ユリシス・ヴァルデス
ソノマで数多くの畑を管理しているユリシス・ヴァルデス(Ulises Valdez)が心臓発作で急死しました。享年49歳。もしかしたらソノマ・コーストの今後の発展に影響するかも、と思ってしまうほどのことで、私も呆然としています。

畑の管理というと有名なのはデビッド・エイブリューですが、エイブリューはナパが専門で、ほかの地域の畑はほとんど扱っていません。ソノマで畑の管理といえば圧倒的に名高いのがユリシス・ヴァルデスで「ソノマのデビッド・エイブリュー」と呼ぶ人もいるほどです。

トーマス・リヴァース・ブラウンやポール・ホブス、マーク・オーベールといった超一流中の超一流ワインメーカーたちが全幅の信頼を寄せていました。特にトーマス・リヴァース・ブラウンは自身のリヴァース・マリーでシルバー・イーグル(先日、中川ワインの試飲会で美味しかったワインに私が挙げています)のピノ・ノワールを造っているほか、シュレーダー・セラーズの設立者であるフレッド・シュレーダーと取り組むボアズ・ビュー(「マーカッサンを見下ろす親イノシシ?」を参照)やアストン・エステート(「トーマス・リヴァース・ブラウンの凄さの一端に触れ、まさに「天才」だと思った話(後編)」を参照)でもタッグを組んでいます。特にボアズ・ビューに関しては海に近い過酷な環境であり、ユリシス・ヴァルデス以外では畑の開発は不可能だったと言われています。

また、マーク・オーベールはUV(ユニシス・ヴァルデスの頭文字を取ったもの)やUV-SLといった畑のワインを造っており、こちらもその信頼度合いが伺えます。後述のようにユニシス・ヴァルデスが畑の管理者として知られるようになったのはマーク・オーベールとの交友がきっかけでした。

これほどの名声を勝ち得たユリシス・ヴァルデスですが、ここに至るまでの道程は簡単なものではありませんでした。

メキシコの貧しい家族に8人兄弟の一人として育ち、8歳のときには父親が亡くなってしまいます。小学校3年で中退して家族のために働きはじめました。16歳のときにカリフォルニアへの移住を企てますが2回失敗し、3回めは海から泳いで上陸してなんとか潜り込むことに成功しました。1985年のサンクスギビングの日でした。
そして1986年にレーガン大統領による恩赦で正式な移民となりました。

ユリシスはソノマの畑で働くようになり、その後ジャック・フローレンスという人と会社を設立して、畑の管理をしていました。2000年ころに、マーク・オーベールと友人になり、プレミアムなワイン造りに興味を保つようになりました。そこでロシアン・リバー・ヴァレーに土地を見つけて長期リースし、ブドウを植えたのが今のUVヴィンヤードです。ジャック・フローレンスはそちらの方向性に反対でしたが、ユリシスは最終的に2003年に全株式を買い取って自身の会社にしています。UVヴィンヤードのワインを最初に作ったのはマーク・オーベールで、その高品質さで引く手あまたになり、次々と畑を増やしていくことになりました。

2004年には自身のワイナリー、ヴァルデス・ファミリーを立ち上げ、家族で運営しています。2010年にはメキシコ大統領を迎えた晩餐会でそのワインが使われるなど、高く評価されています。

ユリシス・ヴァルデスの生涯はまさにアメリカン・ドリームを実現するものでした。子どもたちのうち4人はワイン業界で働いています。ヴァルデス・ファミリーのワインメーカーも娘が担っています。

彼の死は惜しまれますが、今後は家族が引き継いで一層もりたてて行くのではあいかと期待しています。

ご冥福をお祈りします。