでは1992年から、創設者のJean Philipsがワイナリを売却する2006年までワインメーカーを務めます。この期間にも1997年のものがロバート・パーカーから満点のワインを得ています。また、1992年のScreming Ealgeの6リットルボトルが2000年のNapa Valley Wine Auctionで
1994年には、自身のワイナリであるLa Sirenaを作りました。これは偶然の産物でしたが、シラーやマスカットなど、クライアントのワインでは作っていないような品種も手がけています。
21世紀に入ってからはParadigm、Amuse Bouche、Lamborn、Kenzo Estateなどでワインメーカーを務めています。また、2008年から夫のBoと共同でワインを作るBarrett and Barrettを始め、2011年に最初のワインをリリースしました。1本250ドルと高価ですが、カリストガにある自社畑から作ったカベルネ・ソヴィニョンです。
最後に、これまでのワインメーカーやコンサルタントとしての履歴をまとめます。20年以上続いているParadigmを初め、長期間にわたって続けている例が多いのは、それだけクライアントからの信頼を得ているということなのだと思います。
Buehler Vineyards 1983-1988
Dalla Valle 1988-1995
Paradigm 1991-現在
Screaming Eagle 1992-2006
Grace Family -2000
La Sirena 1994-現在
Lamborn 1996-現在
Vineyard 29 1995-1998
Jones Family 1996-2006
David Arthur ?-?
Barbour Vineyards ?-?
Showket ?-?
Revana 2001?-2008?
Amuse Bouche 2002-現在
Kenzo Estate 2005-現在
Vin Perdu 2005-現在
Au Sommet 2007-現在
Fantesca 2008-現在
Barrett and Barrett 2008-現在
ヘレン・ターリーを「ワインの女神」と呼んだのはロバート・パーカーだったと言います。出典を探したところ、Wine SpectatorのJames Laubeは2000年4月のカルト・ワイン特集で「女神」と書いているのを見つけましたが、パーカーの直接書いたものは結局わかりませんでした。ただ1999年の記事で、「パーカーが女神と呼んだ」としているものがあったのでWine Spectatorが最初ということではないのでしょう。ともかく、ワインの女神と言えばヘレン・ターリーというのは既成事実化しているのだと思います。
1944年にゴルフのマスターズ・トーナメントで有名なジョージア州オーガスタで生まれたヘレン・ターリーはメリーランド州のアナポリスにあるセント・ジョンズ・カレッジで文学を学ぶという、ワインとは全く関係ない育ちでした。夫であり、現在も共同でワイン作りをしているジョン・ウェットローファーとはセント・ジョンズ・カレッジ在学中に知り合いました。
農業に興味があった彼女はその後、ニューヨークのコーネル大学で農業を学びます。そして1977年に田舎暮らしのライフスタイルとワイン作りのためにナパに来ます。
最初に得た職はRobert Mondaviで、研究所の技術者でした。いわゆる「セラー・ラット」としてセラーでの様々な業務もこなしたようです。また、野生の酵母で1樽分醸造してみるなど実験をいろいろやって知識を蓄えたといいます。
ヘレンは1984年にソノマのB.R. Cohnでワインメーカーになります。そして1987年に大きな転機が訪れます。イギリス人のPeter Michaelが作ったプレミアムなワイナリPeter Michaelの初代ワインメーカーになったのです。ここで彼女は贅を凝らしたワインを作り、一躍名を上げました。
1990年にはPeter Michaelを辞して自身のワイナリMarcassinをソノマに構えます。また、1991年から1993年ころにかけて、コンサルタントとして数多くのワイナリと契約します。その中にはColginやBryant、Pahlmeyerなどが含まれていました。
また、1993年から1995年にかけては、ヘレンの弟であるラリー・ターリーが作ったTurley Wine Cellarsでもワインを作っており、極めて濃厚なスタイルのジンファンデルという道を切り開きました。
1990年代半ばから後半に彼女が作ったワインは評論家に圧倒的に高く評価され、冒頭に挙げた「女神」という名が掲げられるようになりました。
一方で、ヘレンは品質にこだわるあまり、ワイナリのオーナーにも過大な要求および報酬を求めるようになっていきました。オーナーとぶつかり合うことも多かったのでしょう。1990年代末には大部分のワイナリでコンサルタントをはずれています。
そういった問題が浮上したのは、Bryant Familyとの契約のもつれが明らかになったことからでした。1997年のワインがWine Advocate誌で100点と評価されるなど、彼女の代表的なワイナリでしたが、内情は大変だったようです。正式には2002年にフィリップ・メルカに交代していますが、2000年の収穫期には既に内部で多くの問題がおき、ヘレンがワイン作りをボイコットして、ワインの品質も低くなったと言います。さらに2003年にはBryantのオーナーを契約不履行で訴えることになりました。裁判はヘレンが勝ち、25万5000ドルの報酬を得ることになりました。
訴訟問題としては、2006年にRoy Estateという新興のワイナリから逆に、契約を勝手に打ち切られたと提訴されるということもありました(和解で決着しています)。
素晴らしいワインを作りながらも、これらの問題から、ダーティで守銭奴的なイメージがついてしまったのは、残念なことだと思います。
こういったことや自身のMarcassinに注力したいという意向から、2000年代にワインメーカーをしたのは自身のMarcassinのほかは、Marcassinのブドウの供給元としても付き合いがあったMartinelli、1999年にできたBlankiet、2003年にできたKapcsándyと、1990年代に比べるとわずかにとどまります。長く続いたMartinelliとも2010年には終わりを告げ、2011年からは自身のMarcassinに専念することになりました。2011年には2008年のシャルドネがカリフォルニアのシャルドネとしては初めてWine Advocate誌で100点に輝いています。
最後に彼女のワインメーカーやコンサルタントとしての足跡をまとめておきます。ナパでの活躍を見るとカベルネ・ソヴィニョン一辺倒かと思ってしまいがちではありますが、Marcassinではウルトラ・プレミアムなピノ・ノワールとシャルドネを作り、同じくソノマのLandmarkやMartinelliでも優秀なシャルドネやピノ・ノワールを作りました。TurleyとMartinelliではZinfandelでも優れたワインを作っています。
B.R. Cohn 1984-1987
Peter Michael 1987-1990
Harrison Vineyards 1989-90?
Marcassin 1990-現在
Canepa 1991-?
Green & Red 1991-?
La Jota 1991-1997?
Swanson 1992-1995?
Colgin 1992-1999
Bryant 1992-2002
Landmark 1993-?
Martinelli 1993-2010
Turley 1993-1995
Pahlmeyer 1993-1999
Blankiet 1999-2005
Kapcsándy 2003-2004
1944年にゴルフのマスターズ・トーナメントで有名なジョージア州オーガスタで生まれたヘレン・ターリーはメリーランド州のアナポリスにあるセント・ジョンズ・カレッジで文学を学ぶという、ワインとは全く関係ない育ちでした。夫であり、現在も共同でワイン作りをしているジョン・ウェットローファーとはセント・ジョンズ・カレッジ在学中に知り合いました。
農業に興味があった彼女はその後、ニューヨークのコーネル大学で農業を学びます。そして1977年に田舎暮らしのライフスタイルとワイン作りのためにナパに来ます。
最初に得た職はRobert Mondaviで、研究所の技術者でした。いわゆる「セラー・ラット」としてセラーでの様々な業務もこなしたようです。また、野生の酵母で1樽分醸造してみるなど実験をいろいろやって知識を蓄えたといいます。
ヘレンは1984年にソノマのB.R. Cohnでワインメーカーになります。そして1987年に大きな転機が訪れます。イギリス人のPeter Michaelが作ったプレミアムなワイナリPeter Michaelの初代ワインメーカーになったのです。ここで彼女は贅を凝らしたワインを作り、一躍名を上げました。
1990年にはPeter Michaelを辞して自身のワイナリMarcassinをソノマに構えます。また、1991年から1993年ころにかけて、コンサルタントとして数多くのワイナリと契約します。その中にはColginやBryant、Pahlmeyerなどが含まれていました。
また、1993年から1995年にかけては、ヘレンの弟であるラリー・ターリーが作ったTurley Wine Cellarsでもワインを作っており、極めて濃厚なスタイルのジンファンデルという道を切り開きました。
1990年代半ばから後半に彼女が作ったワインは評論家に圧倒的に高く評価され、冒頭に挙げた「女神」という名が掲げられるようになりました。
一方で、ヘレンは品質にこだわるあまり、ワイナリのオーナーにも過大な要求および報酬を求めるようになっていきました。オーナーとぶつかり合うことも多かったのでしょう。1990年代末には大部分のワイナリでコンサルタントをはずれています。
そういった問題が浮上したのは、Bryant Familyとの契約のもつれが明らかになったことからでした。1997年のワインがWine Advocate誌で100点と評価されるなど、彼女の代表的なワイナリでしたが、内情は大変だったようです。正式には2002年にフィリップ・メルカに交代していますが、2000年の収穫期には既に内部で多くの問題がおき、ヘレンがワイン作りをボイコットして、ワインの品質も低くなったと言います。さらに2003年にはBryantのオーナーを契約不履行で訴えることになりました。裁判はヘレンが勝ち、25万5000ドルの報酬を得ることになりました。
訴訟問題としては、2006年にRoy Estateという新興のワイナリから逆に、契約を勝手に打ち切られたと提訴されるということもありました(和解で決着しています)。
素晴らしいワインを作りながらも、これらの問題から、ダーティで守銭奴的なイメージがついてしまったのは、残念なことだと思います。
こういったことや自身のMarcassinに注力したいという意向から、2000年代にワインメーカーをしたのは自身のMarcassinのほかは、Marcassinのブドウの供給元としても付き合いがあったMartinelli、1999年にできたBlankiet、2003年にできたKapcsándyと、1990年代に比べるとわずかにとどまります。長く続いたMartinelliとも2010年には終わりを告げ、2011年からは自身のMarcassinに専念することになりました。2011年には2008年のシャルドネがカリフォルニアのシャルドネとしては初めてWine Advocate誌で100点に輝いています。
最後に彼女のワインメーカーやコンサルタントとしての足跡をまとめておきます。ナパでの活躍を見るとカベルネ・ソヴィニョン一辺倒かと思ってしまいがちではありますが、Marcassinではウルトラ・プレミアムなピノ・ノワールとシャルドネを作り、同じくソノマのLandmarkやMartinelliでも優秀なシャルドネやピノ・ノワールを作りました。TurleyとMartinelliではZinfandelでも優れたワインを作っています。
B.R. Cohn 1984-1987
Peter Michael 1987-1990
Harrison Vineyards 1989-90?
Marcassin 1990-現在
Canepa 1991-?
Green & Red 1991-?
La Jota 1991-1997?
Swanson 1992-1995?
Colgin 1992-1999
Bryant 1992-2002
Landmark 1993-?
Martinelli 1993-2010
Turley 1993-1995
Pahlmeyer 1993-1999
Blankiet 1999-2005
Kapcsándy 2003-2004
ナパで最大の地主として知られているのがAndy Beckstofferです。合計1000エーカーを超える9つの畑を持っています。
中でも有名なのがBeckstoffer To-Kalon Vineyardでしょう。Schrader CellarsでCcsの名前で2006年~2008年まで100点を取ったCcs、Old Sparkyはどちらもこの畑のもの。ほかにもPaul Hobbs、Torなど、錚々たるワイナリがここのカベルネ・ソヴィニョンを作っています。ほかにもGeorge IIIやDr. Craneなど、優れた畑の持ち主です。
このAndy Beckstoffer、さぞかし畑仕事が好きな根っからの農夫なのかというと実はその真逆。優秀なビジネスパーソンとしてワインビジネスに入った人なのです。
彼はヴァージニア州出身で,エンジニアを目指してヴァージニア工科大学を卒業します。その後,陸軍でサンフランシスコに来ます。たまたまケネディの演説を聞いたことをきっかけに「偉くなろう」という決意をし,スタンフォード大学に入り直し,巨大酒類メーカーのHeubleinに就職したのです。
Heubleinで彼が取り組んだのがInglenookの買収。John Danielの手から離れた後、品質が急下降した背景には彼が関係していたと言われています。
その後1973年にRutherfordに畑を買ったことから、地主への道を歩み始めます。
1990年代には大地主としての地位を確立しますが、そこからさらに飛躍するのに使ったのがTo Kalonの名前です。フラグシップとしてTo Kalonを使っていたMondaviと名前をめぐって係争になりました。2003年に和解し、Beckstoffer To-Kalonと、前にBeckstofferと付けることで使えることになりました。このように、いざというときの政治力に長けているのは、彼の出身によるものなのでしょう。
中でも有名なのがBeckstoffer To-Kalon Vineyardでしょう。Schrader CellarsでCcsの名前で2006年~2008年まで100点を取ったCcs、Old Sparkyはどちらもこの畑のもの。ほかにもPaul Hobbs、Torなど、錚々たるワイナリがここのカベルネ・ソヴィニョンを作っています。ほかにもGeorge IIIやDr. Craneなど、優れた畑の持ち主です。
畑 | 面積 | 品種 | 主な顧客 |
MELROSE VINEYARD | 102エーカー | Sauvignon Blanc, Cabernet Sauvignon, Merlot | Merryvale, Plumpjack, Duckhorn |
CARNEROS CREEK VINEYARD | 44エーカー | Chardonnay | Acacia, Newton |
BECKSTOFFER LAS PIEDRAS VINEYARD | 25エーカー | Cabernet Sauvignon | Paul Hobbs, Stewart, PlumpJack |
BECKSTOFFER VINEYARD GEORGES III | 300エーカー | Cabernet Sauvignon | Provenance Rutherford, Merryvale Vineyards, Stag's Leap Wine Cellars, Bacio Divino, Franciscan |
CARNEROS LAKE and LAS AMIGAS VINEYARDS | 343エーカー | Chardonnay, Merlot | Acacia、Merryvale |
BECKSTOFFER TO KALON VINEYARD | 89エーカー | Cabernet Sauvignon, Merlot, Petit Verdot, Cabernet Franc | Schrader, Paul Hobbs |
MISSOURI HOPPER | 45エーカー | Cabernet Sauvignon, Merlot | Merryvale、Marilyn Monroe |
ORCHARD AVENUE VINEYARD | 80エーカー | Merlot | 主な顧客 |
BECKSTOFFER DR. CRANE VINEYARD | 25エーカー | Cabernet Sauvignon, Petit Verdot, Cabernet Franc | Paul Hobbs、Karl Lawrence |
このAndy Beckstoffer、さぞかし畑仕事が好きな根っからの農夫なのかというと実はその真逆。優秀なビジネスパーソンとしてワインビジネスに入った人なのです。
彼はヴァージニア州出身で,エンジニアを目指してヴァージニア工科大学を卒業します。その後,陸軍でサンフランシスコに来ます。たまたまケネディの演説を聞いたことをきっかけに「偉くなろう」という決意をし,スタンフォード大学に入り直し,巨大酒類メーカーのHeubleinに就職したのです。
Heubleinで彼が取り組んだのがInglenookの買収。John Danielの手から離れた後、品質が急下降した背景には彼が関係していたと言われています。
その後1973年にRutherfordに畑を買ったことから、地主への道を歩み始めます。
1990年代には大地主としての地位を確立しますが、そこからさらに飛躍するのに使ったのがTo Kalonの名前です。フラグシップとしてTo Kalonを使っていたMondaviと名前をめぐって係争になりました。2003年に和解し、Beckstoffer To-Kalonと、前にBeckstofferと付けることで使えることになりました。このように、いざというときの政治力に長けているのは、彼の出身によるものなのでしょう。
ナパのワイナリ紹介が、これまで通算124個に達しました。別にキリがいいわけではありませんが、どこまでやってもキリがないというのもあるので、とりあえずナパはここまでにしようかなと思っています。
うーん、何か大事なところを忘れているような気がしないでもないですが。
うーん、何か大事なところを忘れているような気がしないでもないですが。