ワイン・スペクテーターの前カリフォルニア担当ジェームズ・ラウビー氏が逝去
ワイン・スペクテーターのナパヴァレー支局長を長年務めていたジェームズ・ラウビー氏が3月22日、亡くなりました。死因は明らかにされていませんが、急死だったようです。73歳でした。

ジェームズ・ラウビーは、1983年にワイン・スペクテーターの編集者になり、ワイン・スペクテーター誌におけるカリフォルニアワインのレビューを一手に引き受けていました。濃厚で果実味豊かなスタイルのワインが全盛となった2000年代初頭においては特にロバート・パーカーと並んで、そのスタイル確立に大きな影響を与えました。ナパのカベルネもさることながら、個人的にはサイドウェイからのピノ・ノワールのブームにおいて、当時のコスタ・ブラウンのような酸が低くて濃厚なピノ・ノワールに高得点やワイン・オブ・ザ・イヤーにおける高い順位を与えたことが、「シラーのようなピノ・ノワール」と言われるピノ・ノワールの全盛につながったと思っています。
当時は米国ではまだ、酸が多くてデリケートなスタイルのピノ・ノワールを受け入れる土壌がなく、こういった濃厚スタイルを経てアメリカ人のテーストも徐々によりピノ・ノワールらしいスタイルを受け入れるようになったのだと思います。
レビューの点数だけでなく、記事でも大きな影響を与えてきました。特に印象に残っているものでいうと2000年4月30日号の「カルト・ワイン」特集。それまでもカルト・ワインという言葉は使われていましたが、ここでより明確にそのブームが形作られたと言っていいでしょう。表紙はスクリーミング・イーグル創設者のジーン・フィリップスさんでした。

業界の中心にありながら、業界に流されない人でもありました。100点法の採点の点数が各メディアでインフレ化していく中、ワイン・スペクテーターは今でもほとんど100点を付けないことで知られています。また、業界で物議を醸したテーマとしてはブショネの問題があります。ラウビーがブショネを指摘したワイナリーにはボーリュー・ヴィンヤード(BV)、ハンゼル、ガロ・オブ・ソノマ、シャトー・モンテレーナ、ピラー・ロックなどがあります。ブショネの原因物質であるTCAの検知には個人差が大きくあると言われており、ラウビーは極めて敏感だったようです。モンテレーナのブショネの場合、ラウビー以外はほとんどブショネと思わないレベルだったため、ワイナリーを糾弾することが本当にいいのかという話も出ていました。ですが、結局はワイナリー側が徹底した対策を行うことで、改善していったわけで、長い目で見れば彼の指摘は意味があったのだと思います。
2019年にスペクテーターからは引退しましたが、その後もナパに住んでいました。
ご冥福をお祈りします。

ジェームズ・ラウビーは、1983年にワイン・スペクテーターの編集者になり、ワイン・スペクテーター誌におけるカリフォルニアワインのレビューを一手に引き受けていました。濃厚で果実味豊かなスタイルのワインが全盛となった2000年代初頭においては特にロバート・パーカーと並んで、そのスタイル確立に大きな影響を与えました。ナパのカベルネもさることながら、個人的にはサイドウェイからのピノ・ノワールのブームにおいて、当時のコスタ・ブラウンのような酸が低くて濃厚なピノ・ノワールに高得点やワイン・オブ・ザ・イヤーにおける高い順位を与えたことが、「シラーのようなピノ・ノワール」と言われるピノ・ノワールの全盛につながったと思っています。
当時は米国ではまだ、酸が多くてデリケートなスタイルのピノ・ノワールを受け入れる土壌がなく、こういった濃厚スタイルを経てアメリカ人のテーストも徐々によりピノ・ノワールらしいスタイルを受け入れるようになったのだと思います。
レビューの点数だけでなく、記事でも大きな影響を与えてきました。特に印象に残っているものでいうと2000年4月30日号の「カルト・ワイン」特集。それまでもカルト・ワインという言葉は使われていましたが、ここでより明確にそのブームが形作られたと言っていいでしょう。表紙はスクリーミング・イーグル創設者のジーン・フィリップスさんでした。

業界の中心にありながら、業界に流されない人でもありました。100点法の採点の点数が各メディアでインフレ化していく中、ワイン・スペクテーターは今でもほとんど100点を付けないことで知られています。また、業界で物議を醸したテーマとしてはブショネの問題があります。ラウビーがブショネを指摘したワイナリーにはボーリュー・ヴィンヤード(BV)、ハンゼル、ガロ・オブ・ソノマ、シャトー・モンテレーナ、ピラー・ロックなどがあります。ブショネの原因物質であるTCAの検知には個人差が大きくあると言われており、ラウビーは極めて敏感だったようです。モンテレーナのブショネの場合、ラウビー以外はほとんどブショネと思わないレベルだったため、ワイナリーを糾弾することが本当にいいのかという話も出ていました。ですが、結局はワイナリー側が徹底した対策を行うことで、改善していったわけで、長い目で見れば彼の指摘は意味があったのだと思います。
2019年にスペクテーターからは引退しましたが、その後もナパに住んでいました。
ご冥福をお祈りします。