ビル・ゲイツが引退した。マイクロソフトという社名は,今では「悪の帝国」であったり,あるいは「クラウド・コンピューティングの流れに乗り損ねようとしている巨艦」といったイメージに近いのかもしれないが,僕がパソコンの世界に接するようになった1980年代はまだまだ挑戦者の立場。日本のマイクロソフトにしても人数数十人といった中小企業であった。当時,「悪の帝国」のイメージに一番近かったのはビッグ・ブルーことIBMだっただろう。

その後マイクロソフトはIBMとときには手を携え,ときには斬り合い,最終的にはOSを牛耳り,さらにオフィス・ソフトを席巻した(80年代はビジネス・アプリではロータスの方がはるかに巨大であり,日本のワープロ・ソフトは一太郎の一人舞台だった)。元MSの開発者だった中島さんが書いているように,ビル・ゲイツは「それまではハードウェアのおまけ同然に配布されていたソフトウェアがビジネスになるということを身を持って証明」し,世界一の金持ちになった。

こういった功績は称えられてしかるべきだが,一般ユーザー(あるいは技術マニア)の間では,スティーブ・ジョブズに比べてゲイツは低く評価されているような気がする。


その理由を考えてみると,マイクロソフトがイノベーションを起こしたのは,上記のようなビジネス・モデルのレベルであって,ソフトウェアというものをマネタイズする方法であったことが挙げられる。一方でユーザーが使う製品のレベルでは多くの場合レボリューションというよりエボリューションだ。例えば,マイクロソフトが生み出した製品の中で僕が「すごいなあ」と思ったのはExcelとVisual Basicだが,ExcelはGUIという面ではMacintoshのおかげで実現できたものであり,表計算という面ではVisiCalcやLotus1-2-3が既にあった。Visual BasicについてもIDEのユーザー・インタフェースで新規性はあったが,プログラミング・モデルという面では特筆するものではなかった。

一方で,アップルはApple IIでパソコンという製品を,MacintoshでGUIを作った。厳密に言えばGUIはPARCによって作られたものだが,それはあくまでも研究レベルであり,ユーザーにとってはAppleが発明したようなものである。iPodは製品ジャンルという意味では後追いだが,その容量やiTMSといったビジネス・モデルによって,ユーザーのライフスタイルを一変した。「…で私の人生が変わった」といった体験を与えたのはマイクロソフトよりもアップルの製品なのだろう。

彼ら二人をライバルと呼んでいいのかどうかはよく分からないが,個人的には,ジョブズとゲイツ,どちらかの下で働くのを選べと言われたらゲイツを選ぶと思う。理屈が通じそうなのが一つ,根っからの技術者であるのがもう一つの理由だ。ゲイツはAltairのBASICをわずか4Kバイトというメモリ空間で実現した。彼のBASICへのこだわりが後年のVisual Basicに結び付いている。一方,ジョブズは昔から「現実歪曲空間」と言われており,すべてを自分の都合のよいように解釈することで知られている。今はこの言葉はジョブズのプレゼンテーションの巧みさを表現するものとして使われるケースが多いが,元はといえば,開発者の提案を,自分の提案にすり替えてしまうジョブズのやり方にあきれて付けられた言葉であった。彼の下で自分が我慢できる自信はない。

余談になるが,最近新書などでジョブズを取り上げたビジネス書がいろいろ出ているが,ほとんどが中身すかすかで30分もあれば読み終わってしまうしろものだ。また,内容のほとんどはジョブズ礼賛であり,信者にとってはうれしいのだろうけど,そうでなければどうでもいい話ばかりだ。どうせ読むなら下記の「iCon スティーブ・ジョブズ-偶像復活」の方がはるかに面白い。



段々,支離滅裂になってきたが,マイクロソフトが作ってきたものがソフトウェアであるのに対し,アップルはあくまでハードウェア主体という点も結構興味深い。ソフトの時代の次は多様化するクライアント端末の時代だということを示唆しているのかもしれない。一方で,マイクロソフトにしてもアップルにしても100年単位の歴史の中で見れば,Google(かもしれないし他の会社かもしれないが)などがネットですべてを提供する時代の露払いに過ぎないのかもしれない。ビル・ゲイツの引退は,やはり一つの時代の終わりであり,別の時代の始まりなのだろう。

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