中川ワインはカリフォルニア・ワインのインポーターとしては日本の最大手です。ハーラン・エステートやコルギンといった、いわゆる「カルト・ワイン」と呼ばれる高額ワインの扱いが多いことでも、群を抜いています。

中川誠一郎社長は、ここの二代目。父親の中川一三さんから家業を引き継ぎました。ただ、苦労知らずの二代目社長というわけではありません。他の会社での経験も長く、社長を引き継いでからも戦略を持って、経営を改善しています。

また、先日には「ボトルの中には夢がある」というカリフォルニア・ワインの本も出されています。

ワイナリーとの付き合いや、カリフォルニア・ワイン・ファンを増やす方法などについて話を伺いました。

中川誠一郎社長

――中川ワインの設立経緯から教えてください。
中川:設立は1985年です。父親の中川一三が始めました。最初に輸入したのはフランスワインだったと思います。プリムールに興味があったようなので。

その後、あるカリフォルニアのブローカーと知り合いになり、そのブローカーに紹介されたワインを輸入するようになりました。初めのうちは、今は扱わなくなってしまったシャトー・ウォルトナーや、ハンゼルなどを入れていました。1994年からハーラン・エステートを扱い始めました。

そのころまではカリフォルニアだけでなく、フランスワインも取り扱っていました。しかし、この規模のインポーターだと、もっと特徴を持たないといけないと考えました。1つの分野で最強になりたいと思い、1995年ころからカリフォルニアにさらに軸足を移すことにしました。

現在では、カリフォルニアとオレゴン、ワシントンで約95%を占めています。

――初期に取り扱っていたワイナリーはほかにどのようなところがありましたか。
中川:ダックホーン、コングスガード、オー・ボン・クリマ、ペドロンチェリなどです。カレラやシェーファーなど、扱わなくなってしまったワイナリーもありますが、大部分は残っています。

――中川ワインに入社されたのはいつ頃でしょうか。
中川:2002年ころです。それまでは、さまざまな会社で働いていました。

働いている間に、ワインに触れる場面がしばしばありました。ワインを身近に感じる人が増え、その人達が会話の潤滑剤としてワインを使うようになってきました。特に、日本のハイエンドな人たちが、会合にワインがないとうまくいかない、ワインがあると便利、ワインを知っていた方が得、というようになってきたのです。

このようにワインがコミュニケーションのツールとして重要であることが面白いと思い、入社しました。

――入社後はどのような仕事をされましたか。
中川:最初のころ、ブローカー経由でワインを入れていたと言いましたが、ワイナリーと直接コミュニケーションできず、手数料も相手の言うがままに払っていました。

我々から話をしたことは相手にねじまげて伝えられますし、相手が言ったこともこちらにはそのまま伝わりません。これではいけないと、ワイナリーとの直接契約に変えていきました。今ではほとんどが直接契約になりました。

――中川ワインというとカルトワインというイメージもあります。これは戦略的に狙っているのですか。
中川:そうですね。本当はカルトワインを作る会社によるリーズナブル・ゾーンが売り上げとしては重要なんです。例えば、カルトワイン中のカルトワインと言えるスケアクロウは年間入荷数はわずか12本です。1本5万円の売上があるとしても全部売れて60万円です。カルトワインだけでは食べていけません。

もっと大量に販売できるワインが商売としては重要です。今のラインナップで言うとオー・ボン・クリマやダックホーンなどが、それに当たります。

そうは言ってもカルトワインがないと話題には上らないですから、ハーランを初めとするフラグシップのカルトワインをラインナップにそろえているのです。

――中川ワインは様々なカルトワインを扱っています。コルギンやスケアクロウなどを始めた経緯を教えてください。
中川:スケアクロウは紹介です。このクラスになると紹介でないと話もしてもらえません。生産量は非常に少なくて、毎日ラブコールを受けている。米国の需要だけで手一杯で日本に輸出する必要もない。うちの取引先には、輸出先は日本だけというワイナリーも珍しくありません。

スケアクロウのときは紹介された後、2009年のプレミア・ナパ・ヴァレー・オークションで60本を8万ドルで落札し、2011年のプレミア・ナパ・ヴァレーでは同じく60本を12万5000ドルで落札するという当時の記録を作りました。それで「気に入った、ワインを売ってあげるよ」と言われて入荷したのがわずか12本です。パークハイアットなどに1本ずつ入れたらそれで終わりです。ワインリストにも乗せられないでしょう。

コルギンは以前他社で扱っていたのですが、担当者がやめてしまったのです。その後、うちに声がかかったのでした。ワイナリーとの契約は今でも、きちんと契約書を交わすのではなく、人と人との間の信頼関係で成り立つところが大きいのです。それぞれのワイナリーをきちんとケアしていかないと、離れていってしまうことがあります。

ダナ・エステートは、ナパの寿司屋でたまたまオーナーを見かけ、思い切って声をかけて契約にこぎつけました。

中川ワインの取り扱うワインはナパのものが中心であり、ナパに行けば大部分のワイナリーに会えます。例えば、毎年プレミア・ナパ・ヴァレーのオークションに行きますが、そこでほとんどのワイナリーに会えます。これはネットワーク維持の要の1つです。

こちらから訪問して顔を見せることによって、相手も「もっとこちらからできることはないか」と日本に来たがるようになります。それで来日して売り上げが上がれば、ウイン-ウインじゃないですか。最近はそういう関係になっています。

――今は年間いくつくらいのワイナリーが来日しているのですか。
中川:多いですよ。2015年は6月までの6カ月で20社を超えています。

スケアクロウも昨年来日してくれました。自社のワインがどういうところで売られているのか知りたいというのもあったでしょうし、日本の地位が上がっているのもあります。日本はハードウエアもソフトウエアもそろっています。セキュリティもいいし、何より食事が美味しいです。食事の種類はほとんど無限にあります。来日したワイナリーが「私はこんないい経験をしたからあなたも行ったらどう」と口コミで伝えることで、他のワイナリーも日本に来るのが楽しみになります。

日本は消費者やソムリエの質が高いのも、ワイナリーの方々にとっては魅力です。業者向けのセミナーがちゃんと時間通りに始まることなど、他の国ではなかなかありません。質問も的を射ているし、飲み方もきれいです。そういったことが評価されています。私は日本の消費者や業者さんに助けられています。

――話は戻りますが、100近くのワイナリーをケアしていくのは大変ではないですか。
中川:そうですね。今はメールで連絡できるので、大分楽にはなっていますが。昨年のナパの地震のときなどは、少しでも早く「Are you OK?」のメールが打てるかどうかが大事なのです。一週間後に連絡するのでは何の意味もありません。

逆に、東日本大震災のときの向こうからの連絡も早かったです。2日間で40以上のワイナリーからお見舞いのメールが来ました。中には、原子力発電所の問題があるから、うちに避難してきたらどうか、と言ってくれたところもあります。

――そういった連絡はご自身でされるのですか。
中川:もちろん広報がいますから、すべてを自分でするわけではないですが、重要な場面では必ず自分が相手と向き合うようにしています。直接電話したり、直筆で手紙を書いたり、会いにいったりと、肝心なところは自分でやることが大事です。

――扱うワイナリーは今後増やしていくのでしょうか。
中川:もちろん増やしていきたいとは思っています。ただ、やたらめったら増やすわけにはいきません。一つのワイナリーが日本に根付くのに3年はかかります。考えなしに増やしてしまうと結局これまでのワイナリーのケアがおろそかになってしまいます。新しいものに飛びつくことよりも、既存のワイナリーで売れていないところをケアしていくことの方が大切です。

ワイナリーからすれば、日本で売ってもらっているという気持ちもありますが、一方で、日本に売ってあげているという気持ちもあるのです。

――カリフォルニアワインをもっと普及させるには何が必要ですか。
中川:一番大事なのは飲んでもらうことですね。フランスワインが好きな人でも飲んでもらえば良さはわかりますから。だからその機会をいかに提供できるかがポイントです。

フランスワインが好きな方でも、特にボルドーが好きな人は狙い目だと思います。フランスはこのところ、あまり良くないヴィンテージが続いています。比べたらカリフォルニアがいいと思う人は多いでしょう。

食事とのマッチングで言えば、まだフランスに一日の長がありますが、例えばバーカウンターで一人で飲むようなシチュエーションなど、ワインが中心になるときであれば、カリフォルニアワインが勝る可能性があります。

あと、ワインを提供する温度がものすごく重要ですね。赤ワインを氷で冷やしていると、一般の方は意外に思うかもしれませんが、日本は室温が25度くらいと高いので冷やさないとダメなんです。そこは気を使わないと美味しく飲めないですね。口に含んだときに心地よい冷たさがあるくらいがいいんです。

――カリフォルニアワインを飲んでもらう機会を増やすには何をしたらいいでしょう。
中川:うちではワイン会をしょっちゅうやっています。特にフランスワイン通と言われている方をよく招いています。

それで、フランスワインを好きな方に「何がお好きですか」と聞くんです。例えば「シャトー・ラトゥールが好きです」と答えたら、それを最初に出します。そうすると「え、ラトゥールって最後に飲むもんじゃないの?」と驚かれ、それでラトゥールを飲んで「やっぱり美味しいねえ」となるわけです。

ところが、その後、カリフォルニアのいいのをどんどん出すと「これ、いいね」となり、その後またラトゥールを飲んでみると「今日のラトゥールはなんだか水っぽいねえ」と思ってしまったりするんです。

結局、ワイン会が終わるころまでにカリフォルニア・ワインのボトルは全部空になるのに、ラトゥールだけは空かずに残ってしまったりします。

ちょっと、意地悪ですけどね。そんなことをすることもあります。

こんな感じで政治家の方や大きな会社の社長さんなど、発言力がある人をファンにしていっています。

――ワイン会はどれくらいの頻度で開いているんですか。
中川:多いときは週に3回くらいやります。人数は大体8人くらい。それより多くなると1つのボトルを分けたときの量が少なくなってしまいますし、会の中で話題が分裂してしまいます。一つのまとまりになるには8人くらいが適正です。

我が家では父親の代から50年くらい、こういう感じでワイン会を開いています。いろいろな方の栄枯盛衰も見てきました。

――今までで思い出に残るワインは何ですか。
中川:ワインは何を飲んだかよりも、どういうシチュエーションで誰と飲んだか、どういう気持で飲んだかの方が大事ですよね。例えば、私の場合、結婚を決めたときにオスピス・ド・ボーヌのワインを飲んだので、それはもちろん美味しかったですが、そのときに別のワインを飲んだとしても、やはりすごく美味しく感じたと思うんです。だから、どのワインが美味しかったかというのには答えはないですね。

ただ、コングスガードでジョン・コングスガードが樽から飲ませてくれたシャルドネは最高でしたね。あれは忘れられない味でした。

――インポーターをされていて良かったと思った経験は。
中川:ワインに携わっているので、とても大事な局面に呼んでもらえることが多いんですね。雲の上の方に呼ばれることもあります。そういうのは嬉しいですね。

関連サイト:中川ワイン - カリフォルニアワイン

インタビューを終えて:さすがトップ・インポーター。様々な名士との交流など、これまでのリレー・インタビューで紹介してきたような個人経営の小さなインポーターとは、違う世界が広がっていました。人と人とのコネクションが重要なワイナリーとの付き合いで、トップ外交の重要性も感じさせられました。



●過去のリレー・インタビュー
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4000円以下で美味しいワインを紹介していきたい――アイコニック アンドリュー・ダンバー社長
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