Warren Winiarski
ナパのスタッグス・リープ・ワイン・セラーズ(Stag’s Leap Wine Cellars)の創設者であり、1076年の「パリスの審判」で赤ワイン1位になったカベルネ・ソーヴィニヨンを作ったウォーレン(ワレンとも)ウィニアルスキーが95歳で亡くなりました。自宅で平穏に死を迎えたとのことです。

ウォーレン・ウィニアルスキーはシカゴの出身のポーランド系アメリカ人。イタリアに旅をしたのがきっかけでワインに目覚め、ワイン作りをするためにカリフォルニアに来ました。苗字のWiniarskiはポーランド語で「vintner's son(ワイン醸造家の息子)」という意味だそうです。1966年から、誕生したばかりのロバート・モンダヴィでアシスタント・ワインメーカーを務めました。

モンダヴィで働きながら、自身のワイナリーのための畑を探していたところ、スタッグス・リープのネイサン・フェイ(Nathan Fay)という人のカベルネ・ソーヴィニヨンを飲んで衝撃を受け、その近くでワインを造りたいと考えました。たまたまその隣の土地が売りに出たため、購入。1970年のことです。

植樹を始めて、1972年にスタッグス・リープ・ワイン・セラーズを設立。この年には同じくパリスの審判で白ワイン1位になったシャトー・モンテレーナや、ナパのケイマス、シルバー・オーク、ダイヤモンド・クリークなどそうそうたるワイナリーが数多く作られています。

創設2年目の1973年のカベルネ・ソーヴィニヨンがパリスの審判で1位になり、一躍時代の寵児となりました。この畑がStag's Leap Vineyard。現在はS.L.V.という略称で知られています。ネイサン・フェイの畑も彼の引退時に取得してFAYという畑で、その単一畑のカベルネ・ソーヴィニヨンも作っています。また、この二つをブレンドして作った最高級のカベルネ・ソーヴィニヨンがCask23です。
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2006年に行われたパリ・テイスティングの30周年記念テイスティングでは、このワインはRidgeのMonte Belloに続いて2位。決して若い時だけのワインではないことを示しました。

ウォーレン・ウィニアルスキーは後継者がいないということから、ワイナリとS.L.V.、FAYの畑を2007年にワシントン州のCh. Ste. Michelleなどに売却。本人もワイン造りからは引退しましたが、クームズヴィルのアルカディア・ヴィンヤードだけは自身のものとして持ち続け、スタッグス・リープ・ワイン・セラーズにブドウを供給していました。

彼はまた、ナパの農地保護の活動にも積極的に携わっていました。様々な意味でナパの先駆者のひとりだったと言えます。人柄も良く、皆に尊敬されていました。

昨年はマイク・ガーギッチが亡くなり、今年はウォーレン・ウィニアルスキー、歴史の証人がだんだん減っていきます。