トカロン・ヴィンヤードの謎を解く【保存版】
昨日公開した「デカンター誌が2013年のカリカベを絶賛、リッジやドミナスなどに満点」という記事で、マクドナルドというワイナリーについて調べていたところ、マクドナルド家がトカロン(To-Kalon)・ヴィンヤードの一部を持っているということがわかりました。
こんなときに役に立つのが「ヴィナスからオークヴィルとプリチャード・ヒルの畑マップが届いた」で紹介したオークヴィルの地図。裏面の解説7ページのうち1.5ページくらいがトカロンに割かれていました。私のこれまでの知識はモンダヴィのトカロンとベクストファー・トカロンがある、というくらいだったのですが、実はトカロンの話はずっとややこしくこみあっており、それだけで本が一冊書けてしまいそうなくらいのものがあることがわかりました。
そこで、トカロンとは何かという話をまとめておこうというのがこの記事です。なるべく平易に、かつ短く書きたいので、もっと詳しいことが知りたいという人は「The True Story of To-Kalon Vineyard - Sommambulism - Features - GuildSomm」を読んでみてください。
で、まずは大前提としてトカロンはカリフォルニアのカベルネ・ソーヴィニヨンの中で最高の畑の1つであるということ。もりカリフォルニアで「グラン・クリュ」を選ぶとしたら、トカロンがそこに入らないことはあり得ません。もっともわかりやすい「パーカー100点」のワインだけで見ても、トカロンのワインが22本もあります。ちなみに、この全部がトカロンの中でも「ベクストファー・トカロン」のものであり、さらにシュレーダー(Schrader)だけで15本を占めています。このほか、かのオーパス・ワンもメインの畑としてトカロンのブドウを使っていまし、もちろんモンダヴィのカベルネ・ソーヴィニヨン・リザーブやフュメ・ブランなどもトカロン産です。
写真:ナパのソーヴィニヨンブランの代表的な畑であるトカロンの「I-ブロック」
このように、トカロンという名前は、やまほど出て来るのですが、実はトカロンの商標はモンダヴィが持っています。プリチャードヒルの商標をシャペレーが持っているようなもので、これ自体問題はないのですが、話がややこしくなる原因の1つにはなっています。
モンダヴィが商標を持っているのに、逆にどうしてベクストファー・トカロンと名乗るのが許されているかというと、2001年にトカロンの名前を使ったことでシュレーダーを提訴し、その和解によって使えるようになったのでした。
そもそも、トカロンというのは19世紀に、ここにブドウ畑を開拓したハミルトン・クラブという人が名付けたもの。ギリシャ語で「最高の美しさ」といった意味合いがあります。この人は、ロバート・モンダヴィが1世紀前に登場したようなビジョナリーだったそうです。
クラブが1868年に購入した240エーカーの土地が、最初のトカロンです。この土地は現在はモンダヴィ、オーパス・ワン、ベクストファー、それにウィルセイ(Wilsey)という人が所有しています。ただ、ウィルセイはここに立っていた家屋を継承しており、畑には絡んでいないようです。クラブは1879年に119エーカーを買い足しており、その土地は現在はモンダヴィとUC Davisに属しています。なお、UC Davisの土地もブドウ畑ではなく、プルーンなどが植わっていたそうです。クラブは1891年にさらに土地を買い足しており、合計で500エーカーほどになりました。1891年の土地はモンダヴィ、オーパス・ワン、マクドナルド、デタート?(Detert)が持っています。
禁酒法があけたあと1943年にマーチン・ステリングという人が大部分の土地の所有者になります。この人はさらに500エーカーほどを買い足しており、それを含めたものが、広い意味でのトカロンということになります。1950年にステリングが亡くなった後、イタリアン・スイス・コロニーを経てチャールズ・クリュッグ・ワイナリーのものになり、ロバート・モンダヴィがそれを手に入れたという形になります。
オーパス・ワンは1981年と2008年に一部の畑を譲り受けました。また、1868年のオリジナル・トカロンの土地のうち89エーカーはボーリュー・ヴィンヤード(Beaulieu Vineyard=BV)を経て1993年にアンディ・ベクストファーが入手しています。
このほか1954年にステリング未亡人からヘドウィグ・デタートという人が46エーカーの土地を購入しています。その子孫のガンサー(Gunther)・デタートとアレン・ホートンが土地を2つに分け、どちらもモンダヴィにブドウを供給していました。現在はガンサーの孫のトム・ギャレットがデタート・ワイナリーを興し、アレン・ホートンの孫のアレックス・マクドナルドがマクドナルド・ワイナリーを興しています。
さて、冒頭の話に戻って、2001年にモンダヴィがシュレーダーを提訴した後、逆にベクストファー側は、トカロンは土地の名前であり、オリジナルのトカロンの畑であるからその名前が利用できると主張しました。結局両者は和解し、モンダヴィは依然商標を持っているものの、ベクストファーにトカロンの名前の使用を許可し、ベクストファー・トカロンのブドウを使うワイナリーも、その名前を利用できるようになったわけです。
一方で、マクドナルドやデタートは今もトカロンの名前を使えません。
トカロンと名乗ることの是非にはこのほか、ハミルトン・クラブの元でトカロンのワインにブドウが使われた実績があるかどうかなどを考慮することもあるようですが、話がややこしくなりすぎるのと、そこまで厳密にすることにはさほど意味がないという気がするので、そのあたりは省略します。
トカロンに関しては、そもそもどうしてここで最高のブドウが取れるのかといったことも大きな疑問の1つではあるのですが、そのあたりを考え出すと、夜も眠れなくなっちゃいそうなので、今日はここで切り上げることにします。
こんなときに役に立つのが「ヴィナスからオークヴィルとプリチャード・ヒルの畑マップが届いた」で紹介したオークヴィルの地図。裏面の解説7ページのうち1.5ページくらいがトカロンに割かれていました。私のこれまでの知識はモンダヴィのトカロンとベクストファー・トカロンがある、というくらいだったのですが、実はトカロンの話はずっとややこしくこみあっており、それだけで本が一冊書けてしまいそうなくらいのものがあることがわかりました。
そこで、トカロンとは何かという話をまとめておこうというのがこの記事です。なるべく平易に、かつ短く書きたいので、もっと詳しいことが知りたいという人は「The True Story of To-Kalon Vineyard - Sommambulism - Features - GuildSomm」を読んでみてください。
で、まずは大前提としてトカロンはカリフォルニアのカベルネ・ソーヴィニヨンの中で最高の畑の1つであるということ。もりカリフォルニアで「グラン・クリュ」を選ぶとしたら、トカロンがそこに入らないことはあり得ません。もっともわかりやすい「パーカー100点」のワインだけで見ても、トカロンのワインが22本もあります。ちなみに、この全部がトカロンの中でも「ベクストファー・トカロン」のものであり、さらにシュレーダー(Schrader)だけで15本を占めています。このほか、かのオーパス・ワンもメインの畑としてトカロンのブドウを使っていまし、もちろんモンダヴィのカベルネ・ソーヴィニヨン・リザーブやフュメ・ブランなどもトカロン産です。
写真:ナパのソーヴィニヨンブランの代表的な畑であるトカロンの「I-ブロック」
このように、トカロンという名前は、やまほど出て来るのですが、実はトカロンの商標はモンダヴィが持っています。プリチャードヒルの商標をシャペレーが持っているようなもので、これ自体問題はないのですが、話がややこしくなる原因の1つにはなっています。
モンダヴィが商標を持っているのに、逆にどうしてベクストファー・トカロンと名乗るのが許されているかというと、2001年にトカロンの名前を使ったことでシュレーダーを提訴し、その和解によって使えるようになったのでした。
そもそも、トカロンというのは19世紀に、ここにブドウ畑を開拓したハミルトン・クラブという人が名付けたもの。ギリシャ語で「最高の美しさ」といった意味合いがあります。この人は、ロバート・モンダヴィが1世紀前に登場したようなビジョナリーだったそうです。
クラブが1868年に購入した240エーカーの土地が、最初のトカロンです。この土地は現在はモンダヴィ、オーパス・ワン、ベクストファー、それにウィルセイ(Wilsey)という人が所有しています。ただ、ウィルセイはここに立っていた家屋を継承しており、畑には絡んでいないようです。クラブは1879年に119エーカーを買い足しており、その土地は現在はモンダヴィとUC Davisに属しています。なお、UC Davisの土地もブドウ畑ではなく、プルーンなどが植わっていたそうです。クラブは1891年にさらに土地を買い足しており、合計で500エーカーほどになりました。1891年の土地はモンダヴィ、オーパス・ワン、マクドナルド、デタート?(Detert)が持っています。
禁酒法があけたあと1943年にマーチン・ステリングという人が大部分の土地の所有者になります。この人はさらに500エーカーほどを買い足しており、それを含めたものが、広い意味でのトカロンということになります。1950年にステリングが亡くなった後、イタリアン・スイス・コロニーを経てチャールズ・クリュッグ・ワイナリーのものになり、ロバート・モンダヴィがそれを手に入れたという形になります。
オーパス・ワンは1981年と2008年に一部の畑を譲り受けました。また、1868年のオリジナル・トカロンの土地のうち89エーカーはボーリュー・ヴィンヤード(Beaulieu Vineyard=BV)を経て1993年にアンディ・ベクストファーが入手しています。
このほか1954年にステリング未亡人からヘドウィグ・デタートという人が46エーカーの土地を購入しています。その子孫のガンサー(Gunther)・デタートとアレン・ホートンが土地を2つに分け、どちらもモンダヴィにブドウを供給していました。現在はガンサーの孫のトム・ギャレットがデタート・ワイナリーを興し、アレン・ホートンの孫のアレックス・マクドナルドがマクドナルド・ワイナリーを興しています。
さて、冒頭の話に戻って、2001年にモンダヴィがシュレーダーを提訴した後、逆にベクストファー側は、トカロンは土地の名前であり、オリジナルのトカロンの畑であるからその名前が利用できると主張しました。結局両者は和解し、モンダヴィは依然商標を持っているものの、ベクストファーにトカロンの名前の使用を許可し、ベクストファー・トカロンのブドウを使うワイナリーも、その名前を利用できるようになったわけです。
一方で、マクドナルドやデタートは今もトカロンの名前を使えません。
トカロンと名乗ることの是非にはこのほか、ハミルトン・クラブの元でトカロンのワインにブドウが使われた実績があるかどうかなどを考慮することもあるようですが、話がややこしくなりすぎるのと、そこまで厳密にすることにはさほど意味がないという気がするので、そのあたりは省略します。
トカロンに関しては、そもそもどうしてここで最高のブドウが取れるのかといったことも大きな疑問の1つではあるのですが、そのあたりを考え出すと、夜も眠れなくなっちゃいそうなので、今日はここで切り上げることにします。