シェ・イノは東京駅からほど近い京橋にあるフランス料理のグラン・メゾン。創立30年を超える老舗です。オーナーシェフの井上旭(のぼる)さんは様々な賞を受賞しており、東京サミットでの晩餐会も担当した、日本のフランス料理界を代表するシェフの一人です。
このレストランで20年近く働いているのが伊東賢児支配人兼シェフ・ソムリエ。数々の賞を受賞した経験を持ち、ワインスクールでの講師歴も長い、人気と実力を兼ね備えたソムリエです。
ワイン歴やカリフォルニアワインへの思いなどを伺いました。
――ワイン歴を教えてください。
伊東;1989年ころに、名古屋のヒルトンホテルに勤めていて、ワインに興味を持つようになりました。
最初は、白ワインから入って、ボルドーの赤ワインなどを飲むようになりました。最初に買った格付けのワイナリーはシャトー・ランシュ・バージュだったと思います。
また、米国資本のホテルなので、カリフォルニアワインのフェアがときどきありました。それでカリフォルニアワインについても勉強したくなりました。名古屋にサントリーのソムリエ・スクールがあったので、そこに通って勉強していました。
1991年にはソムリエになりました。当時の試験は筆記式でした。ソムリエの番号が651番。「むごい」番号で気に入らなかったものでした。1995年にシニア・ソムリエを取ったときは222番でした。当時はまだ、ワイン・エキスパートもなかったですし、今とは大きく違っています。
――3桁というのは凄いですね。
伊東:バブルがはじけた後だったので、どちらかというといろいろなホテルでソムリエは縮小気味だったのです。ヒルトンでも従業員はたくさんいたのですが、サービス指向の方が多く、ワインの専門職は一人だけでした。
ソムリエに受かった後、コンクールに出たところ、予選を突破して23歳にして「ベストヤングソムリエ賞」をいただきました。
すると外資なので、ワインは全部お前が見ろということになりました。ワインリストを作ったり、業者と交渉したりといったことも自分でやるようになりました。
そこでカリフォルニアワインとも一層触れ合うようになりました。例えばシェーファーのメルローとか、美味しかったですねえ。ケイマスも大好きでした。ケイマスは値段も安くて、ワインバーでのボトルの価格が6000円でした。だからいつも飲んでましたね。
――それにしてもあっという間に出世なさったわけなのですが、ソムリエ職が向いていたのでしょうか。
伊東:昔から歴史、特に世界史が好きでした。ワインについても歴史を紐解いて調べていくのが楽しかったのです。
――カリフォルニアワインの知識はどのように高めていったのですか。
伊東:当時は田辺由美さんの本くらいしか情報源がなかったので、それをバイブルのように読んでいました。また、カリフォルニアワイン・インスティテュートが主催するカリフォルニア・ワイン・コンクールというのがありました。それに出たりもしていました。
1993年には実際にカリフォルニアに行きました。インポーターのジャーディンが主催するツアーに参加して行きました。ボーナスでお金が入るとそういったツアーに参加してましたね。シミ、ドミナス、ドメーヌ・シャンドン、ケイクブレッド・セラーズ、ハイツ、ペドロンチェリ、ソノマ・クトラーなどに行きました。
ワインショップでグッズを買い込むのも楽しかったです。
ところが帰る日の朝方にとんでもないことが起こったんです。近所で大砲を打っているかのような音がして、独立記念日でもないしなあ、と思ったら、ヨントヴィルのガソリンスタンドが爆発していたのです。
いったん避難してくださいというので、近くのデニーズで待機していたところ、町が封鎖されて入れないとのことで、着のみ着のままで帰国することになりました。中には手荷物がパスポートだけという人もいたくらいです。残りの荷物は後日、手元に戻りましたが、大変なことでした。
また、カリフォルニアでは野菜がおいしいことや、気候が地中海性で日本と全く違うことに驚きました。
畑もいろいろ見ましたが、特に丘陵地の畑には魅せられました。
――アメリカのレストランはどうでしたか。
伊東:量は多いですね(笑)。素朴な料理が多いですが、野菜にしても肉にしても素材がいいのは印象的でした。日本人オーナーのレストラン「テラ」は美味しかったです。
発見もありました。ケイクブレッドのオーナーの自宅で「うちのカベルネ・ソーヴィニヨンとチョコレートとダークチェリーのケーキが合うんだよね」と言われて、実際に食べてみたらすごく合っていました。
カリフォルニアって面白いと思うのは、いいと思ったらやってしまえる環境がありますよね。旧世界だと自由がないですから。
――ヒルトンには何年までいらっしゃったのですか。
伊東:1995年までです。その後、「ステーキのあさくま」で会長付きのワインコンサルタントとしてワインの品揃えや、サービスマニュアルなどをやっていました。実験店舗でいろいろやってみました。実際に私がサービスに入ったら、ワインの売上が250%伸びたんです。それで、250%は無理にしても170%くらいでできるように、マニュアルなどを整えました。
その後は、ポメリー・ソムリエスカラシップというコンテストで優勝して、フランスに3カ月留学しました。
戻ってきてからは、タトゥー東京という店で働きました。そこはニューヨークに本店があって、クリントン元米大統領がサックスを吹いたことがあることでも知られています。
そして19年前に、ソムリエ世界一になった田崎さんに請われて、今のシェ・イノで働くことになりました。
――シェ・イノのようなフランス料理のレストランにおいて、カリフォルニアワインはどうなのでしょうか。
伊東:シェ・イノにはワインが大体1万本くらい在庫であるのですが、その中にはカリフォルニアワインも1500本くらいあります。フランスワインの次に多いです。料理本来の味に負けない味わいがあります。
インシグニアとかアルファ・オメガなどが人気があります。グラスでペドロンチェリのソーヴィニヨン・ブランもよく出ます。
実は、あえてオーパス・ワンはおかず、ほかのワインをお薦めしています。オーパス・ワンの品質が悪いということではなく、オーパス・ワンを置くとそればかりになってしまうので、ほかのワインにも目を向けてもらうためです。
――伊東さんにとってカリフォルニアワインはどうでしょうか。
伊東:カリフォルニアにはまた行きたいです。カリフォルニアワインはどんどん良くなっています。また、個人的にロックが好きであり、その親和性もありあす。
カリフォルニアは、旧世界のワインと比べると自由な発想でいいものを作ることができます。ハーランなどは、ビジネスプランを徹底して作っていますよね。どうしてこういうふうにワインを作っているのかがわかると、お客様にワインを薦めやすくなります。
結局、作り手の気持ちを伝えることが大事で、そのワインをお客様に好きになってほしいと思うからです。
――思い出に残っているカリフォルニアワインはありますか。
伊東:10年くらい前に飲んだ、1978年のインシグニアは忘れられない味わいでした。ハイツのマーサズも独特の味わいで記憶に残っています。
関連サイト:Chez Inno-シェ・イノ 京橋
インタビューを終えて:グラン・メゾンのシェフ・ソムリエということでちょっと緊張しましたが、非常にきさくな方で、楽しくお話させていただきました。いつかはシェ・イノで食事をしたいなあと思いました。
●過去のリレー・インタビュー
全都道府県でワイン会をやっていきたい――ワインライフ 杉本隆英社長
4000円以下で美味しいワインを紹介していきたい――アイコニック アンドリュー・ダンバー社長
顔の見えるオンラインショップでありたい――Wassy's鷲谷社長、波田店長
ソノマの美味しいワインを日本に紹介したい――ソノマワイン商会 金丸緑郎社長
神様が背中を押してくれているような気がしました――ilovecalwine 海老原卓也社長
ワインとの“出会い”を大事に――ミライズ 清家純社長
好きなワインを選んでいったら自然派に行き着きました――オーシャンワイン 早坂恵美社長
ロバート・モンダヴィさんに畑で叱られました――桑田士誉(あきたか)さん
プリチャードヒルとメルカに注目しています――ワイン蔵TOKYO中川正光オーナー
今年からはノリアに専念します――ナカムラ・セラーズ中村倫久社長
来日でワイナリーとのコネクションを深めています――中川ワイン 中川誠一郎社長
このレストランで20年近く働いているのが伊東賢児支配人兼シェフ・ソムリエ。数々の賞を受賞した経験を持ち、ワインスクールでの講師歴も長い、人気と実力を兼ね備えたソムリエです。
ワイン歴やカリフォルニアワインへの思いなどを伺いました。
――ワイン歴を教えてください。
伊東;1989年ころに、名古屋のヒルトンホテルに勤めていて、ワインに興味を持つようになりました。
最初は、白ワインから入って、ボルドーの赤ワインなどを飲むようになりました。最初に買った格付けのワイナリーはシャトー・ランシュ・バージュだったと思います。
また、米国資本のホテルなので、カリフォルニアワインのフェアがときどきありました。それでカリフォルニアワインについても勉強したくなりました。名古屋にサントリーのソムリエ・スクールがあったので、そこに通って勉強していました。
1991年にはソムリエになりました。当時の試験は筆記式でした。ソムリエの番号が651番。「むごい」番号で気に入らなかったものでした。1995年にシニア・ソムリエを取ったときは222番でした。当時はまだ、ワイン・エキスパートもなかったですし、今とは大きく違っています。
――3桁というのは凄いですね。
伊東:バブルがはじけた後だったので、どちらかというといろいろなホテルでソムリエは縮小気味だったのです。ヒルトンでも従業員はたくさんいたのですが、サービス指向の方が多く、ワインの専門職は一人だけでした。
ソムリエに受かった後、コンクールに出たところ、予選を突破して23歳にして「ベストヤングソムリエ賞」をいただきました。
すると外資なので、ワインは全部お前が見ろということになりました。ワインリストを作ったり、業者と交渉したりといったことも自分でやるようになりました。
そこでカリフォルニアワインとも一層触れ合うようになりました。例えばシェーファーのメルローとか、美味しかったですねえ。ケイマスも大好きでした。ケイマスは値段も安くて、ワインバーでのボトルの価格が6000円でした。だからいつも飲んでましたね。
――それにしてもあっという間に出世なさったわけなのですが、ソムリエ職が向いていたのでしょうか。
伊東:昔から歴史、特に世界史が好きでした。ワインについても歴史を紐解いて調べていくのが楽しかったのです。
――カリフォルニアワインの知識はどのように高めていったのですか。
伊東:当時は田辺由美さんの本くらいしか情報源がなかったので、それをバイブルのように読んでいました。また、カリフォルニアワイン・インスティテュートが主催するカリフォルニア・ワイン・コンクールというのがありました。それに出たりもしていました。
1993年には実際にカリフォルニアに行きました。インポーターのジャーディンが主催するツアーに参加して行きました。ボーナスでお金が入るとそういったツアーに参加してましたね。シミ、ドミナス、ドメーヌ・シャンドン、ケイクブレッド・セラーズ、ハイツ、ペドロンチェリ、ソノマ・クトラーなどに行きました。
ワインショップでグッズを買い込むのも楽しかったです。
ところが帰る日の朝方にとんでもないことが起こったんです。近所で大砲を打っているかのような音がして、独立記念日でもないしなあ、と思ったら、ヨントヴィルのガソリンスタンドが爆発していたのです。
いったん避難してくださいというので、近くのデニーズで待機していたところ、町が封鎖されて入れないとのことで、着のみ着のままで帰国することになりました。中には手荷物がパスポートだけという人もいたくらいです。残りの荷物は後日、手元に戻りましたが、大変なことでした。
また、カリフォルニアでは野菜がおいしいことや、気候が地中海性で日本と全く違うことに驚きました。
畑もいろいろ見ましたが、特に丘陵地の畑には魅せられました。
――アメリカのレストランはどうでしたか。
伊東:量は多いですね(笑)。素朴な料理が多いですが、野菜にしても肉にしても素材がいいのは印象的でした。日本人オーナーのレストラン「テラ」は美味しかったです。
発見もありました。ケイクブレッドのオーナーの自宅で「うちのカベルネ・ソーヴィニヨンとチョコレートとダークチェリーのケーキが合うんだよね」と言われて、実際に食べてみたらすごく合っていました。
カリフォルニアって面白いと思うのは、いいと思ったらやってしまえる環境がありますよね。旧世界だと自由がないですから。
――ヒルトンには何年までいらっしゃったのですか。
伊東:1995年までです。その後、「ステーキのあさくま」で会長付きのワインコンサルタントとしてワインの品揃えや、サービスマニュアルなどをやっていました。実験店舗でいろいろやってみました。実際に私がサービスに入ったら、ワインの売上が250%伸びたんです。それで、250%は無理にしても170%くらいでできるように、マニュアルなどを整えました。
その後は、ポメリー・ソムリエスカラシップというコンテストで優勝して、フランスに3カ月留学しました。
戻ってきてからは、タトゥー東京という店で働きました。そこはニューヨークに本店があって、クリントン元米大統領がサックスを吹いたことがあることでも知られています。
そして19年前に、ソムリエ世界一になった田崎さんに請われて、今のシェ・イノで働くことになりました。
――シェ・イノのようなフランス料理のレストランにおいて、カリフォルニアワインはどうなのでしょうか。
伊東:シェ・イノにはワインが大体1万本くらい在庫であるのですが、その中にはカリフォルニアワインも1500本くらいあります。フランスワインの次に多いです。料理本来の味に負けない味わいがあります。
インシグニアとかアルファ・オメガなどが人気があります。グラスでペドロンチェリのソーヴィニヨン・ブランもよく出ます。
実は、あえてオーパス・ワンはおかず、ほかのワインをお薦めしています。オーパス・ワンの品質が悪いということではなく、オーパス・ワンを置くとそればかりになってしまうので、ほかのワインにも目を向けてもらうためです。
――伊東さんにとってカリフォルニアワインはどうでしょうか。
伊東:カリフォルニアにはまた行きたいです。カリフォルニアワインはどんどん良くなっています。また、個人的にロックが好きであり、その親和性もありあす。
カリフォルニアは、旧世界のワインと比べると自由な発想でいいものを作ることができます。ハーランなどは、ビジネスプランを徹底して作っていますよね。どうしてこういうふうにワインを作っているのかがわかると、お客様にワインを薦めやすくなります。
結局、作り手の気持ちを伝えることが大事で、そのワインをお客様に好きになってほしいと思うからです。
――思い出に残っているカリフォルニアワインはありますか。
伊東:10年くらい前に飲んだ、1978年のインシグニアは忘れられない味わいでした。ハイツのマーサズも独特の味わいで記憶に残っています。
関連サイト:Chez Inno-シェ・イノ 京橋
インタビューを終えて:グラン・メゾンのシェフ・ソムリエということでちょっと緊張しましたが、非常にきさくな方で、楽しくお話させていただきました。いつかはシェ・イノで食事をしたいなあと思いました。
●過去のリレー・インタビュー
全都道府県でワイン会をやっていきたい――ワインライフ 杉本隆英社長
4000円以下で美味しいワインを紹介していきたい――アイコニック アンドリュー・ダンバー社長
顔の見えるオンラインショップでありたい――Wassy's鷲谷社長、波田店長
ソノマの美味しいワインを日本に紹介したい――ソノマワイン商会 金丸緑郎社長
神様が背中を押してくれているような気がしました――ilovecalwine 海老原卓也社長
ワインとの“出会い”を大事に――ミライズ 清家純社長
好きなワインを選んでいったら自然派に行き着きました――オーシャンワイン 早坂恵美社長
ロバート・モンダヴィさんに畑で叱られました――桑田士誉(あきたか)さん
プリチャードヒルとメルカに注目しています――ワイン蔵TOKYO中川正光オーナー
今年からはノリアに専念します――ナカムラ・セラーズ中村倫久社長
来日でワイナリーとのコネクションを深めています――中川ワイン 中川誠一郎社長