カレラ(Calera)の創設者であり、カリフォルニアのピノ・ノワールのパイオニアの一人であるジョシュ・ジェンセン(Josh Jensen)氏が6月11日に亡くなりました。ご冥福をお祈りします。

ジョシュ・ジェンセンはサンフランシスコの対岸にあるオリンダで歯科医の息子として育ち、一家の友人でサンフランシスコ・フード・アンド・ワイン協会を設立したジョージ・セレックという人からワインを教わりました。エール大学で学んだ後、英国のオックスフォード大学に留学しましたが、オックスフォードではワイン漬けの日々を送っていたとのこと。そのころ、カリフォルニアでワインを作ることを志しました。1969年、ブルゴーニュへ行きDRCで収穫を手伝いました。翌年も収穫を手伝いに行き、DRCのセラー責任者のアンドレ・ノブレにワイナリーで働きたいと告げ、職を得ました。ところが、ラルー・ルロワに嫌われて追い出されてしまい、その後はデュジャックやコンドリューでも収穫を手伝い、米国に帰国しました。

ブルゴーニュで偉大な畑はすべて石灰岩の土壌にあると考えたジョシュは、鉱山監督省で地質分布図を取得し、フォルクスワーゲンのキャンピングカーでカリフォルニアを回りながら地質と気候を調べていきました。塩酸を持ち歩いて、土壌に石灰質があるかを確認していったそうです(石灰質があると水素が発生して泡が出る)。

そうして見つけたのがマウント・ハーランの頂上近くの土地でした。このときに出資したのがビル・リードという人で、前述のセレックやリードといったお世話になった人の名前を畑の名前に付けています。

有名なエピソードとして、カレラの畑のブドウはロマネ・コンティの枝を拾ってきたものからできている、というのがありますが、ジョシュ・ジェンセンは以下のように語っています。

クローンがロマネ・コンティから来たものであろうがあるまいが、それだけでロマネ・コンティのワインと同じ味のワインが造れるわけじゃない。単に、にせものではなくて、素性の知れた、よく選別されたピノ・ノワールの苗を手に入れたということにすぎない。野球のピッチャーにたとえれば、ツーストライクを取ってあとはとどめをさすだけだという心境ではなくて、まだ相手はバッターボックスに立っただけで何でもありという感じかな。
『ロマネ・コンティに挑む~カレラ・ワイナリーの物語~』より

カレラのマウント・ハーランは他のワイナリーからかなり離れたところにあり、山の麓は夏場になると気温40℃近くになるようなところ。畑は標高が高く、海からの風も当たるのでそこまで温度は上がりませんが、周りからは異端の目で見られることが多くありました。

その中でカレラの人気が高かったのが日本。漫画『ソムリエ』において、ブラインドで出されたワインを主人公が最初ロマネ・コンティだと思ったものの、考え直してカレラだと当てた、というエピソードがブームのきっかけになりました。
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漫画「ソムリエ」第1巻より(原作 城アラキ、監修 堀賢一、1996年)

以前カレラに問い合わせたときには生産量の4割を日本向けに出荷していると言っており、カレラにとって日本市場が非常に大きいものだったことがわかります。

果実味よりも熟成能力を重視するスタイルも、当初評価が上がらなかった理由の一つだと思いますが、だんだん評論家の評価も上がっていき、重要なワイナリーだとみなされるようになりました。2007年にはSFクロニクルのワインメーカー・オブ・ザ・イヤーにも選ばれています。

その後、ワインメーカーはマイク・ウォーラーに譲り、2017年にはワイナリーをダックホーンに売却しました。コロナ禍で引退状態になり、その後は健康状態も優れなかったようです。

昨年5月に急死したジム・クレンデネンさんに続き、ピノ・ノワールのパイオニアを失いました。

参考:カレラ・セミナー:セントラル・コーストとジョシュ・ジェンセン・セレクションの違いが分かった