今年からはノリアに専念します――ナカムラ・セラーズ中村倫久社長
カリフォルニアでワインを作っている日本人は何人かいらっしゃいます。その中でも2010年からと、新しいのがノリア(ナカムラ・セラーズ)です。最近では故中村勘三郎さんが好きだったワインとして、テレビ番組で紹介されています(「鶴瓶の!型破り偉人伝!」で江川卓さんが紹介したワイン)。
オーナーの中村倫久(のりひさ)さんは、元はホテルで働いていました。仕事でサンフランシスコに行ったのがきっかけでワイン作りを志すようになり、ついにその夢を実現しました。この3月に一時帰国されていたときに、話を伺いました。
――ワインとの出会いについて教えてください。
中村:オペラ歌手の五十嵐喜芳(きよし)が私の伯父でした。伯父は西麻布に「マリーエ」というイタリアンのレストランを持っており、子供の頃からお祝いごとというと、このレストランに行くのが通例でした。その席には必ず藁で包まれたキャンティのボトルがあり、私にとってはそれが楽しい時間の象徴でした。
卒業旅行のときに実際にイタリアで1カ月貧乏旅行をしました。帰国間際にミラノで兄に飲ませてもらった1981年のバルバレスコは思い出に残っています。新鮮な果実が詰まった感じがして、ワインはただの飲み物ではないと、初めて感じました。
――サンフランシスコにはホテル日航の仕事でいらしたのでしたよね。
中村:はい、ホテル日航に就職し、1999年にサンフランシスコに行きました。ワインへの入り口がイタリアだったこともあり、最初はカリフォルニアワインを低く見る気持ちもあったのですが、週末ごとにワイナリーを回っているうちに、魅力を感じるようになりました。1年間で170くらいのワイナリーを見学しました。
――ワインの勉強はいつ頃始めたのですか。
中村:ワイナリー巡りをするうちに、だんだん作ることに興味を持つようになってきました。そして、UCデイヴィスで勉強することがワイン業界への入り口だと考えました。UCデイヴィスの専門課程に入学し、2002年から2004年まで通いました。
――ワイン作りには化学や生物などの知識などが必要だと思いますが、専門だったのですか。
中村:いえ。大学は文系だったので、全然勉強したことがありませんでした。専門課程に入る前に履修している必要があったので、最初の1年はその勉強に使いました。日本の大学のときよりも相当勉強しましたね。
UCデイヴィスのワイン学科は1学年25人位。最終的には、ある教授に気に入ってもらえたのが入学できた理由の1つかと思います。
――そしてワイナリーで働き始めた。
中村:在学中にKoves NewlanとPine Ridgeで収穫時期に働きました。卒業する年にはNapa Wine Companyの実験室に働き口を見つけ、フルタイムで働くようになりました。
Napa Wine Companyはカスタム・クラッシュと呼ばれる業態で、様々なワイナリーに施設を貸してワインの醸造を行います。ここは特に「カルト・ワイン」と呼ばれるようなワイナリーのワインも数多く作っています。勤めていたのは1年半ですが、通常のワイナリーの5年分くらいの経験ができたと思います。
実験室には常にいろいろなサンプルが運び込まれます。それを分析し、結果を元に試飲し、検討するといった作業を続けました。ワイナリーによってワイン作りの考え方はやアプローチは様々であり、それらを詳細に見られたのはいい経験でした。とても楽しかったです。
――その後Artesaに移られたのですね。その理由は何ですか。
中村:カスタム・クラッシュだと、どうしても第三者的になってしまい、作るワインに対する愛情が欠けてしまうんです。それで1つのワイナリーで働きたいと思いました。2005年にラボのマネージャーとして入り、翌年には運良くアシスタント・ワインメーカーになりました。
Artesaは8万ケースくらい作っていました。カーネロス、アトラス・ピーク、アレキサンダー・ヴァレーと3つの別々の地域に自社畑があるのが魅力でした。
2010年からNoriaを始めましたが、そのかたわら2012年から2014年にはJamieson Ranch Vineyardsでワインメーカーとして働きました。ただ、Noriaの生産量が当初の300ケースから2014年には1300ケースに増えたこともあり、今年からはNoriaを再優先として仕事をすることにしています。
実は、今年からLarson Familyというワイナリーのワインメーカーもするのですが、あくまでもNoriaが中心でということで了解をもらっています。
――Noriaを始めたきっかけは何ですか。
中村:米国にはNapa Wine Companyのようなカスタム・クラッシュがあるので、設備を持たなくてもワインを作るチャンスがあります。そこで機会をうかがっていたのですが、リーマン・ショックによって米国の景気が悪くなり、いいブドウが手に入る状況ができました。
サンジャコモの畑はArtesaでも使っており、共感できて信頼できるところとして選びました。
――最初からピノ・ノワールとシャルドネで行くつもりだったのですか。
中村:いえ、最初にどういうワインを作りたいか考えました。マーケティングも考えないといけないし、日本の食文化も強く意識しました。特に海外に出てからは日本文化を意識することが増え、日本食に合うワインを作りたいと思いました。その結果、ピノ・ノワールとシャルドネになりました。
――醸造はNapa Wine Companyを使っているのですか。
中村:Napa Wine Companyは、うちのような小さなところでは利用できません。ワイナリーの中には生産設備を有効利用するために、自社で使わない分を他社に貸しているところがあります。そうようなワイナリーの中から、ドミナリーというワイナリーを選びました。
ところが、ここが翌年破綻してしまい、今はSilenus Vintnersというところを使っています。最初に働いたKoves Newlanとジェネラル・マネージャーが同じ人なのです。ドミナリーのワインメーカーとは人間関係をうまく作れなかったこともあり、よりよい人間関係を作れることを重視しました。
――破綻したワイナリーで、ワインが差し押さえられるようなことはなかったのですか。
中村:そうなんですよ。先方としては顧客を離したくないので、ワインを引き上げようとしたら拒否されたんです。最後は弁護士をたてて解決しましたが、一週間くらいは眠れない日々が続きました。
――Noriaを中川ワインで扱うようになったのはいつからですか。
中村:最初の2010年のワインを発売した2012年2月からです。Artesaが日本進出を検討したことがあり、そのときに中川ワインの社長とお会いしました。残念ながら話がまとまらなかったのですが、その後もナパにいらしたときにお会いしたり、中川ワインの社員旅行のときに話をする機会をもらったりと、交流が続いていました。
そこで、初めてワインを作ったときにも連絡を取りました。試飲したいということだったのでワインを送りました。「ぜひやりましょう」と扱ってもらえることになりました。
現在は75%くらいが日本で販売、残りは米国で5つくらいのレストランとショップ1軒に卸しています。当初は日本は30%くらいと考えていたのですが、中川ワインがたくさん売ってくれました。逆に、米国分はあまり残らないという状況でした。
昨年増産して米国のマーケットにもこれからはもっと足を運ぶ必要があります。円安によって日本でのワインの価格は上がります。日本は大事ですが、ビジネス面ではメインのマーケットではいけないと考えています。今後は米国70%くらいに持っていきたいです。
――これからは米国での販売活動もしないといけないとなると大変ですね。
中村:そうなんですよ。一番頭が痛いのはセールスですね。ワインはブランドが大事ですよね。どこに売ってもいいというものではなく、イメージを上げないといけないのです。例えば、高級レストランで採用されたら、それをWebサイトで宣伝できます。将来は流通業者を使うことも考えていますが、最初は自分でセールスやマーケティング活動をしていくつもりです。2015年がその元年となります。
Silenusは自身のブランドのワインも作っており、テイスティング・ルームを持っています。そこではカスタム・クラッシュの顧客のワインも注いでいるのですが、これまでは余ったワインがなかったので、Noriaは入れていませんでした。現在、許可を申請しており、それが認められれば、SilenusでNoriaを試飲できるようになります。
――マーケティングは専門なのでしょうか。
中村:実は違うのです。セールスはまだホテルでの経験がありますが、マーケティングは本当に大変です。
最近はWebサイトをリニューアルしたり、知り合いに協力してもらってFacebookの更新をしたりと、SNS方面にも力を入れています。妻にも手伝ってもらっています。
――これまで会って印象的だった人を教えてください。
中村:Noriaに専念することを決めたときに、今一番輝いているワインメーカーのトーマス・リバーズ・ブラウンとセリア・ウェルチに会いに行ったんです。成功しているワインメーカーの中には、1つのワイナリーに腰を据えて取り組んでいる人と、どんどん新しいところに挑戦する人がいますが、この2人はどちらも後者にあたります。
どうして彼らがそこまで突き進めるのかを聞いてみると、お金がほしいからではなく、とにかくワインが心から好きなんです。評論家のスコアもほとんど気にしていなくて、好きなことをやって、それが結果になるとさらに自分が好きな方向に行ける。ワイン作りへの情熱のすごさを感じました。それで、自分が今後進むべき方向も明らかになりました。
――Noriaではシャルドネとピノ・ノワール以外に作ることを考えていますか。
中村:昨年増産したときにソーヴィニヨン・ブランとフリーストーン産のピノ・ノワールを始めました。自分の中ではソーヴィニヨン・ブランは大吟醸というイメージでずっとやりたかったものでした。フリーストーンはオキシデンタル/フリーストーンということで最近注目されている地域です。とても涼しく、ラズベリー系のピュアな味わいのピノ・ノワールができるので、日本食に合わせたいというNoriaのコンセプトにも合います。
将来はナパのカベルネ・ソーヴィニヨンを作ることも考えています。そうなると、Noriaのコンセプトには合わないので、別のブランドで作ることになります。Nakamura Cellarsという会社の下で複数のブランドをやっていきたいと思います。2015年には、現在人気が高まっている赤ワイン・ブレンドのワインを作る予定です。
関連サイト:
Noria Wines
インタビューを終えて:
中村さんにお会いするのはこれで2度めです(参考「中村さんの作る「ノリア」のワイン会に行って来ました」)。とても気さくで、よくしゃべる方で、ノリアの親しみやすい味にも、その人柄が現れているような気がします。これまでは、ノリアは副業的な位置付けでしたが、今年からはメイン。米国での販売も増やします。その分、責任もやらなければいけないことも多くなります。これがさらなる成功に結実すると信じています。
なお、インポーター・インタビューとして始めたこの連載ですが、インポーター比率が大分下がったので「リレー・インタビュー」という名称に変更いたします。カテゴリーも新設しました。
●過去のリレー・インタビュー
全都道府県でワイン会をやっていきたい――ワインライフ 杉本隆英社長
4000円以下で美味しいワインを紹介していきたい――アイコニック アンドリュー・ダンバー社長
顔の見えるオンラインショップでありたい――Wassy's鷲谷社長、波田店長
ソノマの美味しいワインを日本に紹介したい――ソノマワイン商会 金丸緑郎社長
神様が背中を押してくれているような気がしました――ilovecalwine 海老原卓也社長
ワインとの“出会い”を大事に――ミライズ 清家純社長
好きなワインを選んでいったら自然派に行き着きました――オーシャンワイン 早坂恵美社長
ロバート・モンダヴィさんに畑で叱られました――桑田士誉(あきたか)さん
プリチャードヒルとメルカに注目しています――ワイン蔵TOKYO中川正光オーナー
オーナーの中村倫久(のりひさ)さんは、元はホテルで働いていました。仕事でサンフランシスコに行ったのがきっかけでワイン作りを志すようになり、ついにその夢を実現しました。この3月に一時帰国されていたときに、話を伺いました。
――ワインとの出会いについて教えてください。
中村:オペラ歌手の五十嵐喜芳(きよし)が私の伯父でした。伯父は西麻布に「マリーエ」というイタリアンのレストランを持っており、子供の頃からお祝いごとというと、このレストランに行くのが通例でした。その席には必ず藁で包まれたキャンティのボトルがあり、私にとってはそれが楽しい時間の象徴でした。
卒業旅行のときに実際にイタリアで1カ月貧乏旅行をしました。帰国間際にミラノで兄に飲ませてもらった1981年のバルバレスコは思い出に残っています。新鮮な果実が詰まった感じがして、ワインはただの飲み物ではないと、初めて感じました。
――サンフランシスコにはホテル日航の仕事でいらしたのでしたよね。
中村:はい、ホテル日航に就職し、1999年にサンフランシスコに行きました。ワインへの入り口がイタリアだったこともあり、最初はカリフォルニアワインを低く見る気持ちもあったのですが、週末ごとにワイナリーを回っているうちに、魅力を感じるようになりました。1年間で170くらいのワイナリーを見学しました。
――ワインの勉強はいつ頃始めたのですか。
中村:ワイナリー巡りをするうちに、だんだん作ることに興味を持つようになってきました。そして、UCデイヴィスで勉強することがワイン業界への入り口だと考えました。UCデイヴィスの専門課程に入学し、2002年から2004年まで通いました。
――ワイン作りには化学や生物などの知識などが必要だと思いますが、専門だったのですか。
中村:いえ。大学は文系だったので、全然勉強したことがありませんでした。専門課程に入る前に履修している必要があったので、最初の1年はその勉強に使いました。日本の大学のときよりも相当勉強しましたね。
UCデイヴィスのワイン学科は1学年25人位。最終的には、ある教授に気に入ってもらえたのが入学できた理由の1つかと思います。
――そしてワイナリーで働き始めた。
中村:在学中にKoves NewlanとPine Ridgeで収穫時期に働きました。卒業する年にはNapa Wine Companyの実験室に働き口を見つけ、フルタイムで働くようになりました。
Napa Wine Companyはカスタム・クラッシュと呼ばれる業態で、様々なワイナリーに施設を貸してワインの醸造を行います。ここは特に「カルト・ワイン」と呼ばれるようなワイナリーのワインも数多く作っています。勤めていたのは1年半ですが、通常のワイナリーの5年分くらいの経験ができたと思います。
実験室には常にいろいろなサンプルが運び込まれます。それを分析し、結果を元に試飲し、検討するといった作業を続けました。ワイナリーによってワイン作りの考え方はやアプローチは様々であり、それらを詳細に見られたのはいい経験でした。とても楽しかったです。
――その後Artesaに移られたのですね。その理由は何ですか。
中村:カスタム・クラッシュだと、どうしても第三者的になってしまい、作るワインに対する愛情が欠けてしまうんです。それで1つのワイナリーで働きたいと思いました。2005年にラボのマネージャーとして入り、翌年には運良くアシスタント・ワインメーカーになりました。
Artesaは8万ケースくらい作っていました。カーネロス、アトラス・ピーク、アレキサンダー・ヴァレーと3つの別々の地域に自社畑があるのが魅力でした。
2010年からNoriaを始めましたが、そのかたわら2012年から2014年にはJamieson Ranch Vineyardsでワインメーカーとして働きました。ただ、Noriaの生産量が当初の300ケースから2014年には1300ケースに増えたこともあり、今年からはNoriaを再優先として仕事をすることにしています。
実は、今年からLarson Familyというワイナリーのワインメーカーもするのですが、あくまでもNoriaが中心でということで了解をもらっています。
――Noriaを始めたきっかけは何ですか。
中村:米国にはNapa Wine Companyのようなカスタム・クラッシュがあるので、設備を持たなくてもワインを作るチャンスがあります。そこで機会をうかがっていたのですが、リーマン・ショックによって米国の景気が悪くなり、いいブドウが手に入る状況ができました。
サンジャコモの畑はArtesaでも使っており、共感できて信頼できるところとして選びました。
――最初からピノ・ノワールとシャルドネで行くつもりだったのですか。
中村:いえ、最初にどういうワインを作りたいか考えました。マーケティングも考えないといけないし、日本の食文化も強く意識しました。特に海外に出てからは日本文化を意識することが増え、日本食に合うワインを作りたいと思いました。その結果、ピノ・ノワールとシャルドネになりました。
――醸造はNapa Wine Companyを使っているのですか。
中村:Napa Wine Companyは、うちのような小さなところでは利用できません。ワイナリーの中には生産設備を有効利用するために、自社で使わない分を他社に貸しているところがあります。そうようなワイナリーの中から、ドミナリーというワイナリーを選びました。
ところが、ここが翌年破綻してしまい、今はSilenus Vintnersというところを使っています。最初に働いたKoves Newlanとジェネラル・マネージャーが同じ人なのです。ドミナリーのワインメーカーとは人間関係をうまく作れなかったこともあり、よりよい人間関係を作れることを重視しました。
――破綻したワイナリーで、ワインが差し押さえられるようなことはなかったのですか。
中村:そうなんですよ。先方としては顧客を離したくないので、ワインを引き上げようとしたら拒否されたんです。最後は弁護士をたてて解決しましたが、一週間くらいは眠れない日々が続きました。
――Noriaを中川ワインで扱うようになったのはいつからですか。
中村:最初の2010年のワインを発売した2012年2月からです。Artesaが日本進出を検討したことがあり、そのときに中川ワインの社長とお会いしました。残念ながら話がまとまらなかったのですが、その後もナパにいらしたときにお会いしたり、中川ワインの社員旅行のときに話をする機会をもらったりと、交流が続いていました。
そこで、初めてワインを作ったときにも連絡を取りました。試飲したいということだったのでワインを送りました。「ぜひやりましょう」と扱ってもらえることになりました。
現在は75%くらいが日本で販売、残りは米国で5つくらいのレストランとショップ1軒に卸しています。当初は日本は30%くらいと考えていたのですが、中川ワインがたくさん売ってくれました。逆に、米国分はあまり残らないという状況でした。
昨年増産して米国のマーケットにもこれからはもっと足を運ぶ必要があります。円安によって日本でのワインの価格は上がります。日本は大事ですが、ビジネス面ではメインのマーケットではいけないと考えています。今後は米国70%くらいに持っていきたいです。
――これからは米国での販売活動もしないといけないとなると大変ですね。
中村:そうなんですよ。一番頭が痛いのはセールスですね。ワインはブランドが大事ですよね。どこに売ってもいいというものではなく、イメージを上げないといけないのです。例えば、高級レストランで採用されたら、それをWebサイトで宣伝できます。将来は流通業者を使うことも考えていますが、最初は自分でセールスやマーケティング活動をしていくつもりです。2015年がその元年となります。
Silenusは自身のブランドのワインも作っており、テイスティング・ルームを持っています。そこではカスタム・クラッシュの顧客のワインも注いでいるのですが、これまでは余ったワインがなかったので、Noriaは入れていませんでした。現在、許可を申請しており、それが認められれば、SilenusでNoriaを試飲できるようになります。
――マーケティングは専門なのでしょうか。
中村:実は違うのです。セールスはまだホテルでの経験がありますが、マーケティングは本当に大変です。
最近はWebサイトをリニューアルしたり、知り合いに協力してもらってFacebookの更新をしたりと、SNS方面にも力を入れています。妻にも手伝ってもらっています。
――これまで会って印象的だった人を教えてください。
中村:Noriaに専念することを決めたときに、今一番輝いているワインメーカーのトーマス・リバーズ・ブラウンとセリア・ウェルチに会いに行ったんです。成功しているワインメーカーの中には、1つのワイナリーに腰を据えて取り組んでいる人と、どんどん新しいところに挑戦する人がいますが、この2人はどちらも後者にあたります。
どうして彼らがそこまで突き進めるのかを聞いてみると、お金がほしいからではなく、とにかくワインが心から好きなんです。評論家のスコアもほとんど気にしていなくて、好きなことをやって、それが結果になるとさらに自分が好きな方向に行ける。ワイン作りへの情熱のすごさを感じました。それで、自分が今後進むべき方向も明らかになりました。
――Noriaではシャルドネとピノ・ノワール以外に作ることを考えていますか。
中村:昨年増産したときにソーヴィニヨン・ブランとフリーストーン産のピノ・ノワールを始めました。自分の中ではソーヴィニヨン・ブランは大吟醸というイメージでずっとやりたかったものでした。フリーストーンはオキシデンタル/フリーストーンということで最近注目されている地域です。とても涼しく、ラズベリー系のピュアな味わいのピノ・ノワールができるので、日本食に合わせたいというNoriaのコンセプトにも合います。
将来はナパのカベルネ・ソーヴィニヨンを作ることも考えています。そうなると、Noriaのコンセプトには合わないので、別のブランドで作ることになります。Nakamura Cellarsという会社の下で複数のブランドをやっていきたいと思います。2015年には、現在人気が高まっている赤ワイン・ブレンドのワインを作る予定です。
関連サイト:
Noria Wines
インタビューを終えて:
中村さんにお会いするのはこれで2度めです(参考「中村さんの作る「ノリア」のワイン会に行って来ました」)。とても気さくで、よくしゃべる方で、ノリアの親しみやすい味にも、その人柄が現れているような気がします。これまでは、ノリアは副業的な位置付けでしたが、今年からはメイン。米国での販売も増やします。その分、責任もやらなければいけないことも多くなります。これがさらなる成功に結実すると信じています。
なお、インポーター・インタビューとして始めたこの連載ですが、インポーター比率が大分下がったので「リレー・インタビュー」という名称に変更いたします。カテゴリーも新設しました。
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